伊豫豆比古命神社(愛媛県松山市)をフォトギャラリー(山口、本州)に掲載しました。
伊豫豆比古命神社(いよづひこのみことじんじゃ)
<通称>椿神社(つばきじんじゃ)
式内社 伊豫國伊豫郡 伊豫豆比古命神社
旧県社
【鎮座地】〒790-0934 愛媛県松山市居相2丁目2-1 旧伊予国 久米郡
【御祭神】伊予豆比古命 伊予豆比賣命 伊與主命 愛比賣命
【御由緒】
伊予豆比古神社略記
上古、伊予豆比古命(いよづひこのみこと)、伊予豆比売命(いよづひめのみこと)この丘に御船を寄せ給う。 翁の神あり、ともづなをとりて、岩頭につなぎ迎え給う。二神この地に在りて殖産の業を興し、繁栄の素地を創れり。国人徳を慕いて、ここに斎く。
相殿に伊与主命、愛比売命を祀る。翁の神を潮鳴栲綱翁(しおなるたぐつなのおきな)と称し、奏者社に祀る。今この丘を船山と言い、岩頭に坐せられし故をもって、石居(井)と言うと。
境内には椿樹群生繁茂せるにより、椿神社の別称あり。椿の開花せる立春に近き上弦に行わる初祭には、御忍渡御(おしのびのときよ)合せ火神事等の特殊祭事あり。参拝者数十万人に及ぶ。
東に霊峰石鎚を望む道後平野に、いま平和の慈光溢れ、文化都市の発展をみる。上古を偲び神恩を奉謝して茲に建碑す。
(境内石碑より)
楼門
境内入口の鳥居をくぐると左に手水舎、正面に楼門があります。
古楠(ふるくす)
楼門の左脇にある古楠、「お紅さん」の愛称の牝狸が住むという伝承があります。
境内には有名な俳人の句碑が多数あり、この大楠の前にもあります。
正岡 子規(右側) 「賽銭のひびきに落る椿かな」
『開運の神「椿さん」は、毎年旧暦正月8日の例大祭には参拝客が多く県下三大祭りの一つ。
大昔は「港」のことを「津」(つ)と言い、そのそばにあるから「津脇」といわれたというが、中世末には境内の森は椿が多く、「椿の森」神社といわれ、それより「椿」の名が起こったともいわれている。
子規の明治25年の句で「寒山落木」には「椿神社」と題してあり、鎮座2240年奉祝記念として九十隻極堂の書で昭和31年建立』
(案内板より)
河本 南牛史(左側) 「恵栄なもしお椿まいり道後の湯」
拝殿
広い境内の左右に境内社、正面階段の上に社殿があります。
階段下には丸い絵馬が多数奉納されています。
左は潮鳴栲綱翁(しおなるたぐつなのおきな)が祭神、伊予豆比古命(いよづひこのみこと)、伊予豆比売命(いよづひめのみこと)をお迎えした「船山」です。
拝殿の扁額
回廊(1962年(昭和37年)に改築) 本殿
社殿は外回廊、内回廊の二重の回廊で囲まれています。
また、回廊内には多数の燈篭と椿があります。
冨久椿
回廊に奉納された椿祭りの冨久椿
船山に鎮座の奏者社(そうじゃしゃ)
<御祭神>
潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)
<由緒>
伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)、伊豫豆比売命(いよずひめのみこと)の二柱の神様を舟山に御船を寄せられたとき、纜(ともづな)を繋いでお迎えされた、との古事に倣い(ならい)、万事お取り次ぎを頂く神様。
当社を参拝するについて、先ず奏者社にお参りをする習慣があります。
(案内板より)
勝軍八幡神社(かちいくさはちまんじんじゃ)
<御祭神>譽田別命、 天照日靈命
<由緒>
今を去る八百年の昔、蒙古襲来の折、この地方の豪族であった河野一族が防人として出兵し、伝えられる「神風」の加護により大勝の帰路、大分県の宇佐八幡神社の神を勧請し現在に至る。
(案内板より)
拝殿から境内
伊豫豆比古命神社(いよづひこのみことじんじゃ)
<通称>椿神社(つばきじんじゃ)
式内社 伊豫國伊豫郡 伊豫豆比古命神社
旧県社
【鎮座地】〒790-0934 愛媛県松山市居相2丁目2-1 旧伊予国 久米郡
【御祭神】伊予豆比古命 伊予豆比賣命 伊與主命 愛比賣命
【御由緒】
伊予豆比古神社略記
上古、伊予豆比古命(いよづひこのみこと)、伊予豆比売命(いよづひめのみこと)この丘に御船を寄せ給う。 翁の神あり、ともづなをとりて、岩頭につなぎ迎え給う。二神この地に在りて殖産の業を興し、繁栄の素地を創れり。国人徳を慕いて、ここに斎く。
相殿に伊与主命、愛比売命を祀る。翁の神を潮鳴栲綱翁(しおなるたぐつなのおきな)と称し、奏者社に祀る。今この丘を船山と言い、岩頭に坐せられし故をもって、石居(井)と言うと。
境内には椿樹群生繁茂せるにより、椿神社の別称あり。椿の開花せる立春に近き上弦に行わる初祭には、御忍渡御(おしのびのときよ)合せ火神事等の特殊祭事あり。参拝者数十万人に及ぶ。
東に霊峰石鎚を望む道後平野に、いま平和の慈光溢れ、文化都市の発展をみる。上古を偲び神恩を奉謝して茲に建碑す。
(境内石碑より)
楼門
境内入口の鳥居をくぐると左に手水舎、正面に楼門があります。
古楠(ふるくす)
楼門の左脇にある古楠、「お紅さん」の愛称の牝狸が住むという伝承があります。
境内には有名な俳人の句碑が多数あり、この大楠の前にもあります。
正岡 子規(右側) 「賽銭のひびきに落る椿かな」
『開運の神「椿さん」は、毎年旧暦正月8日の例大祭には参拝客が多く県下三大祭りの一つ。
大昔は「港」のことを「津」(つ)と言い、そのそばにあるから「津脇」といわれたというが、中世末には境内の森は椿が多く、「椿の森」神社といわれ、それより「椿」の名が起こったともいわれている。
子規の明治25年の句で「寒山落木」には「椿神社」と題してあり、鎮座2240年奉祝記念として九十隻極堂の書で昭和31年建立』
(案内板より)
河本 南牛史(左側) 「恵栄なもしお椿まいり道後の湯」
拝殿
広い境内の左右に境内社、正面階段の上に社殿があります。
階段下には丸い絵馬が多数奉納されています。
左は潮鳴栲綱翁(しおなるたぐつなのおきな)が祭神、伊予豆比古命(いよづひこのみこと)、伊予豆比売命(いよづひめのみこと)をお迎えした「船山」です。
拝殿の扁額
回廊(1962年(昭和37年)に改築) 本殿
社殿は外回廊、内回廊の二重の回廊で囲まれています。
また、回廊内には多数の燈篭と椿があります。
冨久椿
回廊に奉納された椿祭りの冨久椿
船山に鎮座の奏者社(そうじゃしゃ)
<御祭神>
潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)
<由緒>
伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)、伊豫豆比売命(いよずひめのみこと)の二柱の神様を舟山に御船を寄せられたとき、纜(ともづな)を繋いでお迎えされた、との古事に倣い(ならい)、万事お取り次ぎを頂く神様。
当社を参拝するについて、先ず奏者社にお参りをする習慣があります。
(案内板より)
勝軍八幡神社(かちいくさはちまんじんじゃ)
<御祭神>譽田別命、 天照日靈命
<由緒>
今を去る八百年の昔、蒙古襲来の折、この地方の豪族であった河野一族が防人として出兵し、伝えられる「神風」の加護により大勝の帰路、大分県の宇佐八幡神社の神を勧請し現在に至る。
(案内板より)
拝殿から境内
写真が、お上手ですね、建築関係ですので、
参考に、させて下さい
当ブログに、リンクさせて下さい。
桜舞さん(別府)の方も、神社 お寺の関係です
http://bako2006.blog72.fc2.com/
PS
JR6EVRですが、同じく、休眠中です(笑)
貴兄のBlog拝見しました、当方こそ参考にさせていただきます。
今後とも宜しくお願いします。
尚、コメント重複していましたので1つ削除しました。
また、遊びに来ます
今後も、よろしくお願いします<m(__)m>