母智丘神社(宮崎県都城市)を掲載しました。
母智丘神社(もちおじんじゃ)
<通称>石峰稲荷明神(いしみねいなりみょうじん)
【鎮座地】〒885-0091 宮崎県都城市横市町6691 旧日向国 諸県郡
【御祭神】豐受毘賣神 大年神
【例祭】 4月23日 例祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
祭神と由緒
このお社はもと石峰稲荷明神といって、丘の頂きに大きな神石があり、巌の下には洞穴もあって白狐が住むといわれ、牛馬の加護はもとより、万能の神様として霊験あらたかなお社でありました。
たまたま明治三年上荘内郷の地頭となった三島通庸が一大修理を加えて社殿を改築し、祭神も豊受姫神、大年神と定め、また四方からの参道を便利にして庄内郷の総鎮守としました。
その後参道には町の篤志家によってよしの桜が植えられ、花どきにもなれば一大花のトンネルとなり、西日本一を誇るさくらの名所と呼ばれるようになりました。お社の例祭や花どきには祭神の御神徳と花の美しさに魅せられれた善男善女が踵を接して足の踏み場もないほどにぎわいを呈します。
ところが年を経て鳥居や付属の建物も古くなり、改築の要に迫られていましたが、氏子はもとよりみなさまのご芳志によって神域がみちがえるようにきれいに整い、神の威光がいやましに高まりました。これからいよいよ神様のご加護を期待する善男善女が日増しにふえることでしょう。
(平成祭データ)
宮崎県の南西端に位置する都城市にあります。JR西都城駅前から北西に5km、九州でも屈指の桜の名所「日本の桜の名所100選」母智丘公園の頂上に鎮座しています。
参道入口の鳥居
大鳥居から続くおよそ2kmの桜並木を進むと、ソメイヨシノなど2600本の桜が咲き誇る母智丘公園です。右突き当たりに参道入口の鳥居です。
鳥居から階段総数「288段」の長い参道が続きます。
境内入口の鳥居参道を上りきると境内入口にも鳥居があります。
この鳥居のすぐ下に駐車場があり、車でも来れます。
参道から拝殿鳥居をくぐると右に社務所、正面一段高い位置に社殿です。
拝殿
階段を上がると、左に手水舎、右には牛馬の加護の神様にふさわしく立派な牛と馬の像が奉納されています。
現在の社殿は平成10年およそ95年ぶりに改築されています。
その時の本殿の一部部材が福岡県福津市(旧福間町)有弥の里にある母智丘神社に
使用されています。
本殿
もとは石峰稲荷明神といわれ、巨石群の神石があり、磐の下の洞穴には白狐が住み、牛馬の加護など万能の神様として崇められていました。
御祭神は豊受姫神、大年神、建立は文政年間から文久年間(1818~1863)と伝えられ、明治3年母智丘神社となりました。
社殿裏には巨石群が散在しています。明治三年社殿再興の時に発掘されています。その中に世にも珍しい、縁結び、安産、無病息災など霊験あらたかな陰陽石があります。
陰石と祈願水
周囲19.3m 高さ1.7m余で陰門は長さ1.2m深さ0.5mあり古くから安産縁結びの神石とされ祈願水を陰門にかけると願い事がかなうと言い伝えられています。
陽石
周囲17.3m余 高さ3.3m余 陰石と同時に発掘された神石で陰石と同様安産と縁結びの神石とされています。
割裂神石
高さ1.2m幅2.4mで割裂いたようになっているので割石とも称し、その割れた一部は東霧島神社にある割裂神石であるといわれています。タカオカノカミを祀った神石で昔からこの附近を掘り荒らすと大雨が降ると言い伝えられています。
巨石群
巨石群について
この丘の上一帯に散在する巨石群は火山の噴出による赤ボラで地中に埋まっていたものを明治三年の母智丘神社再興工事の時に発掘されたもので、古く石器時代にはこれらの巨石が丘の上に群立していたものと考えらています。
この附近から数多くの土器や石器が発見されているところからこの一帯は石器時代においては石材の採取場であったと想像されますが同時にこの付近にみられる巨石群は信仰の対象となっていたものと考えられ、いずれも神石として人々のいろいろな願いごとがかなえられたと言い伝えられています。
母智丘神社
(案内板より)
馬頭観音陰石の右に並んであります。家畜の神とされています。
石峯稲荷明神
陰陽石のある境内から右に少し降りたところにあります。
石峯稲荷明神
稲荷大石は大昔より存在の石であり、左右に出入口の穴があります。
穴の大奥は八畳敷と六畳敷位の洞窟になっており昔は白狐(びゃっこ)の巣であり、白狐は昔より奇(ふしぎ)な霊族を垂(た)れたまひ崇敬者の先導啓行(みちあんない)としていろいろと教へ導き諸業繁昌神功(いさお)たてまふ。
お神(やしろ)を改造し白狐を御霊(みたま)として奉る。
(社前案内板より)
母智丘関之尾公園(標高245.4m)よりの都城盆地
神社の真上、公園の頂上にある展望台からの眺望です。
母智丘神社(もちおじんじゃ)
<通称>石峰稲荷明神(いしみねいなりみょうじん)
【鎮座地】〒885-0091 宮崎県都城市横市町6691 旧日向国 諸県郡
【御祭神】豐受毘賣神 大年神
【例祭】 4月23日 例祭
【旧社格等】県社
【御由緒】
祭神と由緒
このお社はもと石峰稲荷明神といって、丘の頂きに大きな神石があり、巌の下には洞穴もあって白狐が住むといわれ、牛馬の加護はもとより、万能の神様として霊験あらたかなお社でありました。
たまたま明治三年上荘内郷の地頭となった三島通庸が一大修理を加えて社殿を改築し、祭神も豊受姫神、大年神と定め、また四方からの参道を便利にして庄内郷の総鎮守としました。
その後参道には町の篤志家によってよしの桜が植えられ、花どきにもなれば一大花のトンネルとなり、西日本一を誇るさくらの名所と呼ばれるようになりました。お社の例祭や花どきには祭神の御神徳と花の美しさに魅せられれた善男善女が踵を接して足の踏み場もないほどにぎわいを呈します。
ところが年を経て鳥居や付属の建物も古くなり、改築の要に迫られていましたが、氏子はもとよりみなさまのご芳志によって神域がみちがえるようにきれいに整い、神の威光がいやましに高まりました。これからいよいよ神様のご加護を期待する善男善女が日増しにふえることでしょう。
(平成祭データ)
宮崎県の南西端に位置する都城市にあります。JR西都城駅前から北西に5km、九州でも屈指の桜の名所「日本の桜の名所100選」母智丘公園の頂上に鎮座しています。
参道入口の鳥居
大鳥居から続くおよそ2kmの桜並木を進むと、ソメイヨシノなど2600本の桜が咲き誇る母智丘公園です。右突き当たりに参道入口の鳥居です。
鳥居から階段総数「288段」の長い参道が続きます。
境内入口の鳥居参道を上りきると境内入口にも鳥居があります。
この鳥居のすぐ下に駐車場があり、車でも来れます。
参道から拝殿鳥居をくぐると右に社務所、正面一段高い位置に社殿です。
拝殿
階段を上がると、左に手水舎、右には牛馬の加護の神様にふさわしく立派な牛と馬の像が奉納されています。
現在の社殿は平成10年およそ95年ぶりに改築されています。
その時の本殿の一部部材が福岡県福津市(旧福間町)有弥の里にある母智丘神社に
使用されています。
本殿
もとは石峰稲荷明神といわれ、巨石群の神石があり、磐の下の洞穴には白狐が住み、牛馬の加護など万能の神様として崇められていました。
御祭神は豊受姫神、大年神、建立は文政年間から文久年間(1818~1863)と伝えられ、明治3年母智丘神社となりました。
社殿裏には巨石群が散在しています。明治三年社殿再興の時に発掘されています。その中に世にも珍しい、縁結び、安産、無病息災など霊験あらたかな陰陽石があります。
陰石と祈願水
周囲19.3m 高さ1.7m余で陰門は長さ1.2m深さ0.5mあり古くから安産縁結びの神石とされ祈願水を陰門にかけると願い事がかなうと言い伝えられています。
陽石
周囲17.3m余 高さ3.3m余 陰石と同時に発掘された神石で陰石と同様安産と縁結びの神石とされています。
割裂神石
高さ1.2m幅2.4mで割裂いたようになっているので割石とも称し、その割れた一部は東霧島神社にある割裂神石であるといわれています。タカオカノカミを祀った神石で昔からこの附近を掘り荒らすと大雨が降ると言い伝えられています。
巨石群
巨石群について
この丘の上一帯に散在する巨石群は火山の噴出による赤ボラで地中に埋まっていたものを明治三年の母智丘神社再興工事の時に発掘されたもので、古く石器時代にはこれらの巨石が丘の上に群立していたものと考えらています。
この附近から数多くの土器や石器が発見されているところからこの一帯は石器時代においては石材の採取場であったと想像されますが同時にこの付近にみられる巨石群は信仰の対象となっていたものと考えられ、いずれも神石として人々のいろいろな願いごとがかなえられたと言い伝えられています。
母智丘神社
(案内板より)
馬頭観音陰石の右に並んであります。家畜の神とされています。
石峯稲荷明神
陰陽石のある境内から右に少し降りたところにあります。
石峯稲荷明神
稲荷大石は大昔より存在の石であり、左右に出入口の穴があります。
穴の大奥は八畳敷と六畳敷位の洞窟になっており昔は白狐(びゃっこ)の巣であり、白狐は昔より奇(ふしぎ)な霊族を垂(た)れたまひ崇敬者の先導啓行(みちあんない)としていろいろと教へ導き諸業繁昌神功(いさお)たてまふ。
お神(やしろ)を改造し白狐を御霊(みたま)として奉る。
(社前案内板より)
母智丘関之尾公園(標高245.4m)よりの都城盆地
神社の真上、公園の頂上にある展望台からの眺望です。
blog主様のアップから随分時は経過致しておりますが
日々、皆様に気持ちよくご参拝いただけるよう整備に努めます。
有難うございました。
ご覧のとおり、個人の参拝記録です。
いつも清掃、整備等されているようで頭が下がります。
今後とも宜しくお願いいたします。