うちの祖父は予科練に行った。
そして、奈良の天理で終戦を迎えたらしい。
何期生なのか、そして予科練で何をしていたのか知らなかった。
高校の頃、図書室で昼休みを過ごしていて、その時にたまたま予科練の本を見つけた。
何気なく手に取ったその本は私の想像を超える予科練での出来事が書かれていた。
そもそもうちの親族で戦死した人がいなかった為、戦死自体が遠い国の話だったのだ。
身近に戦争で出兵した人はいる。
しかしながら、皆無事に帰ってきたのだ。
だから、そもそも正規の軍隊ではないような予科練は戦地に赴くこともなく、誰も亡くなることなく平和だったと信じ込んで疑うことはなかった。
本の内容はこんな感じでだったと思う。
なにしろ20年くらい前に読んだ記憶なので、多少の誤りがあると思う。
予科練行っていた兄弟に戦死報告が届いた。
戦後、兄弟のその最後を知りたくて、予科練関係者に当たって調べた。
結果、戦死報告にはB29と応戦中と記載があったものの、少年たちはなすすべなく逃げ惑い、防空壕に機材などを持って逃げた当番だったグループが横穴の防空壕に火が周り最悪の状態で、誰が誰とは分からなかった。
安全と言われた三角兵舎の裏も見事に爆撃され、死傷者が多かった。
そんな内容だったと思う。
その本を読んでから予科練の事を祖父に問い掛けるきっかけがないまま時が流れました。でも10年も経たないうちに、祖父にその本の事を話す機会が出来た。
高校時代に予科練の本を読んだ事、祖父がいた土浦航空隊でB29の襲撃があり、それによって沢山の若者がなくなった事。
そんな話をしていたら、突然祖父が語り出した。
「あの日、当番が逃げた防空壕が大変なことになって。横穴の防空壕に火が周り、奥にいた奴は誰が誰だかわからなかった。」と、本と同じことを語り出し、そこで初めて祖父が現場にいた事を知った。
ちょっとした違いで生死を分けたその中を生きていたことがわかった。
その瞬間、自分が生まれていなかったかもしれない可能性を考えた時に鳥肌がたったのを覚えてる。
色々と話してくれたのに、私が思っている以上の世界を生き抜いてきたという事実が衝撃過ぎてほとんど内容を覚えていない。
ただ、最後に一言。
「お前は勉強がまだまだ足りない!」と。
そこから、第二次世界対戦をひたすら学んでいことになったのであーる。