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前回レポアップした火の章_1が5月11日ですから、かなり間が空いてしまいましたが風林火山の連載(?)を再開します。
軽い復習ですが、本章で遡りますのは大震災当日から1週間が経過しようた頃に第二次サポート隊としてワシが仙台に入った時の話になります。
ということで、前夜に呑みすぎた我々は緊張感の無さを隠しながら新潟チームの見送りを受けて、仙台へと向かいます。
救援物資ということで、生鮮食料品を含む食品や日用品モロモロ、燃料等々を満載して磐越自動車道に入ります。
当初情報では磐越通行止めを想定して山形から山越えをするルートだったのですが、うまいことに開通しており、しかもどうやら無料のようです。
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ほぼほぼ順調に進んでいきまして、東北自動車道に合流する前の磐梯山SAに入り、喜多方ラーメンをいただきます。
味もいけましたが、全体の1/3くらいの規模であってもがんばって営業していることが嬉しかったですね♪
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さて、東北自動車道に入ると地震の影響で路盤が各所でうねったり、亀裂が入っています。 速度はそれほど出していないのですが、かなり車体が振られますし、時々かなりの衝撃を受ける中を淡々と進んでいきます。
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走行可能なのは、官民軍を問わず救援車両なので、妙な連帯感を持ちながら北上していきます。
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米軍や自衛隊の皆さんがなんとも頼もしく感じられました。 そして、各地の消防も北へと向かっています。
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宮城県に入ると仙台南部道路へと分岐を進みますが、瓦の落ちているような家も思ったより少ないし、まして倒壊している家もないので「ひょっとしたらたいしたコトではないのか?」などとほんの少しの安心感が湧いてきます。
ところが、南部道路から東部道路に入るジャンクションのあたりから様子が一変します。 道路からは撤去されているものの周囲には瓦礫が散乱していますし、なんで?というトコロにクルマがひっくり返っていたりします。
そして東部道路を進むと、まだ水も引いていない土地の生々しい傷跡が広がっています。
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土を盛り上げて作られた東部道路が堤防の役目を果たしたようで道路の左右の光景がまるで違い、まさに「天国と地獄」の境界線のようです。
途中から通行止めになっていたので下道におりて比較的平穏なエリアを走っていきますが、津波の直撃を受けていないものの、ガソリンスタンドに並ぶクルマの長蛇の列が尋常じゃない様子を伝えてきますし、建物によっては壁が崩落したり、信号も機能していないなど日常とは違う空間に入っていきます。
そして…津波の被害を受けたエリアに入りますが、完全に別の世界です。
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ワシは報道カメラマンでもありませんし、会社関係の写真は公開できないので被災地の写真はあまり多く公開しませんことはご了承ください。 もっとも、悠長に写真を撮っている余裕もなかったのですが…
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とにかく、現地チームと合流して当面の問題点や対策を相談しますが、現地メンバーのほとんどは魂を飛ばしている状態です。 そんな中で無理矢理にモロモロの段取りをつけていきますが、リアクションの遅さというか、何を聞いても生返事しか返ってこないなど依然として引きずるショックの大きさにあらためて震災のひどさを感じます。 それでも頑張って事業所の瓦礫の処理などを進めてくれているのが胸に響きます。
とにもかくにも翌日の段取りまでは決めていったんは解散しますが、もちろんホテルなんぞに泊まれるわけもありません。
幸いにも仙台近辺は津波被害がなければ建屋の崩壊はほとんどないので、すでに合宿所というか仮事務所になっている某従業員の家に寄せてもらいます。
そこはガスも水道も止まっているのですが、幸いに電気が通っているので助かりました。 といっても、水が止まっている=トイレが使えないので相当にシンドイことになっていますが…
ちなみに帰ってから当時の仙台のライフラインの状況については
「仙台近辺では、水が出ないところが半分、ガスが使えないのと電気が通っていないのも半分の確立なので、たいていのトコロはなんかが大丈夫だけどなんかが使えない状況です。 運がとてもよいヒトは 1/8 の確立でライフラインにまったく問題はありませんが、まったく何もつかえないヒトも同じくらいいます。」
と、説明しておりました。
2LDKの部屋に10人近く寝泊りするのですが、野宿に近い覚悟もしていたので何の問題もありません。
カレーをつくり、持ち込んだ酒を飲みながら夜も更けていきます。
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このカレーはワシが作ったわけではありませんが、どこにも料理自慢がいるようで相当に美味しかったのデス♪
とりあえず、現地メンバーも少しは元気になったかと…
(続く…)