上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

奥州道中を歩く (宇都宮宿・白沢宿・氏家宿)旅立ち

2024年05月19日 | 街道を歩く


【1日目 下野國 栃木県】 令和6年(2024)5月18日(土)晴
 歩行距離:宇都宮駅~氏家駅 24.1km 
 行  程:自宅3:40==5:40氏家駅前P(450円)・氏家駅6:02==(330円)=6:20宇都宮駅6:40---9:34白沢宿--10:15白沢の一里塚12:27氏家宿--13:00氏家駅前P==15:55自宅


 奥州道中は、日本橋を起点として陸奥國白河宿へ至る街道であるが、日本橋から宇都宮宿までは日光道中と共用であり、日光道中は既に歩いているため、宇都宮伝馬町の追分からスタートすることとした
https://blog.goo.ne.jp/noyama002/d/20240202


氏家駅まで車で来て、東北本線で宇都宮駅へ

【宇都宮宿】

 先ずは宇都宮駅(6:35)から追分まで歩く


二荒山神社前を通り



日光街道(白色→)と奥州街道(黄色→)の追分へ 午前7時出立 宇都宮駅から1.7km


手前が本陣跡



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都橋 昭和62年(1987)竣工




おしどり塚
おしどり塚は、鎌倉時代に無住法師の「沙石集」によって紹介された旧跡地であり、次のような話が伝えられている。
 鎌倉時代のころ、この附近を流れていた求食川(あさりがわ)で猟師が一羽の雄のおしどりを射止め、その首を切り、身体だけを持ち帰った。翌日同じ場所でうずくまっている雌のおしどりを射ると、その翼の下には昨日のおしどりの首がしっかりと抱きかかえられていた。猟師は鳥の持つ愛情に深く心を打たれ、今までの殺生を悔い、石塔を建てて供養したという。


*栃木県佐野市にも同じ様な由来の「おしどり塚」がある
佐野市のおしどり塚

佐野市のマンホールは市の鳥オシドリ(最近はゆるキャラ「サノマル」に変っている)


三峰神社



幸橋から田川上流 欄干に「川涼」や「幸橋遠景」などのレリーフ




旧篠原家住宅 
明治28年(1895)に建てられたこの店蔵は、店舗と住宅部分を一体化した蔵造りになっている。
嘉永四年(1851)築の石蔵や明治二十八年(1895)築の店蔵は国指定重要文化財





八坂神社
康平6年(1063)宇都宮城主藤原宗円(宇都宮氏の祖)が築城の際、鬼門の鎮護として奥州街道の出入口にあたる今泉の地に神明宮を創始したのが始まりである。





真言宗智山派 竹林山宝蓮院
中山道美濃から近江は、浄土宗や浄土真宗が多かったがこちらは真言宗が目立つ



市の木イチョウをデザインした宇都宮市のマンホール



宇都宮藩刑場跡

首切り地蔵 右の地藏堂
元和7年(1621)、宇都宮城主本多正純が幕府から差し向けられた根来組百人衆に城普請を命じたが、これに従わなかったため全員を処刑した場所で、その首をここに埋めたという。

馬の彫刻の馬頭観音



馬頭尊



海道町信号 
江戸時代以前の「奥州海道」の名残か?



快晴で日差しがきつ舗装路歩き、街路樹はありがたい
並木には杉や檜が植えられている


稚児坂 平坦な道路が続くので坂道は気分転換に良い
坂の由来は白沢地蔵に詳しい


宇都宮市、旧河内町の花サギソウをデザインしたマンホール




【白沢宿着】 9:34 宇都宮駅から12.5km

白澤宿内標識
藪に覆われ見逃してしまいそう



 
白沢地蔵 境内には五輪塔、宝篋印塔、六地蔵、如意輪観音像など沢山ある
「鎌倉時代(建久年)源頼朝の命を受け、伊沢家景が奥州総奉行として鎌倉より東北に向かう途中、白沢稚児ヶ坂で子供が病気になり亡くなりました。
 その子をこの地に葬り地蔵堂と石塔を建てました。それから900年もの間、この地蔵堂は白沢南自治会(昔は上岡本村)の人々によって守られてきました。」



江戸時代の公衆便所跡
建物の中は見られなかった



白沢宿 桝形



白沢宿街並み
街路が整備され、道の両側を流れる用水路には水車が設置されている



駐在所が「番所跡」 左手に白髭神社の鳥居



本陣跡 駐在所の右手にある
「ここは江戸より三十里 江戸江 参拾里四町弐拾間(118.4㎞)  宇都宮江 弐里弐拾八町10.9㎞)」



白沢宿を振り返る
電柱が地中化されれば景観は更に良かったと思う



北の桝形

經力稲荷大明神 桝形の角にある



街並みの出口に九郷半川に架かる九郷半橋

橋の脇にある馬頭観音と道祖神



田植えの済んだ向こうに見えるのは鶏頂山だろうか

女峰や男体山など日光の山も見える



西鬼怒川橋
橋の手前に「右 江戸時代の鬼怒川の渡し」 立札




白澤の一里塚址碑 江戸日本橋より三十里目 10:15 宇都宮駅より14.7km
かつては鬼怒川の河原にあったが、度々の洪水で壊れてしまった



農業集落排水管マンホール
旧川内町の木ツゲ、周りに町の花サギソウをデザイン
下水道も都市部の公共下水道と農村地帯の農業集落排水があり役所の所管が違う



新川に架かる橋の袂に白沢宿内の立札



鬼怒川の堤防を歩く


鬼怒川の渡し跡



築堤紀念碑が


阿久津大橋
渡し跡の上流にある阿久津大橋を渡るが、交通量が多く長い橋なのに歩道が無く危ない


橋から鬼怒川下流 中州あたりが渡し


対岸 県民ゴルフ場



ここを曲る


民地にある大木



右は双体道祖神 左は? 
脇に石仏工忠利作と彫ってある 現代アートか?



 
将軍地蔵
源義家が奥州に進軍したとき鬼怒川釜ヶ渕の悪蛇のため進めません。宗円法師の祈りで将軍地蔵が出現して悪蛇を退散させたので、勝山城を守護する寺院として堂原に将軍山地蔵院満願寺を建てました。

境内にある焔魔堂の閻魔大王像

元禄8年(1695)の観音菩薩・延享元年(1744)の如意輪観音など




 
勝山城址
勝山城は鎌倉末期に氏家氏が築き、芳賀氏により強固な防御が完成。鬼怒川の崖を天然の要害とした崖端城(がけたんじょう)で宇都宮氏一族の防衛拠点で戦国時代には那須氏との攻防を繰り返しました、慶長二年(1597)宇都宮氏の改易に伴い廃城となった。




木造不動明王坐像
勝山城址隣接のさくら市ミュージアムにある関東最大級の木造不動明王坐像 (栃木県指定文化財)
氏家宿の光明寺の青銅不動明王の鋳型



 
お伊勢の森
水を張った田圃に浮島のように見えるが、藪に覆われ中に入れない
伊勢神宮の内宮・外宮とその他の末社を勧請したものが祀られていた



JR東北本線を旧奥州街道踏切




【氏家宿着】12:27 宇都宮駅から22.7km




氏家宿江戸口 馬頭観音・道標
北向地蔵と道標、馬頭観音が建てられている。道標の正面には「右江戸海道」、左側面には「左水戸かさま、下たて、下つま みち」と彫られている


さくら市(旧氏家町)のマンホール 鬼怒川を泳ぐアユをデザイン アユ?



氏家宿本陣跡


氏家宿街並み




寛方・タゴール公園
荒井寛方(1878-1945)はここに生まれ、日本画家を目指して巣立った。仏画を志した寛方は、原三渓やアジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖タゴールの知遇を受け、日本画の教授としてインドに渡った。


氏家宿脇本陣跡
村上自動車商会が、脇本陣・村上保助跡


氏家宿脇本陣跡
烏山信用金庫氏家中央支店(工事中) 脇本陣・石井孫兵衛跡




真言宗智山派の霊水山光明寺
宝暦九年(1759)鋳造、高さ3mの青銅不動明王像
さくら市ミュージアムに保管されている不動明王像を木型として鋳造された



本日はここまでで氏家駅に戻る





快晴で気温は高かったものの湿度は低く爽やかな季節
田植えが終わったばかりの水田も美しく気分爽快な一日でした
未だ歩けそうな時間でしたが太ももに違和感があり無理をしないことに
年齢を考えると一抹の不安はありますが
楽しくなってきた五街道歩きを何とか貫徹したいと思う今日この頃です


 ↓そんな訳で 押していただくとたすかります





 地図


参考1:「ちゃんと歩ける日光街道・奥州街道」 八木牧夫著 山と渓谷社
参考2:五街道ウオーク:上記本の著者八木牧夫さんのホームページ
参考3:電子足跡:GPSログがとても参考になります
参考4:きままに歩く
参考5:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社


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