熊野大社(島根県松江市)を掲載しました。
熊野大社(くまのたいしゃ)
<通称>出雲一宮・日本火出初社(いずもいちのみや・ひのもとひでぞめのやしろ)
【鎮座地】〒690-2104 島根県松江市八雲町熊野2451 旧出雲国 意宇郡
【御祭神】櫛御食野命
【例祭】 4月13日 御櫛祭 10月14日 例大祭 毎月1日1・15日 月次祭
【旧社格等】国幣大社 (現別表神社)
出雲國一の宮
式内社 出雲國意宇郡 熊野坐神社(名神大)
【御由緒】
出雲國一之宮
延喜式名神大社 熊野大社
御祭神 神祖熊野大神櫛御気野命(かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)
御神名は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御尊称で、神祖とは出雲大社の大国主神を始め神々の親なる神、御気野とは御食を主として人々の衣食住に広く、尊い御神威をみちびかれて日ごとに蘇生(よみがえり)の縁を結ばれるムスビノ大神との意です。
御由緒
日本書紀(七二〇)は六五九年に出雲国造が斉明天皇の勅で巌神の宮を造営したと記し、出雲の国風土記(七三三)は国内の一八六社で大社の称号を有する神社として熊野大社と杵築大社(出雲大社)を掲げ「出雲國一之宮」の崇敬を表しています。特に、御祭神が初めて鑽火(さんか)されたので日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも称します。
古来、出雲国造(出雲大社宮司)の襲職は神聖な鑽火器拝戴の儀式を参向して仕える伝統があり、今も変わることなく行われています。
(社頭由緒掲示板より)
松江市の中心部から南におよそ15㎞、山間の町、八雲町熊野(旧八束郡八雲村熊野)にあります。県道53号線(大東東出雲線)沿いの熊野郵便局そばに一の鳥居です。
鳥居左の社号標には「出雲國一之宮 熊野大社」昭和戌午遷宮二十周年記念 平成十年四月十二日建立とあります。
八岐大蛇を退治した須佐之男命が詠んだ歌
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」
参拝時、ちょうど八雲町の名前のとおり、八雲が沸き立っていました。
熊野の地名について出雲國風土記(733)には、クマクマシクして神が鎮まるのに適しい処を「熊」と名づけて聖地とみなしています。
二の鳥居
一の鳥居左側の駐車場から参道を直進すると朱の欄干の神橋の前にわりと新しい鉄筋コンクリート製、昭和51年奉納の鳥居です。鳥居右に由緒掲示板、左に大きな自然石の社号標があります。
神橋(八雲橋)から境内入口の鳥居(三の鳥居)
社殿のある境内へは意宇川に架かる、昭和58年竣工の「八雲橋」を渡ります。
「八雲橋」を渡ると、平成10年(1998)12月26日昭和戊午遷宮20周年記念事業として建替えられた三の鳥居です。
随神門から拝殿
三の鳥居をくぐると直ぐ左に手水舎、正面階段上にみごとな大注連縄の随神門です。
大注連縄は熊野大社昭和戊午遷宮20周年記念事業として拝殿と共に平成12年(2000)架け替えられています。
拝殿随神門を入ると玉砂利の敷き詰められた広い境内です。
正面参道から一段上に拝殿です。背後は鬱蒼とした樹木に囲まれています。拝殿左は授与所です。
拝殿から本殿
神紋はシンプルな亀甲に「大」一文字です。本殿は瑞垣内にあります。現在の本殿は終戦直後の昭和22年(1947)の竣工の大社造、当時の屋根は柿葺でしたが、昭和53年銅板葺きとされました。
本殿
御祭神は社頭由緒に神祖熊野大神櫛御気野命とありますが、由緒略記には「伊射那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」とあり、
伊射那伎日真名子は、イザナギ・イザナミの可愛い御子、加夫呂伎は、神祖と同じで神聖な祖神、熊野大神櫛御気野命は、熊野に坐す尊い神の櫛御気野命という意味で、素戔嗚尊の別名とされています。
社名は出雲國風土記に熊野大社、出雲神社巡拝記に熊野大神宮、延喜式には熊野坐神社とあります。創始は日本書紀に斉明5年(659)と記されています。
境内摂社・伊邪那美神社
瑞垣内、本殿左にあります、社前に神門があり拝所となっています。御祭神は社名のとおり伊邪那美命、上の宮の本殿を移築したもので、明治41年、旧熊野村11地区の式内社を含めた神社・小祠が奉遷合祀されています。
御祭神は「平成祭データ」には
【祭神】伊邪那美命
(合祀)磐坂日子命 埴山姫命 稚産靈命 天兒屋根命 猿田彦命 天宇受賣命 五十猛命 麓山祇命 爾保都比賣命 山雷神 速玉之男命 天照大神 月夜見命 天熊人 保食命 事解男命 速玉之男命 岐神 長道磐神 煩神 開囓神 道敷神 八雷神 菊利姫命 泉守道命 須佐之男命 大山祇命 大國主命 蛭子命 足仲彦尊 氣長足姫尊 譽田別尊
とあります。
境内摂社・稲田神社瑞垣内、本殿右にあります、
当社も社前に神門があり拝所となっています。御祭神は素戔嗚尊の御后・奇稻田姫命、父君・脚摩乳命、母君・手摩乳命の三柱、少彦名命と武御名方神が合祀されています。
鑽火殿(さんかでん) 境内左(西側)にあります。
大正4年(1915年)の造営。鑽火祭等、重要な神事に使用する神器が奉安されています。
鑽火殿(さんかでん)
御祭神スサノオノ大神は「檜の臼:卯木の杵」で火を鑽り出す法を教えられた。熊野大社は「日本火出初社(ひのもとひでそめのやしろ)」とも鑽えます。
出雲國造(出雲大社宮司)は、大神の霊幸い給う神器の燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりきね)を拝載し、鑽火して「火継=霊継」の式を仕えなければ、その職を襲職することが出来ません。大神の霊威を戴き神性國造となります。
この鑽火殿はその古伝由緒を伝える建物であり、神器が奉安してあります。
毎年十月十五日の鑽火祭は古来からのしきたりの重儀であり、出雲國造が神器を拝載するために参向して神人の神歌・琴板」によって榊舞百番を納めて神慮一体の祝寿をします。これに先立って特殊な”亀大夫神事”が奉仕されます。
(現地案内板より)
境内末社・荒神社境内左奥、本殿の瑞垣の外にあります。
御祭神は素戔嗚尊、相殿に高龗,闇龗,闇罔象、明治39年(1906)の「一村一社」の制により旧熊野11地区の各荒神社は、明治41年(1908)ここに合祀されました。
荒神社の右横に「御神水」があり、新しい青竹の注ぎ口がつけられていました
境内末社・稲荷神社荒神社の左にあります。
御祭神は素戔嗚尊の御子神の倉稲魂神です。
舞殿境内右にあります。
もと拝殿だった建物を昭和53年(1973年)に移築したものです。平成12年(2000)屋根の葺替えが行われています。
社殿全景
写真左から随神門、その右前には神社につきものの土俵があります。右奥に舞殿、中央に拝殿から本殿です。
拝殿から随神門
参拝当日(10月20日(月曜))、境内にテントと紅白の垂れ幕が設置されていましたが、鑽火祭の名残りか第4日曜日に行われる御狩安全祈願祭への準備でしょうか?
随神門から神橋(八雲橋)
随神門前に年代を感じさせるかなり大きな狛犬があります。
「八雲立つ、、」の歌碑随神門手前左にあります。
碑文に「前略、、揮毫者は宮中歌会始選者で昭和女子大学教授の木俣修先生、、中略、、昭和41年 陽春」とあります。
神橋(八雲橋)から意宇川
当地は意宇川の源流に近く川幅は狭いです。この上流500mの御笠山の麓に明治以前まで鎮座していた当社の「上の宮」跡があります。
熊野大社「上の宮」跡のご案内
この意宇川の川上五百メートル、御笠山の麓に熊野大社の「上の宮」跡があります。
熊野大社は古代、意宇川の源流である熊野山(現在の天狗山)にありましたが、中世より里に下り近世末まで「上の宮」「下の宮」(現在の当社)の二社祭祀の形態をとりました。
「上の宮」には紀伊国の熊野信仰の影響を受け伊弉冉尊・事解男神・速玉男神を祀る神社が、また「下の宮」には天照大神・須戔嗚尊等を祀る神社が造営されておりました。
明治時代に至り「上の宮」の神社は、政府による神社制度の改正を機に「下の宮」であった現在の熊野大社へ奉遷合祀されました。
「上の宮」跡背後の御笠山の頂上付近からは、熊野大社の元宮があった熊野山が拝され、遥拝所が設けられています。
また登山道途中には、洗眼すると眼病に効き、あるいは産婦がこの水を服すと母乳が満ち足りると言う御神水「明見水」が巨岩から滴り落ちています。
熊野大社
(社頭案内板より)
熊野大社(くまのたいしゃ)
<通称>出雲一宮・日本火出初社(いずもいちのみや・ひのもとひでぞめのやしろ)
【鎮座地】〒690-2104 島根県松江市八雲町熊野2451 旧出雲国 意宇郡
【御祭神】櫛御食野命
【例祭】 4月13日 御櫛祭 10月14日 例大祭 毎月1日1・15日 月次祭
【旧社格等】国幣大社 (現別表神社)
出雲國一の宮
式内社 出雲國意宇郡 熊野坐神社(名神大)
【御由緒】
出雲國一之宮
延喜式名神大社 熊野大社
御祭神 神祖熊野大神櫛御気野命(かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)
御神名は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御尊称で、神祖とは出雲大社の大国主神を始め神々の親なる神、御気野とは御食を主として人々の衣食住に広く、尊い御神威をみちびかれて日ごとに蘇生(よみがえり)の縁を結ばれるムスビノ大神との意です。
御由緒
日本書紀(七二〇)は六五九年に出雲国造が斉明天皇の勅で巌神の宮を造営したと記し、出雲の国風土記(七三三)は国内の一八六社で大社の称号を有する神社として熊野大社と杵築大社(出雲大社)を掲げ「出雲國一之宮」の崇敬を表しています。特に、御祭神が初めて鑽火(さんか)されたので日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)とも称します。
古来、出雲国造(出雲大社宮司)の襲職は神聖な鑽火器拝戴の儀式を参向して仕える伝統があり、今も変わることなく行われています。
(社頭由緒掲示板より)
松江市の中心部から南におよそ15㎞、山間の町、八雲町熊野(旧八束郡八雲村熊野)にあります。県道53号線(大東東出雲線)沿いの熊野郵便局そばに一の鳥居です。
鳥居左の社号標には「出雲國一之宮 熊野大社」昭和戌午遷宮二十周年記念 平成十年四月十二日建立とあります。
八岐大蛇を退治した須佐之男命が詠んだ歌
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」
参拝時、ちょうど八雲町の名前のとおり、八雲が沸き立っていました。
熊野の地名について出雲國風土記(733)には、クマクマシクして神が鎮まるのに適しい処を「熊」と名づけて聖地とみなしています。
二の鳥居
一の鳥居左側の駐車場から参道を直進すると朱の欄干の神橋の前にわりと新しい鉄筋コンクリート製、昭和51年奉納の鳥居です。鳥居右に由緒掲示板、左に大きな自然石の社号標があります。
神橋(八雲橋)から境内入口の鳥居(三の鳥居)
社殿のある境内へは意宇川に架かる、昭和58年竣工の「八雲橋」を渡ります。
「八雲橋」を渡ると、平成10年(1998)12月26日昭和戊午遷宮20周年記念事業として建替えられた三の鳥居です。
随神門から拝殿
三の鳥居をくぐると直ぐ左に手水舎、正面階段上にみごとな大注連縄の随神門です。
大注連縄は熊野大社昭和戊午遷宮20周年記念事業として拝殿と共に平成12年(2000)架け替えられています。
拝殿随神門を入ると玉砂利の敷き詰められた広い境内です。
正面参道から一段上に拝殿です。背後は鬱蒼とした樹木に囲まれています。拝殿左は授与所です。
拝殿から本殿
神紋はシンプルな亀甲に「大」一文字です。本殿は瑞垣内にあります。現在の本殿は終戦直後の昭和22年(1947)の竣工の大社造、当時の屋根は柿葺でしたが、昭和53年銅板葺きとされました。
本殿
御祭神は社頭由緒に神祖熊野大神櫛御気野命とありますが、由緒略記には「伊射那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」とあり、
伊射那伎日真名子は、イザナギ・イザナミの可愛い御子、加夫呂伎は、神祖と同じで神聖な祖神、熊野大神櫛御気野命は、熊野に坐す尊い神の櫛御気野命という意味で、素戔嗚尊の別名とされています。
社名は出雲國風土記に熊野大社、出雲神社巡拝記に熊野大神宮、延喜式には熊野坐神社とあります。創始は日本書紀に斉明5年(659)と記されています。
境内摂社・伊邪那美神社
瑞垣内、本殿左にあります、社前に神門があり拝所となっています。御祭神は社名のとおり伊邪那美命、上の宮の本殿を移築したもので、明治41年、旧熊野村11地区の式内社を含めた神社・小祠が奉遷合祀されています。
御祭神は「平成祭データ」には
【祭神】伊邪那美命
(合祀)磐坂日子命 埴山姫命 稚産靈命 天兒屋根命 猿田彦命 天宇受賣命 五十猛命 麓山祇命 爾保都比賣命 山雷神 速玉之男命 天照大神 月夜見命 天熊人 保食命 事解男命 速玉之男命 岐神 長道磐神 煩神 開囓神 道敷神 八雷神 菊利姫命 泉守道命 須佐之男命 大山祇命 大國主命 蛭子命 足仲彦尊 氣長足姫尊 譽田別尊
とあります。
境内摂社・稲田神社瑞垣内、本殿右にあります、
当社も社前に神門があり拝所となっています。御祭神は素戔嗚尊の御后・奇稻田姫命、父君・脚摩乳命、母君・手摩乳命の三柱、少彦名命と武御名方神が合祀されています。
鑽火殿(さんかでん) 境内左(西側)にあります。
大正4年(1915年)の造営。鑽火祭等、重要な神事に使用する神器が奉安されています。
鑽火殿(さんかでん)
御祭神スサノオノ大神は「檜の臼:卯木の杵」で火を鑽り出す法を教えられた。熊野大社は「日本火出初社(ひのもとひでそめのやしろ)」とも鑽えます。
出雲國造(出雲大社宮司)は、大神の霊幸い給う神器の燧臼(ひきりうす)・燧杵(ひきりきね)を拝載し、鑽火して「火継=霊継」の式を仕えなければ、その職を襲職することが出来ません。大神の霊威を戴き神性國造となります。
この鑽火殿はその古伝由緒を伝える建物であり、神器が奉安してあります。
毎年十月十五日の鑽火祭は古来からのしきたりの重儀であり、出雲國造が神器を拝載するために参向して神人の神歌・琴板」によって榊舞百番を納めて神慮一体の祝寿をします。これに先立って特殊な”亀大夫神事”が奉仕されます。
(現地案内板より)
境内末社・荒神社境内左奥、本殿の瑞垣の外にあります。
御祭神は素戔嗚尊、相殿に高龗,闇龗,闇罔象、明治39年(1906)の「一村一社」の制により旧熊野11地区の各荒神社は、明治41年(1908)ここに合祀されました。
荒神社の右横に「御神水」があり、新しい青竹の注ぎ口がつけられていました
境内末社・稲荷神社荒神社の左にあります。
御祭神は素戔嗚尊の御子神の倉稲魂神です。
舞殿境内右にあります。
もと拝殿だった建物を昭和53年(1973年)に移築したものです。平成12年(2000)屋根の葺替えが行われています。
社殿全景
写真左から随神門、その右前には神社につきものの土俵があります。右奥に舞殿、中央に拝殿から本殿です。
拝殿から随神門
参拝当日(10月20日(月曜))、境内にテントと紅白の垂れ幕が設置されていましたが、鑽火祭の名残りか第4日曜日に行われる御狩安全祈願祭への準備でしょうか?
随神門から神橋(八雲橋)
随神門前に年代を感じさせるかなり大きな狛犬があります。
「八雲立つ、、」の歌碑随神門手前左にあります。
碑文に「前略、、揮毫者は宮中歌会始選者で昭和女子大学教授の木俣修先生、、中略、、昭和41年 陽春」とあります。
神橋(八雲橋)から意宇川
当地は意宇川の源流に近く川幅は狭いです。この上流500mの御笠山の麓に明治以前まで鎮座していた当社の「上の宮」跡があります。
熊野大社「上の宮」跡のご案内
この意宇川の川上五百メートル、御笠山の麓に熊野大社の「上の宮」跡があります。
熊野大社は古代、意宇川の源流である熊野山(現在の天狗山)にありましたが、中世より里に下り近世末まで「上の宮」「下の宮」(現在の当社)の二社祭祀の形態をとりました。
「上の宮」には紀伊国の熊野信仰の影響を受け伊弉冉尊・事解男神・速玉男神を祀る神社が、また「下の宮」には天照大神・須戔嗚尊等を祀る神社が造営されておりました。
明治時代に至り「上の宮」の神社は、政府による神社制度の改正を機に「下の宮」であった現在の熊野大社へ奉遷合祀されました。
「上の宮」跡背後の御笠山の頂上付近からは、熊野大社の元宮があった熊野山が拝され、遥拝所が設けられています。
また登山道途中には、洗眼すると眼病に効き、あるいは産婦がこの水を服すと母乳が満ち足りると言う御神水「明見水」が巨岩から滴り落ちています。
熊野大社
(社頭案内板より)
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