別府八幡宮(山口県小野田市)を掲載しました。
別府八幡宮(べっぷはちまんぐう)
【鎮座地】〒756-0038 山口県山陽小野田市大字有帆1376 旧長門国 厚狭郡
【御祭神】仲哀天皇 應神天皇 神功皇后 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命
【例祭】4月中旬 祈年祭 10月10日 秋季大祭 12月上旬 新嘗祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
別府八幡宮は寛政十一年に長州藩に届出ました寺社由来に、椿河内別府八幡宮、当社は宝亀元年(西暦七七〇年)ニ宇佐八幡宮勧請ト申伝候事、と記載の如く一二二〇年の歴史を有しております。
社名の由来については定かでありませんが、官名により開墾された地名をそのまま使用したとも創建者和気清麿の別名を付けたとも云われております。
現本殿の左隣の旧本殿は永和二年(西暦一三七六年)大内弘世の造営と伝えられ現本殿右隣の旧本殿は天保八年(西暦一八三七年)毛利氏によって改築。
現本殿は明治十三年(西暦一八七九年)現弊殿拝殿は昭和五十七年(西暦一九八二年)に改築され大字有帆、高畑、千崎東の鎮守社として今日に至っております。
(平成祭データ)
JR小野田駅から北東に直線で3Kmほど、国道2号線に向う県道29号線の山陽自動車道の高架をくぐって数百mの有帆地区に鎮座しています。
境内入口
一の鳥居から続く平坦な参道の突き当たりに社叢が見えます、右手に社号標、石段を上ると境内です。
鳥居から拝殿
石段を上りきると大正11年奉納の鳥居、右手に境内社、左に手水舎、正面一段上に社殿です。
手水舎から拝殿この手水石は昭和3年にものです。
拝殿
みごとな注連縄が印象的です。
木造流造・銅板葺の本殿
創建は神亀元年(724)宇佐八幡宮勧請とも、神護景雲四年(770)和気清麻呂公が当社地に勧請とも伝えられています。神紋は左三つ巴です。
社殿全景
拝殿から参道
別府八幡宮(べっぷはちまんぐう)
【鎮座地】〒756-0038 山口県山陽小野田市大字有帆1376 旧長門国 厚狭郡
【御祭神】仲哀天皇 應神天皇 神功皇后 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命
【例祭】4月中旬 祈年祭 10月10日 秋季大祭 12月上旬 新嘗祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
別府八幡宮は寛政十一年に長州藩に届出ました寺社由来に、椿河内別府八幡宮、当社は宝亀元年(西暦七七〇年)ニ宇佐八幡宮勧請ト申伝候事、と記載の如く一二二〇年の歴史を有しております。
社名の由来については定かでありませんが、官名により開墾された地名をそのまま使用したとも創建者和気清麿の別名を付けたとも云われております。
現本殿の左隣の旧本殿は永和二年(西暦一三七六年)大内弘世の造営と伝えられ現本殿右隣の旧本殿は天保八年(西暦一八三七年)毛利氏によって改築。
現本殿は明治十三年(西暦一八七九年)現弊殿拝殿は昭和五十七年(西暦一九八二年)に改築され大字有帆、高畑、千崎東の鎮守社として今日に至っております。
(平成祭データ)
JR小野田駅から北東に直線で3Kmほど、国道2号線に向う県道29号線の山陽自動車道の高架をくぐって数百mの有帆地区に鎮座しています。
境内入口
一の鳥居から続く平坦な参道の突き当たりに社叢が見えます、右手に社号標、石段を上ると境内です。
鳥居から拝殿
石段を上りきると大正11年奉納の鳥居、右手に境内社、左に手水舎、正面一段上に社殿です。
手水舎から拝殿この手水石は昭和3年にものです。
拝殿
みごとな注連縄が印象的です。
木造流造・銅板葺の本殿
創建は神亀元年(724)宇佐八幡宮勧請とも、神護景雲四年(770)和気清麻呂公が当社地に勧請とも伝えられています。神紋は左三つ巴です。
社殿全景
拝殿から参道
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