歌うサラリーマン(ボイストレーニング)

歌は、楽しいもの。うまく歌えたらもっと楽しい。そんなちょっとしたお手伝いのページ。(完全に「今日の街ネタ」化してるけど)

「俺のコートはカシミアだよ」

2005年12月16日 22時00分36秒 | Weblog
忘年会の帰りだろうか、数人束になって歩いていたおじさん達の会話が聞こえてきた。僕のコートに目を遣ると、そこにはカシミア100%と書いてある。
なんだろう、この感覚。はるか歴史をたどれば同じような“陳腐化”を繰り返しながら、僕らは生きてきたのだろう。
豊かなことが当たり前になった先には、一体何があるのだろうか。僕には不幸な姿しか思い浮かばない。

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5 コメント

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あー、ちなみに (歌うサラリーマン)
2005-12-17 00:00:29
写真と文章に関連はありません。コートの話なので、コートの写真を撮ったまでです。
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Unknown (カナダ人)
2005-12-17 17:30:30
贅沢品が往々にして政情不安定な極貧国から来るのは面白いと思いませんか?カシミールしかり、紅茶のアッサムしかり、シガーのカリブ諸国しかり、チョコレートのカカオ産地しかり。。。チョコレート産業はいまだに奴隷労働がはびこっています。



貧困の上に成り立つ豊かさの先にあるものは、恨みと暴力です。「テロ」と称されるものの実態が何であるか、ということですね。並行してファシズムが台頭するのは、有事体制への精神的な準備が進んでいる日本ばかりではありません。アメリカは言うに及ばず、チェチェン独立派が活発化する中でロシアの軍国化も加速しています。



こうして見ると、子供に赤紙を配って非国民がどうのという発言をする先生や、それを「問題ない」と見なす人々の存在も、必然的な流れであると言えるかもしれませんね。はっきり言って、いままで「平和」が続いているのが奇跡です。
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贅沢 (み~さん)
2005-12-18 00:21:26
贅沢が贅沢に感じられないくらい感覚が麻痺してますよね。それがもっとすごいのが子供達です。

まだ中学生の娘も知らず知らずに、物を大切にしなくなってきました。

あふれすぎているのです。

足りない・・不自由ということを経験することがないから。

アフリカの子供達のことはわかっていても実感がないのです。

社会課の教育も年号を暗記させるだけでなく、実社会についてもっといろんなことを教えてほしいと思いますし、そういうことができる先生が学校にはいてほしいと思います。

教育はとても大事です。今、日本は教育を見直さないといけない時期に来ていると実感してます。

子供達がかわいそうな時代でもあります。

歌うサラリーマンさん・・・こどもたちの心に音楽とかはいりやすいもので影響を与え、軌道修正できないものでしょうか??

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平和ボケってこういうことか (歌うサラリーマン)
2005-12-18 01:17:46
と、思いました。



このコメントを掲載するときに、各方面から肯定と否定の、しかもかなりはっきりした意思表示を受ける可能性があると考えていたのですが、この”ニュース”に対する反応は、やっぱりまっぷたつみたいです。他のブログなんかを見てても分かります。戦争は神が人間に組み込んだ遺伝子だという話を聞いたことがあります。もともと放っておけば数と力のバランスも取れるのでしょうが、もしかしたら医学と医療技術の発達により、人間が増えすぎたのかもしれません。もちろん理性で戦争を拒否してきたこともあるでしょう。でも、海外で暮らしたことがある人間の一人としては、どこの人間もそれぞれの人生を抱え、普通に暮らしているだけであることを主張せざるを得ません。大げさな話をするなら、住んでいる場所が違うだけの話です。そういう意味では、隣の町に住んでいる人も外国に住んでいる人も大差ありません。

でも、国家(あるいは地域やら宗教やら思想やら)という枠で括られると、どうもそううまくはいかないみたいです。武力が抑止力になるのは事実です。牙を持たないライオンは生きていけません。問題は、牙を論点にすべきかどうかということでしょう。あるいは牙が即武器・武力を意味するのかどうか。ウサギには大した牙はありませんが、脅威の脚力があり、鳥には翼がある。彼らにとっては、これが牙の代わりです。即ち、生き抜く力だということです。多分みんな理屈は分かってるんです。主張するポイントが違うだけなのでしょう。



音楽で子供の軌道修正~なんてところから話が発展したのですが、タイトルの平和ボケの通り、社会の教育あるいは人生に対する視点が、平和であることを前提として成り立っているところに問題があると思います。人生とはどういうものなのか、道徳とは何か、人と人との関わりが何をもたらすのか、そういった人間力に対する意識が薄れていって、経済発展優先だったり長いものに巻かれることしか考えなかったりした結果、生きることの意味さえ見出せず(もちろん一人一人自分で見つけるものでしょうが)大人から見たら”キレやすい”子供達が育ってしまったのでしょう。社会に殺されたようなもんです。

そんな子供達も、音楽は好きなようです。そりゃあそうですよね。音楽もまた、神からインプットされた遺伝子の一つなのですから。様々な姿はあれど、音楽がない文化は存在しないそうです。人を扇動する力が音楽にはありますから、北朝鮮のように政治に利用することもできます。僕は、子供達の人間力を高められる何かができたら嬉しいです。でも、これは苦悩の道でもあります。尾崎豊しかり、Xのhideしかり、何が正しいのかを問いただすうちに、自分が壊れてしまうこともあります。真剣にやればやるほど、です。童謡でも歌うかなぁ。。。
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Unknown (カナダ人)
2005-12-18 16:53:13
子供たちというのは、小さな大人でしかないと思います。生まれ変わってきた人たち、先を行く人の背中を見て我が行き先を知る人たちです。したがいまして、子供たちに人間としての高みを与えたいなら、大人がその有様を示せばよいということになると思います。



でもね、教育や社会の崩壊というのは今に始まったことではありません。世代の交代ということを考えてみると、やはり先の戦争の後の社会の崩壊が直接的な影響を与えていると言えるでしょう。戦争や戦後などは私たちの世代には非現実なものですが、私たちを育てた人たちにとっては死ぬまで生々しい経験です。敗戦後の価値観の崩壊が今こういう形で表面化しているわけですね。私たちが子供の頃は、家庭内暴力や学校暴力、その前は学生運動など、つまり、同じ物が権威への抵抗や反抗という形を取っていました。導いてくれる指導者なくして育った世代が親になるとき、子育てが幼稚なものになるのは当然でしょうね。生身の弱い人間に、他の人間を支え導いていくことがほんとにできるものかどうか、と考えると、まあ、難しいみたいですけどね。



こういうことは観察であって、自己の行動がそうなるというものではありません。自分で考えて行動してください。じゃあね。
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