今週もなにかと多忙で更新できませんでしたが、先日の続きです。
天孫降臨の槵觸神社から高千穂町の中心部に鎮座のその名も高千穂神社に向いました。
当社は高千穂皇神(天孫瓊々杵尊、木花開耶姫以下三代の神々)をお祀りし、人皇第十一代垂仁天皇の御代の創建の六国史に記録されている、由緒ある古社で、当地の総鎮守として人々の篤い信仰を集めてきました。
参道入口の鳥居
拝殿一の鳥居をくぐると大きな木々に覆われ薄暗い参道を上りきると
正面に拝殿、右手に授与所があります。
境内には夫婦杉秩父杉など大木が多数あります。
源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し、重忠手植の秩父杉は800年経過した今も社殿前に健在です。
社殿全景
参拝の後、お札・ご朱印をいただき、つぎの目的地高千穂峡(五ヶ瀬渓谷)に向いました。
こちらは阿蘇山の噴火の溶岩で浸食されてできた絶景の渓谷です。
高千穂神社からは数分で到着です。入口で駐車場は満杯で暫く待つことになるとのことでしたが、着くと丁度1台空いたところで無事?(軽自動車用でかなりせまくドアも一杯には開けられずカメラなど持ち出すのに苦労しましたが)見物となりました。
ここでも撮影ポイントがわからず失敗しました、真名井の滝を見下ろす橋の上から撮影しましたが、以前先輩から見せていただいたのとアングルが違うようで不思議に思っていました。あとで貸しボートの乗り場の方に降りて行くのだと解り納得しました。
つぎは高千穂最後の目的地、国見ヶ丘です。
国見ヶ丘(標高513m)
神武天皇の御孫建磐龍命(たけいわたつのみこと)が筑紫の国の統治の命を受け、下日向県(しもひゅうがあがた)を経て阿蘇に向かわれ、途中この地で四方をのぞまれた。これにより「国見ヶ丘」と伝えられている。
丘の西方麓の中畑神社は命をお祀りしてある。東に五ヶ瀬川清流に沿って古代文化を豊富に有する高千穂盆地・西には阿蘇外輪山や五岳が横たわっている。
北には九州の屋根祖母山(標高1757m)の連峰がそびえ、南には「二上峰」に続く椎葉の山々が連なっている。(現地案内板)
国見をする建磐龍命
高千穂盆地
秋から初冬のよく晴れた冷え込んだ朝発生する雲海も一度は見たいものです。
有名な民謡「刈干切唄」はこの付近が中心地です。
刈干切り(説明)
神話のふる里高千穂には古くから唄い伝わる民謡「刈干切唄(かりぼしきりうた)」がある。
刈干切りとは冬の間牛馬の餌にするため初秋から晩秋にかけて背の丈ほどの山々の草を大鎌で切り、束にして積み上げ保存する農作業のことである。「刈干切唄」はこの作業のときに唄われてきた農家の人々の労働歌である。昔のきびしい生活の中から生まれた哀調のメロディは高千穂ならではの素朴さがある。
○草を積み上げて保存するものを「とうぶ」「び」と言う
高千穂町 (現地案内板より)
刈干切唄
ここの山の刈干しゃすんだよ
明日はたんぼで稲刈ろかよ
もはや日暮れじゃ追々かげるよ
駒よいぬるぞ馬草負えよ
秋もすんだよ田の畦道をよ
あれも嫁じゃろ灯が五つよ
歌でやらかせこれ位の仕事よ
仕事苦にすりゃ日が永いよ
高い山々どの山見てもよ
霧のかからぬこの山はないよ
お聞きになりたい方はつぎからどうぞ。
http://www.miya-shoko.or.jp/takachiho/tearoom/kariboshi/kariboshi.html
http://www.humio.com/page043.html
帰りは国道218号線で熊本県山都町から途中男成神社(旧矢部町)に立ち寄り、御船ICから九州自動車道に乗り無事帰還しました。
天孫降臨の槵觸神社から高千穂町の中心部に鎮座のその名も高千穂神社に向いました。
当社は高千穂皇神(天孫瓊々杵尊、木花開耶姫以下三代の神々)をお祀りし、人皇第十一代垂仁天皇の御代の創建の六国史に記録されている、由緒ある古社で、当地の総鎮守として人々の篤い信仰を集めてきました。
参道入口の鳥居
拝殿一の鳥居をくぐると大きな木々に覆われ薄暗い参道を上りきると
正面に拝殿、右手に授与所があります。
境内には夫婦杉秩父杉など大木が多数あります。
源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し、重忠手植の秩父杉は800年経過した今も社殿前に健在です。
社殿全景
参拝の後、お札・ご朱印をいただき、つぎの目的地高千穂峡(五ヶ瀬渓谷)に向いました。
こちらは阿蘇山の噴火の溶岩で浸食されてできた絶景の渓谷です。
高千穂神社からは数分で到着です。入口で駐車場は満杯で暫く待つことになるとのことでしたが、着くと丁度1台空いたところで無事?(軽自動車用でかなりせまくドアも一杯には開けられずカメラなど持ち出すのに苦労しましたが)見物となりました。
ここでも撮影ポイントがわからず失敗しました、真名井の滝を見下ろす橋の上から撮影しましたが、以前先輩から見せていただいたのとアングルが違うようで不思議に思っていました。あとで貸しボートの乗り場の方に降りて行くのだと解り納得しました。
つぎは高千穂最後の目的地、国見ヶ丘です。
国見ヶ丘(標高513m)
神武天皇の御孫建磐龍命(たけいわたつのみこと)が筑紫の国の統治の命を受け、下日向県(しもひゅうがあがた)を経て阿蘇に向かわれ、途中この地で四方をのぞまれた。これにより「国見ヶ丘」と伝えられている。
丘の西方麓の中畑神社は命をお祀りしてある。東に五ヶ瀬川清流に沿って古代文化を豊富に有する高千穂盆地・西には阿蘇外輪山や五岳が横たわっている。
北には九州の屋根祖母山(標高1757m)の連峰がそびえ、南には「二上峰」に続く椎葉の山々が連なっている。(現地案内板)
国見をする建磐龍命
高千穂盆地
秋から初冬のよく晴れた冷え込んだ朝発生する雲海も一度は見たいものです。
有名な民謡「刈干切唄」はこの付近が中心地です。
刈干切り(説明)
神話のふる里高千穂には古くから唄い伝わる民謡「刈干切唄(かりぼしきりうた)」がある。
刈干切りとは冬の間牛馬の餌にするため初秋から晩秋にかけて背の丈ほどの山々の草を大鎌で切り、束にして積み上げ保存する農作業のことである。「刈干切唄」はこの作業のときに唄われてきた農家の人々の労働歌である。昔のきびしい生活の中から生まれた哀調のメロディは高千穂ならではの素朴さがある。
○草を積み上げて保存するものを「とうぶ」「び」と言う
高千穂町 (現地案内板より)
刈干切唄
ここの山の刈干しゃすんだよ
明日はたんぼで稲刈ろかよ
もはや日暮れじゃ追々かげるよ
駒よいぬるぞ馬草負えよ
秋もすんだよ田の畦道をよ
あれも嫁じゃろ灯が五つよ
歌でやらかせこれ位の仕事よ
仕事苦にすりゃ日が永いよ
高い山々どの山見てもよ
霧のかからぬこの山はないよ
お聞きになりたい方はつぎからどうぞ。
http://www.miya-shoko.or.jp/takachiho/tearoom/kariboshi/kariboshi.html
http://www.humio.com/page043.html
帰りは国道218号線で熊本県山都町から途中男成神社(旧矢部町)に立ち寄り、御船ICから九州自動車道に乗り無事帰還しました。
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