6/10(土)、須賀神社(北九州市八幡西区木屋瀬)、他に参拝しました。
八幡西区の黒崎から筑豊地区に延びる国道200号線、211号線周辺の木屋瀬を起点に黒崎IC近くまで北上?する行程です。
最初は木屋瀬に鎮座の須賀神社
北九州都市高速馬場山ICから旧国道200号線に入り直方方面に向かい「木屋瀬」交差点で右折およそ1kmの遠賀川に架かる中島橋の手前の交番から数10Mにあります。
【祭神】素盞嗚命(すさのおのみこと)
奇稻田媛命(くしなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
(合祀)軻遇突智神 (かぐつちのかみ)
注:イザナギとイザナミとの間に生まれた火の神、この出産でイザナミは死ぬ。
【沿革】
1.永享年間(1429年)に神霊を鎮め奉り乱世の頃荒れ果てしを
2.寛永二年(1625年)本邑の豪商伊藤宗伯が新廟を建て祭祀をなしたもので
3.後寛文四年(1664年)及び正徳年間に修理を加え
4.安永三年(1774年)に神殿改築をなし
5.文化二年(1805年)に拝殿改築、
6.大正十四年(1925年)に神殿、拝殿共に改築された。
尚、維新まで祇園社と称せしを以後須賀神社と改称す。
(境内案内石碑より)
明治以前は祇園社と称していました。
参龍殿には江戸時代や明治時代に奉納された多くの絵馬が保存されています。
続いて、県道73号線を遠賀川沿いに100数十m下ると扇天満宮があります。
【祭神】菅原神
創立は観応元年(1350)以前に遡り当時は久保崎天神といっていた。
室町時代の連歌師飯尾宗祇が当地に泊まり、天神と名乗る男から扇をもらう夢を見後、実際に太宰府で扇をもらったことから、扇天満宮と呼ぶようになった。
その由来を記した国学者伊藤常足の碑が、境内に建てられている。
大正6年(1917)の遠賀川土手改修のとき、神社は大銀杏の位置から現在地に移されている。
(境内案内板)
扇天神の左には金刀平宮があり右には庚申社があります。
小倉と長崎を結んだ長崎街道の筑前六宿(黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田)随一の宿場町として栄えた木屋瀬は現在町おこしの一環と思いますが、道路、各史跡の案内板等良く整備されて観光にも力を入れています。
楠橋地区に鎮座の須賀神社
【祭神】素盞嗚命
この地区には新幹線からも見える民間人の建設した天守閣など珍しい建築物などが目立ちます。
当社の隣も一風変わった建物がありました。
八幡西区の黒崎から筑豊地区に延びる国道200号線、211号線周辺の木屋瀬を起点に黒崎IC近くまで北上?する行程です。
最初は木屋瀬に鎮座の須賀神社
北九州都市高速馬場山ICから旧国道200号線に入り直方方面に向かい「木屋瀬」交差点で右折およそ1kmの遠賀川に架かる中島橋の手前の交番から数10Mにあります。
【祭神】素盞嗚命(すさのおのみこと)
奇稻田媛命(くしなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
(合祀)軻遇突智神 (かぐつちのかみ)
注:イザナギとイザナミとの間に生まれた火の神、この出産でイザナミは死ぬ。
【沿革】
1.永享年間(1429年)に神霊を鎮め奉り乱世の頃荒れ果てしを
2.寛永二年(1625年)本邑の豪商伊藤宗伯が新廟を建て祭祀をなしたもので
3.後寛文四年(1664年)及び正徳年間に修理を加え
4.安永三年(1774年)に神殿改築をなし
5.文化二年(1805年)に拝殿改築、
6.大正十四年(1925年)に神殿、拝殿共に改築された。
尚、維新まで祇園社と称せしを以後須賀神社と改称す。
(境内案内石碑より)
明治以前は祇園社と称していました。
参龍殿には江戸時代や明治時代に奉納された多くの絵馬が保存されています。
続いて、県道73号線を遠賀川沿いに100数十m下ると扇天満宮があります。
【祭神】菅原神
創立は観応元年(1350)以前に遡り当時は久保崎天神といっていた。
室町時代の連歌師飯尾宗祇が当地に泊まり、天神と名乗る男から扇をもらう夢を見後、実際に太宰府で扇をもらったことから、扇天満宮と呼ぶようになった。
その由来を記した国学者伊藤常足の碑が、境内に建てられている。
大正6年(1917)の遠賀川土手改修のとき、神社は大銀杏の位置から現在地に移されている。
(境内案内板)
扇天神の左には金刀平宮があり右には庚申社があります。
小倉と長崎を結んだ長崎街道の筑前六宿(黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田)随一の宿場町として栄えた木屋瀬は現在町おこしの一環と思いますが、道路、各史跡の案内板等良く整備されて観光にも力を入れています。
楠橋地区に鎮座の須賀神社
【祭神】素盞嗚命
この地区には新幹線からも見える民間人の建設した天守閣など珍しい建築物などが目立ちます。
当社の隣も一風変わった建物がありました。
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