トリプル7と景色やゆかいな仲間たち

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日本語は奥が深い。

2018-02-16 11:55:55 | この世を揺るがす
日本語をマスターするにはある程度の時間を要すると思う。

よく日本に住んでいたりする外国人の方がよっぽど日本語を流暢に使いこなしていたりするの

を目撃すると驚かされ、あー負けてる・・・。汗などと落ち込んだりする。


しかし日本語という奥の深い、言語をマスターするにはかなりの時間や努力が必要になるので

はなかろうかとそう思うのである。

完全にマスターというのは恐らく不可能に近いのではないかと思われるほど曖昧な表現がいく

つもあるのだ。

日本語にはある意味綿密なコードのような暗号的意味をもたらすようなそんな難解な文章

も生み出すことが出来るのである。

何というか後になってからじわりじわりと染みてくるような言葉の並びであったこり、

時には直球のようなストレートというそれがある時には裏に捉えたりしまうのだ。

それはその時の感情や感覚であったり、体調なども含まれているのだろうと考えるのだが

言葉にはある時凄い力を乗せられることがあるのだ。

日本語は使えば使うほど味が出てくるというか奥が深かったりする為、時々、自分が思って

いる思惑とは違って伝わってしまうことはよくあることで失敗は避けられない。

いつも平常心で冷静に言葉を選べる能力を持ち合わせておけるな問題も少なく済むかも

しれないが思惑とは違った言葉を避けるためには経験が必要で経験でもかなり痛い目に

合いながら心を鍛えられながら前に進まざるを得ない。

これは日本語だけではなく、多国語の場合も当てはまることだと思うがそのような

経験を繰り返しながら、人を傷つけてしまったり、あるいは励ますようなことであったり

癒すような言葉であったりとさまざまな表現方法で相手に何かしらの影響を与えるもので

あって言葉を振りかざして容易に振り回すようなことはしてはならないのだ。

沈黙は金と言われる程、言葉というのは日本語というものには曖昧さやお暗号的秘められた


言葉の力を組み込むことが出来それは危険な行為となるのだ。

あまり深く考えすぎると言葉は口は閉ざされてしまったりするものなのだ。



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