豊前側の福智上宮神社です。
当社は直方市の南に隣接する福智町(旧田川郡赤池町)にある福智下宮神社、福智中宮神社の上宮です。
福智上宮神社(ふくちじょうぐうじんじゃ)
【鎮座地】〒822-1102福岡県田川郡福智町上野1686(福智山山頂)旧豊前国 田川郡
福岡縣神社誌には田川郡赤池町大字上野 福智山とあります。
【御祭神】伊弉諾命 大己貴命 保食命
【例祭】 記載なし
【旧社格等】無格社
【御由緒】
郷社福智神社御由緒
当社は白鳳13甲申年*1福智高山の絶頂にありて企救田川両郡各12ケ村及筑前粥田郷12ケ村の崇敬神社にして信仰者多数なりしも何分山岳険峻の坂路にて参拝甚だ困難を極め且つ社殿も風霧のため破損し易し って延寶二寅年*2現在の地に一社を建設鎮祭せしものなり爾来祭祀盛んに行われ遠近の男女参拝著しく増加して近郊有名の大社となれり
毎年10月1日を以て御獅子起こしをなし式地12ケ村(上野、鋤木田、能方、草場、市津、石松、赤池、神崎、南木、大熊、金田、弁城)を廻り神事を奉仕せり殊に 藩主小笠原忠雄公尊信篤く、正徳二年*3自筆福智大権現の額を献納し同年十月社領米高六石を奉納せられ祭時には必ず代参を遣し国家安全武運長久を祈願し並びに相撲の義ありを永式とせられしも廃藩と共に止む。是より御獅子廻郷区域も減少し社運も昔日の如くならざるは實に遺憾なり今や皇威益輝き敬神崇祖盛に唱導せらるるの際此光輝ある歴史を有する靈社の発展に努めたく御由緒を略記し大衆の協賛を仰ぐ。
(平成祭データ 福智下宮神社より)
註:白鳳13甲申年*1(684年)、延寶二寅年*2(1674年)、正徳二年*3(1712年)
山頂から
筑前國續風土記拾遺に「(此時豊前國にも亦石祠を建立す。山頭?南方に在)」とあるように10数m南に下った位置にあります。
左側面から正面
石祠内部3体の石像があります。右には「福智神社御霊」のお札があります。
後方から社前麓、福智町上野に中宮、外宮が鎮座しています。
頂上を望む
天気予報のとおり雲がでてきました。
当社は直方市の南に隣接する福智町(旧田川郡赤池町)にある福智下宮神社、福智中宮神社の上宮です。
福智上宮神社(ふくちじょうぐうじんじゃ)
【鎮座地】〒822-1102福岡県田川郡福智町上野1686(福智山山頂)旧豊前国 田川郡
福岡縣神社誌には田川郡赤池町大字上野 福智山とあります。
【御祭神】伊弉諾命 大己貴命 保食命
【例祭】 記載なし
【旧社格等】無格社
【御由緒】
郷社福智神社御由緒
当社は白鳳13甲申年*1福智高山の絶頂にありて企救田川両郡各12ケ村及筑前粥田郷12ケ村の崇敬神社にして信仰者多数なりしも何分山岳険峻の坂路にて参拝甚だ困難を極め且つ社殿も風霧のため破損し易し って延寶二寅年*2現在の地に一社を建設鎮祭せしものなり爾来祭祀盛んに行われ遠近の男女参拝著しく増加して近郊有名の大社となれり
毎年10月1日を以て御獅子起こしをなし式地12ケ村(上野、鋤木田、能方、草場、市津、石松、赤池、神崎、南木、大熊、金田、弁城)を廻り神事を奉仕せり殊に 藩主小笠原忠雄公尊信篤く、正徳二年*3自筆福智大権現の額を献納し同年十月社領米高六石を奉納せられ祭時には必ず代参を遣し国家安全武運長久を祈願し並びに相撲の義ありを永式とせられしも廃藩と共に止む。是より御獅子廻郷区域も減少し社運も昔日の如くならざるは實に遺憾なり今や皇威益輝き敬神崇祖盛に唱導せらるるの際此光輝ある歴史を有する靈社の発展に努めたく御由緒を略記し大衆の協賛を仰ぐ。
(平成祭データ 福智下宮神社より)
註:白鳳13甲申年*1(684年)、延寶二寅年*2(1674年)、正徳二年*3(1712年)
山頂から
筑前國續風土記拾遺に「(此時豊前國にも亦石祠を建立す。山頭?南方に在)」とあるように10数m南に下った位置にあります。
左側面から正面
石祠内部3体の石像があります。右には「福智神社御霊」のお札があります。
後方から社前麓、福智町上野に中宮、外宮が鎮座しています。
頂上を望む
天気予報のとおり雲がでてきました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます