上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

秩父34観音巡礼その3(20~25番札所)

2022年03月04日 | 遍路・巡礼
 行程
 2022年3月2日(水) 晴れ
 自宅6:20==55km==8:00札所20番 岩ノ上堂08:29----08:40札所21番観音寺08:52----09:27札所22番 華台山 童子堂09:32----09:56札所23番音楽寺10:19----11:17札所24番法泉寺11:39----12:46札所25番久昌寺13:00----13:05弁天茶屋13:30----13:54影森駅14:05===240円===14:13大野原駅---14:26旧秩父橋14:26---14:35札所20番 岩ノ上堂==55km==16:30自宅(走行距離110km、徒歩17.4km +408m -420m)



 秩父巡礼は出来るだけ順番に歩いて廻るよう心がけている
 本日は20番札所に車を置かせて頂き25番札所まで歩き秩父鉄道を使い20番札所に戻る行程


 【20番札所 臨在宗 法王山岩之上堂(ほうおうざん いわのうえどう)】本尊 聖観音
・秩父市寺尾2169

 納経所の開く午前8時に岩之上堂に着いた
 
 
 荒川河岸に建つ岩之上堂へ行くには
 他のお寺と違い階段を登るのではなく降りる


 
 観音堂
 手前にある大きな石灯籠は増上寺のものだろう
 よく見ると白いペンキの様なもので「20」の書き込みがある
 各寺にある増上寺の灯篭には白ペンキで番号がふってある様だ


 
 扁額には「岩上堂」

 
 木鼻には獏や獅子の彫刻
 #木鼻:社寺建築で,頭貫(かしらぬき)などの端が柱から突き出た部分。多く,装飾として象や貘などに似せた彫刻が施され,象鼻・貘鼻・拳鼻(こぶしば)ななどと呼ばれる。


 

 
 千羽鶴など堂内の飾り、猿にに似ている飾りは千匹猿とも呼ばれているそうだ
 #この飾りは瓔珞(ようらく)と呼ばれ仏像の首や胸にかける飾り物だが秩父札所では堂内の装飾にも用いられている

 
 
 熊野権現社
 本堂の裏の高台にある。中を覗いたが良く見えなかった
 

 
 観音霊験記
 「川向かいに住む孝行息子が病の老母を見舞うとき大雨で川が渡れないとき、童子に姿を変えた観音様が助けた」

 

 
 御朱印



 
 岩之上堂から案内板に沿って次の札所へ向かう
 荒川越しに武甲山を見ながら静かな道だ
 今日も一日武甲山を見ながらの巡礼になりそうだ


 
 路傍には江戸期からある石の道標
 「みぎ 廿一番」とある


 

 【21番札所 真言宗 要光山観音寺(ようこうざん かんのんじ)】本尊 聖観音
・秩父市寺尾2354

 
 観音寺は交通の激しい道路(県道72号秩父荒川線)に面しており道路を横断するのに苦労する


 
 本堂と道を挟んで駐車場があるが片隅に「中村十九十郎の墓」というのがある
 明治の田舎芝居の座頭で立役の名手とある
 立派な墓と看板があるので相当な有名人だったのだろう


 
 入口の六地蔵


 
 他にも古い地蔵が多数あり奥には宝篋印塔がある
 #宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種である。五輪塔とともに、石造の遺品が多い。


 

 
 本堂 扁額には「秩父廿一番」と大書してあり、「観音寺」では無く「矢之堂」と書かれている
 


 
 境内には「八幡宮」も同居


 
 どういうわけか芭蕉の句碑もある


 
 観音霊験記
 「八幡宮の社地であったが、神託により行基菩薩の刻んだ聖観音像を安置し霊場とした。武将の矢が納められたところ、火難に強いといわれる」


 

 
 御朱印



 

 
 21番観音寺から22番童子堂へは一江戸巡礼古道を歩く
 民家の庭先や畑のあちこちでフクジュソウが咲いていた


 
 巡礼道端の薬師堂


 
 江戸巡礼古道と明治巡礼古道があるらしい
 秩父札所連合会発行のパンフレットの地図にはその旨の案内は無い
 ホームページの地図には載っている
 22番には明治巡礼古道を行くらしい


 
 この様に道標がシッカリしているところとそうでもないところがあり迷う


 
 明治巡礼古道は畑野中を行く

 
 路傍の大日如来

 

 【22番札所 真言宗 華台山童子堂(かだいさん どうじどう)】本尊 聖観音
・秩父市寺尾3600


 
 入口の地蔵 後ろに武甲山
 地蔵の台座には二十二番入り口と刻まれている


 
 ここを左に進み22番童子堂へ、23番音楽寺へはここまで帰って右に進む


 
 山門手前の3地蔵?(昔は六地蔵だったのか?)


 
 藁ぶきの山門
 手前左に六地蔵、奥の右手が童子堂


 
 六地蔵

 
 山門の彫刻

 
 金剛力士「阿」

 
 「吽」
 なんとも素朴な仁王像、少しも怖くない
 口元は「阿」と「吽」で異なるが体型は同じで愛嬌がある


 
 とげぬき地蔵

 
 みがわり地蔵

 
 地蔵塚
 お地蔵さんの多いお寺、壊れたお地蔵さんが納められているそうだ


 
 真新しい不動明王像


 
 真言宗なので弘法大師も


 
 童子堂(観音堂)

 
 正面は逆光なので横から写した本堂
 手前に増上寺の石灯籠、奥は納経所となっている西陽山永福寺


 
 正面の桟唐戸の彫刻
 右が雷神、左は頭が鳥で体が人間の「迦陵頻伽(かりょうびんが)」

 
 扁額は真ん中に「童子堂」手前に「正観世音菩薩」



 
 納経所となっている西陽山永福寺
 江戸時代には「栄福寺」というお寺が童子堂を管理していたという


 
 販売していた手拭
 やはりここは可愛い仁王像が売りだ

 
 観音霊験記
 「讃岐の欲張りな長者が旅の僧に意地悪をしたところ息子が犬になってしまった。童子堂にお参りをしたところ元の姿に戻った」

 


 
 境内にある祠 神社の様だか何を祀っているのか?

 
 御朱印



 
 童子堂から明治だか江戸だか判らない道を歩くと如意輪観音堂があった


 
 所々の民家先にフクジュソウが咲いている


 

 
 車道を横断したりショートカットしながら音楽堂への道


 
 音楽寺の入口
 24番法泉寺への江戸巡礼古道長尾根道はここを左折する様だったが
 その旨案内が見つからず来た道を下ってしまった


 【23番札所 臨済宗 松風山音楽寺(しょうふうざん おんがくじ)】本尊 聖観音
・秩父市寺尾3773

 
 入口から入って直ぐにあるのは納経所
 観音堂はここを左に曲がる


 
 曲がると直ぐにあるのは稲荷大明神


 

 
 急な階段を登ると観音堂


 
 観音堂

 

 
 桟唐戸の彫刻


 
 木鼻の透かし彫りの様な彫刻


 
 鐘楼

 
 梵鐘には六観音が浮彫になっている
 

 
 観音堂の裏を少し登ると13体の仏像が武甲山に向かって建っている十三塚がある

 
秩父札所を開設した十三権者の像
 蔵王権現・熊野権現・閻魔大王以外はあまり知らない


 
 近くの植木には、木に纏わる映画や音楽の題名や歌手・歌詞などが表示されている
 音楽寺を意識した表示だろう


 
 観音霊験記
 「内山源蔵は老母より音楽寺の守り仏の御影を懐中に入れ出陣し勝利、後に出家して観音を供養したと云う」

 

 
 御朱印
 真ん中には「小鹿坂大悲殿」とある。小鹿坂には上記の縁起がある


 

 
 納経所前の白梅(樹齢254年)は満開
 樹齢の一桁部分は日めくりの様になっている


 
 二十二夜碑
 道を間違え一度車道まで降り途中から江戸巡礼古道に戻る
 音楽寺からはここへ下る


 
 更に江戸巡礼古道を24番法泉寺まで歩こうと思うと
 迂回を勧める表示があり迂回路へ向かった
 県道72号秩父荒川線まで降りると地元の方から声を掛けられ
 山歩きスタイルの自分に
 「その恰好なら古道を歩いた方が良かった。あちらの道の方が楽しい。」
 と言われ残念に思った



 【24番札所 臨済宗 光智山法泉寺(こうちざん ほうせんじ)】本尊 聖観音
・秩父市別所1586


 

 
 道迷いをしながら歩くと法泉寺の上にある白山神社に出た
 この神社の御朱印は法泉寺で貰える(御朱印を書く人は神官なのだろうか僧侶なのだろうか?)


 
 階段脇の一休さん 後ろに武甲山 
 正面から入るには116段の急階段を登り一休さんと共に一休みするのだろうが
 白山神社からくるといきなりここに出る


 
 正面からはこの階段を登って来る


 
 本堂(観音堂)
 正面左右が格子で区切られ中に金剛力士が配置されている
 本堂に仁王門がくっついている形

 

 
 「阿」

 
 「吽」


 
 観音霊験記
 「恋ヶ窪の遊女が口の中の病気になった所へ秩父の修行僧が来て、この白山の観音様を信じて楊枝を使ったら治った」

 
 

 
 階段横には屋台風食堂が営業

 
 御朱印



 
 法泉寺からまた江戸巡礼古道を歩く


 
 通行止めのためかなりの遠回り

 
 馬頭尊碑
 

 
 荒川を挟んで対岸に何時も武甲山が見える
 白梅越しに見る武甲山


 
 法泉寺に飾ってあった嘗ての武甲山の写真
 山頂附近も採掘されたため山頂は30m以上下がった地点に移動した

 

 

 
 この先の沢で渡る場所が解らず沢沿いに下がって県道秩父荒川線に出た


 
 県道から再び古道に戻る

 

 【25番札所 曹洞宗 岩谷山久昌寺(いわやさん きゅうしょうじ)】本尊 聖観音
・秩父市別所1586


 
 江戸巡礼古道を出ると久昌寺の山門
 山門と観音堂の間を車道が通ている


 
 山門には久昌寺ではなく「御手判寺」の額

 


 
 山門から車道を横断し観音堂へ


 
 観音堂


 
 観音堂の扁額は「円通閣」
 

 
 「御手判寺 閻魔大王」と書かれた額も


 
 秩父札所を拓いた十三権者の一人性空商人が閻魔大王から貰った石の手形があるという
 この御手判はあの世へ無事行ける通行手形
 閻魔大王も十三権者の一人


 
 周りには龍や獏・唐獅子などが彫刻されている


 
 地蔵堂

 
 地蔵堂近くに壊れた石灯籠や地蔵が積んである
 これも地蔵塚か?


 
 久昌寺(御手判寺)は観音堂が本堂ではなく
 弁天池を挟んで対岸に本堂や弁天堂などの堂宇が建つ


 
 弁天堂 中には極彩色の弁財天が祀られているそうだが覗いても見ることは出来なかった

 
 周囲の彫り物は色鮮やか


 
 本堂 本尊は阿弥陀如来

 
 観音霊験記
「昔、欲深な女が山にこもって悪業をかさねた村人は思いあまって
 女を荒川に投げ入れたが一命を取り留め、其の後鬼女は女の子を出産したが
 親に似ず美しい心の持ち主で此の地に観音堂を建て母の菩提を弔ったと云う」 

 
 御朱印
 


 御手判寺から少し下った所に蕎麦屋があった
 午後1時を周った所なのでここで昼食

 

 
 ランチ 850円
 ゆっくり休もうと思ったが帰りの電車の時間を見ると
 そうも言ってられず急いで店を出た


 
 影森駅 後ろに武甲山
 最寄りの駅は浦山口駅だが電車の本数が少ないので
 次の影森駅まで歩いた

 


 
 大野原駅 入口付近には駅名を示す表示見当たらない
 影森駅から4駅目の大野原駅から歩いて


 
 改装中の秩父橋を通り


 
 20番札所岩之上堂へ戻った
 
 



 家を出るときは20番から25番まで歩き
 県道72号秩父荒川線を帰る予定だったが
 72号線には歩道の無いところもありかなりの交通量
 25番札所で疲れ果てたので予定を変更して秩父鉄道で帰ることにした
 秩父鉄道は比較的細かく駅があるのでこのエリアを歩くときは便利
 残りの9寺をどう巡るか悩むところです

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