![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/8b/b09631c6021d1baee5e1dbe00e2e7850.jpg)
椿八幡宮(福岡県飯塚市)を掲載しました。
椿八幡宮(つばきはちまんぐう)
【鎮座地】〒820-0084 福岡県飯塚市椿352 旧筑前国 穂波郡
【御祭神】品陀別命 息長足姫命 足仲彦命 武内宿禰命
【例祭】1月1日 歳旦祭 10月第2土曜日 秋季例祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
椿八幡宮由来の記
御祭神
・品陀別命 (第十五代應神天皇)
・息長足姫命(神功皇后・應神天皇御生母)
・武内宿祢命(神功皇后付き人)
神功皇后が新羅、百済、高句麗よりの帰途この地に立ち寄られ、その折り堅い木で作られた御剣(みつるぎ)の鍔を奉納され、日本の平和と繁栄を祈願された所と伝えられており、これにより「ツバキ」(椿)の名が起ったといわれています。
当社は、八九七年(寛平九年)勅命により当時九州の政治外交を司った大宰府政庁が創建し、穂波新宮と云われ、椿庄の惣社として氏子はもとより広く朝廷幕府の崇敬厚く、政庁の官人等も礼を尽くして参拝していたと云われています。これが「椿八幡宮」の起こりです。
その後、幾度かの再建、再興がなされ現在に至っていますが最盛時には穂波郡全村を管轄していたと言い伝えられています。
飯塚市教育委員会
(境内案内板より)
飯塚市の西部旧嘉穂郡穂波町にあります。椿地区の県道60号線(飯塚大野城線)沿いに大鳥居があります。
参道入口の鳥居![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/b3/6dbac4c9acdae3cd3978115dece772af.jpg)
県道沿いの鳥居からおよそ100m進むと小さな太鼓橋があり、鳥居から直線に延びる参道が続きます。
境内入口の鳥居![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/5b/91ef0f54f2b06f9a5325b3b6c019887e.jpg)
参道から拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/25/d7ffc579657a50983de347edb46d850d.jpg)
階段を上り境内入口の鳥居をくぐると右手に手水舎、参道途中には注連縄柱があり、参道脇には一対の狛犬があります。
拝殿
昭和49年11月改修工事が竣工しました。
拝殿の絵馬
拝殿には多数の絵馬が奉納されています。
本殿![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/bb/d1a517a1d8662781ad15e4e8f735795b.jpg)
神功皇后が三韓征伐からの帰途、立寄られ御剣の鍔を奉納された所と伝えられていて、椿の地名の起源とされています。
寛平九年(897年)勅命により大宰府政庁が創建し、穂波新宮と云われ椿庄の惣社として朝廷幕府の崇敬厚く、政庁の官人等も参拝されたと伝えられています。
穂波町の名木、樅ノ木から本殿
本殿右に穂波町の名木(樹高:約20m、幹廻り:2.2m)の樅ノ木があります。
境内から参道
椿八幡宮(つばきはちまんぐう)
【鎮座地】〒820-0084 福岡県飯塚市椿352 旧筑前国 穂波郡
【御祭神】品陀別命 息長足姫命 足仲彦命 武内宿禰命
【例祭】1月1日 歳旦祭 10月第2土曜日 秋季例祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
椿八幡宮由来の記
御祭神
・品陀別命 (第十五代應神天皇)
・息長足姫命(神功皇后・應神天皇御生母)
・武内宿祢命(神功皇后付き人)
神功皇后が新羅、百済、高句麗よりの帰途この地に立ち寄られ、その折り堅い木で作られた御剣(みつるぎ)の鍔を奉納され、日本の平和と繁栄を祈願された所と伝えられており、これにより「ツバキ」(椿)の名が起ったといわれています。
当社は、八九七年(寛平九年)勅命により当時九州の政治外交を司った大宰府政庁が創建し、穂波新宮と云われ、椿庄の惣社として氏子はもとより広く朝廷幕府の崇敬厚く、政庁の官人等も礼を尽くして参拝していたと云われています。これが「椿八幡宮」の起こりです。
その後、幾度かの再建、再興がなされ現在に至っていますが最盛時には穂波郡全村を管轄していたと言い伝えられています。
飯塚市教育委員会
(境内案内板より)
飯塚市の西部旧嘉穂郡穂波町にあります。椿地区の県道60号線(飯塚大野城線)沿いに大鳥居があります。
参道入口の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/b3/6dbac4c9acdae3cd3978115dece772af.jpg)
県道沿いの鳥居からおよそ100m進むと小さな太鼓橋があり、鳥居から直線に延びる参道が続きます。
境内入口の鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/5b/91ef0f54f2b06f9a5325b3b6c019887e.jpg)
参道から拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/3e/64d814c73a1a341cbf9d102ceb13ce3e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/25/d7ffc579657a50983de347edb46d850d.jpg)
階段を上り境内入口の鳥居をくぐると右手に手水舎、参道途中には注連縄柱があり、参道脇には一対の狛犬があります。
拝殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/67/5895a1060d9f0a05d8657eb6c3666ca1.jpg)
拝殿の絵馬
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/3f/cb25d0c26a60be5b04bf9f42d6d25b7b.jpg)
本殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/bb/d1a517a1d8662781ad15e4e8f735795b.jpg)
神功皇后が三韓征伐からの帰途、立寄られ御剣の鍔を奉納された所と伝えられていて、椿の地名の起源とされています。
寛平九年(897年)勅命により大宰府政庁が創建し、穂波新宮と云われ椿庄の惣社として朝廷幕府の崇敬厚く、政庁の官人等も参拝されたと伝えられています。
穂波町の名木、樅ノ木から本殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/fa/55a78cbe53611f7a8db430834c362cd2.jpg)
境内から参道
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d5/a0986a25926df2d570b55975f280d717.jpg)
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