S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

歴史に刻まれる意思

2009-01-15 16:28:18 | Weblog
きのうテレビで40年前の学生紛争の東大安田講堂が機動隊によって制圧されるまでの実際の映像とドラマの映像とで作った番組を見ていた。

子どもの頃、父とあの東大の安田講堂に放水される映像を見ていたのは、今でもよく覚えている。

学生が、真剣に、そして過激に、日本という国の未来を考えていた時代だった。

反権力、反ブルジョア、そんな学生の純粋な、弱者に目を向けた国を創りあげようと立ち上がった時代。

ベトナム戦争が泥沼になって、今のガザのように、子供達がたくさん犠牲になっただろう時代。


見ていて、長女と「今の時代に似ている・・・でも今の学生も国民もこの頃のように、立ち上がろうとはしないね・・・」と話していた。

時代はサイクルのように繰り返すのかもしれない。


権力に抗うということは、反面空しさを知ることでもある。
機動隊に次々と逮捕されていく学生達。
権力は力で制圧するのだ、今もそして昔も何も変わらず・・・・

だけど、立ち上がることは、ひとつの歴史として刻み込むことなのかもしれない。


40年前に立ち上がったのは、大学生だったけれど、もし今の時代だったら、わたしは立ち上がるのは高齢者、そして子供達かもしれないと思った。


その次に立ち上がるのは、わたしみたいなおばちゃん世代だろう・・・
(わたしの友達もお姉さん達もみんな熱いぜ!)

そうやって想像してったら、高齢者、子供達、オバタリアンが革命をくわだてるような小説だって書けそうだよ・・!


今の大学生はだめかも・・・
あんがいこじんまりと自分中心の幸せ志向で、国の未来を真剣に考えている人って少なそうだなあ。(娘を見ていて)

次にだめなのは、おじさん世代かもしれない。
おじさんはなかなか長いものに巻かれろ的な人多いなあ。
(自分の周りの知り合いのおじさんを観察して)


とひとつの歴史をつくっただろう東大落城を見ていた。

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