上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

奥州道中を歩く その3(大田原宿・鍋掛宿・越堀宿・芦野宿)

2024年06月02日 | 街道を歩く



【3日目 下野國 栃木県】 令和6年(2024)5月30日(木)晴/薄曇り

歩行距離:大田原市(足銀南出張所前)~黒田原駅 31.3km 
行  程:自宅3:30==6:00タイムズ西那須野駅前P(400円)・西那須野駅6:45==(市営バス200円)=6:55足銀南出張所前7:00---8:13中田原の一里塚--10:35鍋掛の一里塚--11:43富士見峠--11:55寺子の一里塚---13:45芦野仲町---15:05黒田原駅16:02=(330円)=16:27西那須野駅==19:00自宅



【大田原宿】
 台風1号が近づき向こう1週間は不安定な天気が予想されるので貴重な晴れの日


西那須野駅を始発の大田原市営バスで市中心部へ


バス停「足銀大田原南出張所」が市営バスでは大田原宿江戸口に一番近い
市役所や東武デパートなどがある中心市街地は最寄りの駅から4km程の距離にある
大田原宿から白河宿までは鉄道駅から離れたところをを歩くことになる



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「旧奥州道中 大田原宿 新田木戸跡」大田原宿江戸口
歴史街道を表すせっかくの標柱もゴミの集積場の目印になってしまった様



神明町交差点
前回はここを直進し大田原市役所へ



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雨葉山薬師堂
元禄七年(1694)建立の舎利塔は大田原市指定文化財
立派な竜の彫刻と屋根にある「阿吽」の形相の鬼が目を引く



「大田原宿 下町」標石と街並み
ここはゴミの集積場では無いらしい




「本陣・問屋・高札場跡」



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幸矢(さちや)の与一像
昔弓矢を「幸」と称したそうだ



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金燈籠
文政2年(1819)に鋳造された燈籠は、戦時中に供出され、現在のものは昭和54年(1979)に鋳造されたもの。台座は往時のもので、「江戸」「白河」と刻まれ、塩原道との追分道標であった。



北の桝形



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真言宗智山派龍頭山龍泉寺
有形文化財として涅槃図・愛染明王図・大田原資清の肖像画などを所蔵



大田原神社
大同二年(807)の創建、大田原の総鎮守



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大久保木戸跡 大田原宿の白河口(北口)跡



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蛇尾(さび)橋 と蛇尾川上流



工業団地入口にある気になる彫刻



右:平家瀬尾家居宅館跡碑 左:東山道碑
「古来9世紀前半、當地より西に200間の地に瀬尾家居館跡、瀬尾宮跡、居館跡の回りに10社の神々の鎮座の跡が見られる」



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中田原の一里塚跡 8:13  本日の起点から4.6km



棚倉道追分
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道標には「左奥州道」、「右たなくら道」、「南無阿弥陀仏」 と刻まれている
「棚倉街道は棚倉地方では日光道または江戸道と呼ばれ、奥州道中大田原宿を経由して江戸・日光方面に向かう近路として重要な街道でした」




追分道標の向かいにある 十王堂跡と奥に地藏堂



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市野沢交差点近くにあり烏がとまっているのが小滝のコウヤマキ
大田原市指定天然記念物 樹高17m、推定樹齢四百年



首切り山の如意輪観音像
年代不詳で風化が進んでいるが姿はよくわかる



弘法大師碑
『蓑に沿う 市野沢辺の ほたる哉』
解説には「この句は、平安時代の高僧の弘法大師が、この地を通った際に詠んだものだと伝えられているが、実際は江戸時代に詠まれたものらしい。」



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麻疹地蔵堂 真言宗宝積院跡
境内には馬頭観音、十九夜塔、六地蔵石幢、安政三年(1856)建立の宝篋印塔などがある
麻疹流行の時は地蔵の腹掛けを借りて掛ければ霊験あらたか



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愛宕神社と石仏群
宝暦6年(1756)の石燈籠・十九夜塔・青面金剛の庚申塔など。
石燈籠は道標を兼ねており、「右奥州街道・左原方那須湯道」 と刻まれている



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大田原市と那須塩原市の堺
歩道の無い坂道、前後から車が来ると避けるところがない



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樋沢の不動明王像
「この像は寄木造りという二材以上の木を組み合わせる技法で作成されたもので、背面に明暦2年(1656)に作製されたと記されている。同じく背面下部には製作者の名前らしき文字もあるが、現在、判読することはできない。」




樋沢神社
八幡太郎義家愛馬蹄跡石伝説
「後三年の役(1083-87)で陸奥平定に向かう八幡太郎義家(源義家)が樋沢村にさしかかったとき、ふと小高い丘にお宮があるのを見て軍勢を止めた。よく見ると、それは源氏の氏神である八幡神社であった。義家は戦勝祈願にと、馬で一気に丘を駆け上がった。
 あまりの勢いに、境内にあった巨岩の上に馬の前脚が乗ってしまい、蹄の跡がくっきりと、刻みつけられたという。」

昔もお国自慢や観光地PRなどがあったのだろう



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鍋掛の一里塚 江戸日本橋より四十里目  10:35  本日の起点より13.8km



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鍋掛神社(旧愛宕神社)




【鍋掛宿着】 10:43  本日の起点より14.2km

鍋掛交差点 この辺りが鍋掛宿の江戸(南)口
信号の向こうが鍋掛宿、歩道の縁石に自然石を使用し意匠が洒落ている
左に5km程行くと黒磯駅、相変わらず駅まで遠い



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信号を過ぎると直ぐ左手に 清川地蔵尊
延宝7年(1679)の造立で、子育て地蔵尊として地元の信仰が篤く毎年4月の祭礼には集落の女性が集まる
境内には南無阿弥陀仏名号碑・馬頭観音・庚申塔などの石造物がある



鍋川宿の街並み
歩道は綺麗に整備され歩きやすいが古い建築物などは少ない



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八坂神社と芭蕉句碑
 野を横に 馬牽(ひ)きむけよ ほとゝぎす
「芭蕉が元禄2年(1689)3月(旧暦)「奥の細道」行に旅立ち、黒羽より高久に向う道すがら4月16日、手綱をとる馬子の願いにより作り与えた句を碑にしたものである。
 句日の建立は、文化5年(1808)10月に、当時鍋掛宿の俳人菊池某外数名によるものと思われる。」



真言宗智山派の摩尼山蓮華院正観寺
山門前には「ほほえみの寺」とある
境内には、推定樹齢260年の枝垂れ桜があり、山門は旧本陣門を移築したもの



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桝形 突き当りに鍋掛神社の「御仮屋跡」の石柱がある



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那珂川に架かる昭明橋
那珂川の渡し場跡付近は消毒作業のため入れない

橋から那珂川上流



【越堀(こえぼり)宿着】 11:00 本日の起点より15.1km

昭明橋を渡ると越堀宿で鍋掛宿とは那珂川を挟んで近距離にある
寛永十二年(1635)参勤交代で江戸に向かう仙台藩の伊達侯が那珂川の川留めに遭い、越堀に小屋を建てたのが宿の始まり、正保三年(1646)正式に越掘宿が開設された



町田屋商店が御本陣跡


大洋食堂左手の民家(旧仙台屋商店)が問屋場跡



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枡形道 越堀宿の白河口(北口)
「奥州街道越堀宿枡形の地碑」、教育委員会では無く地元団体の「奥州街道越堀宿解説版」がある



軍馬之碑、地蔵尊、元文五年(1740)建立の西国四国坂東廻国供養塔



鉄製の祠に金比羅神社碑と小社



大きいのが安政2年(1855)の馬頭観世音、小さな明治24年(1891)の馬頭観音像



富士見峠 標高295.5m
歩道は無く一車線の狭い道 11:43 本日の起点より 17.6km



温泉神社



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寺子の一里塚 江戸日本橋より四十一里目 11:55 本日の起点より 18.4km
園内に馬頭観世音2基があり、富士見峠の頂上付近に建てられていものを保存のため現在地に移された



余笹川見晴らし公園
平成10年(1998)台風4号による洪水で多数の犠牲者が出たため復旧工事で建設された公園



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寺子地蔵菩薩
享保12年(1727)の造立で、享保の大飢饉による子供の餓死者を供養している
地蔵堂の脇には、文政13年(1830)の馬頭観音、延享2年(1745)の念仏供養塔など



余笹川に架かる寺子橋を渡る

寺子橋から余笹川上流
右手の土手にある階段辺りが渡し跡か?


だるま石
この石は、元は川の中にあって、水位の目安になっていた



平成10年(1998)台風4号による洪水は電柱の赤印まで浸水した



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弁慶の足踏み石
「弁慶が道端の石を足台にして馬に乗ろうとしたところ、弁慶の重みで石の表面が履いていた草鞋の形に窪んでしまったとされている。」
牛像の畜魂碑・青面金剛の庚申塔・如意輪観音などがある



愛宕神社跡
常夜燈が見えるが草生しており中には入りたくない



那須塩原市と那須町の堺 12:43 本日の起点より21.3km

狭い一本道が続く



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黒川集落の道標 「右新田ヲ経テ黒羽ニ至 左芦野町ヲ経テ白河ニ至」


窪みに秋葉山権現の御札を納める秋葉山碑



黒川



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夫婦石の一里塚 13:10 起点より23.1km


「グリーン開発 観桜台」
何時の頃か流行った別荘分譲地か?



草生した馬頭観音 天保8年(1837)造立



足尾大神
芦野温泉との分岐にあり、「あし」の掛言葉か?
足の病に御利益があるといわれ、履物が掛けられている



菖蒲川を菖蒲橋で渡る



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芦野橋で奈良川を渡る




【芦野宿着】 13:30 本日の起点より24.6km
奈良川を芦野橋で渡ると芦野宿に到着


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芦野川を渡ると左手に川原町地蔵尊
享保十二年(1727)の造立で、芦野宿の江戸口(南口)



桝形
各家に屋号を記入した石灯籠が建っている


芦野宿街並み


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石柱「奥州道中 芦野宿」 隣が公衆トイレと町営無料駐車場



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丁子屋
明治初期創業の鰻料理店
八畳二間の安達家蔵座敷を残しており、店頭に安達家蔵座敷碑が建っている



「ほていや」 辺りが脇本陣跡


「ほていや」の前に関東自動車の「芦野仲町」バス停
時刻は13:40、黒田原駅行きのバスは15:35まだ2時間もある



番所跡
郵便局前には芦野町道路元標と大正五年(1916)建立の仲町道標「奥州街道 鍋掛ヲ経テ大田原ニ至ル、白坂ヲ経テ白河ニ至ル」「南ハ伊王野ヲ経テ黒羽ニ至ル、西ハ黒田原ヲ経テ小島ニ至ル、伊王野ヘ一里、黒田原一里十七町、小島九町」


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芦野宿本陣跡
石の美術館ストーンプラザ辺りが、芦野宿の臼井本陣跡
石の美術館は改装閉館中



本日はここまでとし、バスに乗らずに6km先の黒田原駅まで歩くことに


那須町のマンホール
町の木ゴヨウマツ、町の花リンドウ、町の鳥カッコウをデザイン



黒田原駅 15:05 本日の起点より31.3km
電車は16:02 未だ一時間ある



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黒田原駅前みんなの店
ここでコーヒーと田舎饅頭をたべ電車を待つことに
饅頭は大きくて1つで充分、コーヒーが飲み終わると無料でお代わりを継いでくれた
旅の記憶に残る良い店だった







旅の醍醐味は道中のハプニングにあると思いますが
安全志向の自分にはできるだけ予想外のことは起きてほしくない
しかし永い道中避けたくても自らは避けられないことも起きます
それが自身の安全に関わること以外なら多少の苦労はあっても良い思い出になります
そのことは人とのかかわりに於いて起きることが多いようです
もう少し冒険した旅の楽しみ方をしたいと思う今日この頃です

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 地図


参考1:「ちゃんと歩ける日光街道・奥州街道」 八木牧夫著 山と渓谷社
参考2:五街道ウオーク:上記本の著者八木牧夫さんのホームページ
参考3:電子足跡:GPSログがとても参考になります
参考4:きままに歩く現地解説版など詳細な写真が豊富
参考5:街道歩き旅
参考6:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
参考7:レファレンス協同データベース(レファ協)国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、レファレンス(調べものの相談)のデータベース


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