トリプル7と景色やゆかいな仲間たち

日常生活を豊かに楽しく成長していく

人類が脳という機能をフル活用できる日は来るのか!

2018-02-16 13:11:29 | この世を揺るがす
人が脳をフル活用できることが出来ればというかそういう極論はあってないのだが

人が生活する上で思いっきり使ったとしてそう感じていたとしてもわずか数パーセント

しか使っていないなどと言われているが人は能力の違いによりそのすうパーセント

を数十パーセントに引き上げられることは恐らく不可能ではないでろう。

ただそれをいかに生かせたものに適応することが出来るかが問題で決して悪用しても意味が

無いものとなってしまうのだ。

脳を使いこなせるというのは人それぞれによってそのバージョンアップがスムーズに行われて

いて頭の中でそれが整理されているかということが大切だと思うのだがそれが出来るなら

誰も苦労などはしないはずだ。

複雑な問題を複雑に考えずきちんと整理していかに簡単にそれを解き、いかにして生かせるかに

かかっているわけだ。

言葉など難しい漢字であったり、難しい言葉をたくさん知れば良いというものではないのだ。

一概には言い切ることは出来ないのだが言葉などは相手という不特定多数に伝えて

初めて生かすことが出来るものであまり難しいことを知っていても砕いて相手に伝えるという

能力を身に着けていなければそれは単なる自己満足の世界を脱することは出来ないのである。

言葉は次代によって少なからず意味さえも少し変えてしまうようなもので完全というものでは

なくなってしまうこともあるのだ。

昔はこういう表現で伝わったものでも今では違った伝わり方をしていたりするという意味である。

どれだけ不特定多数に伝えることが出来るかという能力は外せない一つの立派な能力の一つで

あるとそう思うのである。

人は自分の持っている能力というものを完全に把握しているかと言えばそうではないと思う。

気付くというのも一つの能力であって察するというのも能力であって細かい能力はたくさんあるので

ある。

この世で生活するというのはそのような小さいようでいてその小さな能力を結集した能力を上手く

使い分けながら生活して日々成長しているわけだ。

決して止まっているように見えて何も変わらない仕事であったりマンネリ化したような作業の中にも

全く同じ作業をしているわけではないということだ。

少なからず人は成長し続けているとそう思うのだ。

仕事場は変わっていても持場のような本来持ったキャラクターのようなものは自分自身では気づかなくとも

きちんと何かしらのキャラクターのようなもので見られたり見たりして勝手に枠組みされているのだと

そう思っている。

それは何故かそういうものからは避けては通れず歳を重ねても何故かそういうキャラみたいなもの自分らしさ

などというものから逃れられないような気がしてならない。

自分はこういう性格でこういう持ち味があります!とはっきり断定できるような単純な人ばかりではないと

思うのだが人は多かれ少なかれ、経験を何かしら積み重ねながら生活して今の自分があるわけだが、

それだからと言って想像力に欠けるだとか何かつまらない人というのとは違うのではないかとそう感じる野だ

が確かにいろいろ様々な経験をするに越したことはないと思う。

ただそういう経験の中で厄介なのは後悔などというマイナス的イメージが強くインパクトとして

記憶に残ったりしてしまうことで人それぞれ何をやっていても楽しそうな人がいたり、何をしててもつまら

なそうにしている人もいるのは事実でそれでも仕事となると一生懸命にそれに最善を尽くしたい!と

大体そう思うものであるのではなかろうか?

それは対価を受取れるからだけではなくそこには自分自身の持ち味であったり、責任感であったり、

心の底から来る気持ちをスッキリしたいなどという几帳面さのようであったり、器用であったり、

不器用であったり、そのようなものに左右されながら人は何かの役に立っていたり、社会に貢献出来たり

したりしているわけだ。

何もかも競争やトップを取れば何もかも満たされる世界が待っているわけではないというのが曲者で

それは一瞬の幻想の他者がみるとそれは輝きを放って見えたりもするかも知れない。

ただ輝きを放ち続けるような永遠のようなダイヤモンドのような夜空を飾る星達のように保ち続けることは

容易なものではないのだ。

あくまでも評価するのは自分とは異なる他者であって自分が今輝いているなどというのはただの勝手な妄想

のようなものであって当てにはならないのだ。

輝きを放っている人というのは自分自身で自分自身を正しく評価していないかもしれないのだ。

それでも他者から見るとあの人は何故か美しくまるでダイヤモンドのように輝いているななどと感じるのだ。

それはまるで春を知らせる桜の花びらにも似ていたり、あるいは初夏や秋に咲き誇る色とりどりの薔薇の花

のように見えたりもする。

人の感情を揺るがすのは一体何なんだろうかとそういう一瞬の輝きに目を奪われてはぽか~んとその時期を

意識なく過ごしてしまうようなそんなもったいないような無意識の時間をまるで無駄に過ごしてしまった

ように感じてしまうことも少なからずあることであろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿