今一生@conisshow さんのツイートです。
――僕と同年代の記者が書いた記事だけど、この人は自分が幸せな家庭に育ったことを前提にしている。なぜ不幸せな家庭に育つということを前提に取材しなかったのだろう? 甘すぎる →子育てのあり方を真剣に議論しよう - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131116/plc13111612010006-n1.htm …〔2013年11月16日 - 13:12 〕――
なぜ
不幸せな家庭に育つ
ということを前提に取材しなかったのだろう?
って、
取材者としてそれをすると、
嘘をついたことになるからでしょ。
分からんのかな、
と思いつつ、
当該MSN産経ニュースを
読みました。
それが下記です。
確かに、
「幸せな家庭で育った自分の体験談」
が記されています
(参考までに、
該当箇所をグリーンで色付けしておきます)。
思うに、
「不幸せな家庭に育った」
少年少女は、
このような体験談に反発しないです。
失礼ながら、
「幸せな家庭で育った」くせに
「俺は、不幸せな家庭に育った」と言いたがる
人間の方が
鼻もちならんです。
もっとも、この産経記者の
「私は憲法改正で新たに盛り込むべく、子育て、ひいては家族、地域がどうあるべきか、真剣に議論すべき時に来ていると思います」
という提言には賛成しかねますが――。
〔資料〕
「文月メイの「ママ」 賛否両論だけでなく子育てのあり方を真剣に議論しよう」BY高橋昌之
産経ニュース(2013.11.16 12:00)
☆ 記事URL:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131116/plc13111612010006-n1.htm
シンガー・ソングライターの文月メイさんの「ママ」という歌が、インターネット上で大きな話題になっていると1カ月ほど前に耳にして、早速、ユーチューブで聴いてみました。素朴で愛らしい子供のアニメーション映像の効果もありましたが、歌詞に描かれた子供の切ない心情に思わず、涙が止まりませんでした。
この歌が児童虐待をテーマにしていることは明らかで、この歌詞をめぐっては「歌詞が過激すぎる」「子育ての責任は母親だけではなく、父親にもある」など、賛否両論が渦巻いているそうです。
しかし、今や児童虐待とそれによる死亡事例は歯止めがかからず、急増している現状を考えると、この問題から目を背けることはできません。したがって、私はこの歌を単に批判して済ませてしまうのではなく、この歌のようなことを根絶するために、子育てとそれに対する支援策はどうあるべきか、真剣に議論する契機にすべきだと思います。
私は今回のコラムで決して理想論を展開しようとは思いません。しかし、子育ては日本の国家、国民の将来を決定づける重要政策です。だからこそ、何としても現状を打破するための方策を考えなければならないと考えています。文月さんの「ママ」を聴いて改めてそう思った次第です。
歌詞は虐待で死亡した子供の心情を描いたもので、「ぼくのことが邪魔なの? あのごみ袋と一緒に捨てるの? 生きることが辛いの? 頼る人が誰もいないの?」と、孤独に子育てに悩む母親の心情を子供が思いやるという内容から始まります。
そのうえで、「ぼくね、天使になったよ いつまでもママを見守ってるよ だって弱虫なママは 一人じゃ生きられないでしょ」「ごめんね、ママ ぼくが大きかったら 助けてあげられたのに でもぼくには、たった一人のママ 二度と巡り会えなくても」「ごめんね、ママ もうそばにいられない 明日を迎えられない でもぼくには、たった一人のママ 嫌いになったりしないよ」などと続き、「ぼくの羽根 一枚置いていくからね」で締めくくられています。
確かに歌詞に過激な部分があるかもしれません。しかし、悲惨な児童虐待とそれによって死に至る事例に歯止めがかからず、急増しているのが現実なのです。歌に出てくるような気持ちの子供たちがいると思うと、いたたまれない気持ちになります。
厚生労働省によると、全国の児童相談所での児童虐待に関する相談対応件数は、児童虐待防止法施行前の平成11年度が1万1631件だったのに対し、23年度は5万9919件と5倍以上に急増しています。さらに、児童虐待によって子供が死亡した事例は平成22年度は82件と高い水準のまま推移しています。
なぜ、かわいいはずのわが子を虐待し、場合によっては死に至らしめる事例がこれほど起きてしまうのでしょうか。
私が現在、勤務する長野県内でも11月6日、生後5日の長女を殺害したとして、殺人の疑いで、東京都世田谷区船橋、病院事務員、楠田恵美里容疑者(28)が長野県警に逮捕されるという事件がありました。逮捕容疑は10月29日に、茅野容疑者が長野県茅野市の実家で、長女の腹や胸を包丁で複数回刺して失血死させたというものでした。自身も腹などを刺しており、心中をはかったものの、死にきれなかったとみられます。
調べに対して、茅野容疑者は「私はだめな母親です。いろんなことが不安で、育てていく自信がなかった」と話しているそうです。自分の怒りにまかせて子供を虐待するのは論外ですが、こうした子育てへの不安、自信喪失からわが子を死に至らしめるというケースは少なくありません。
なぜ、親が子育てでこうした心境に追い込まれてしまうのでしょうか。私はまず、親としての自覚のないまま子供をつくってしまうこと、自分が甘やかされて育ったために子育ての大変さ、厳しさに耐えられないなど、親の資質の問題があると思います。
文月メイさんの「ママ」を聴いて、私が涙したのは6年前に他界した自分の母のことが思い出されて、私は母に育ててもらって本当に幸せだった、そして歌の子供と同じく母を愛する気持ちがあったからです。結局、親孝行らしいことができなかったことが悔やまれてなりませんが…。
私の母は強い人でした。私とひとつ違いの弟、8歳下の弟と3人男ばかりの兄弟を育てました。父が自衛官だったこともあり、全国を転勤する中、子育ての苦労は並大抵のことではなかったと思います。
母が一人で泣いている姿を見かけたことはありましたが、私たち子供の前では文句を言ったり、愚痴をこぼしたりすることはほとんどありませんでした。太陽のように明るく、優しさと時に厳しさをもって私たちを育ててくれました。
私が育ったのはまさに高度経済成長期ですから、年々社会が豊かになる中で、母は自分が欲しいものがあってもそれを我慢して、私たち子供たちには決して不自由な思いはさせませんでした。
母は昭和12年、仙台市生まれ。先の戦争では空襲に遭って焼け出され、野坂昭如原作の「火垂るの墓」の妹・節子と同じような境遇だったそうです。母と一緒にこのアニメを何度も見ましたが、母は自分の幼少期の姿と重なり、冒頭から泣きっぱなしでした。そうした時代、境遇を生き抜いてきたからこその強さだったのかもしれません。
豊かさやゆとりの中で育った現在の親に、そうした強さを持ってほしいと言っても無理なのかもしれません。しかし、子供にとって親はかけがえのない存在であり、心から愛したいと思っているはずです。それに応える強さを何とかもってほしいと思います。
親としての資質以外にも、「子育てについて夫婦間の協力がない」「核家族化が進行して子育てに夫婦の親類の協力が得られない」「地域コミュニティーが崩壊して隣近所に相談したり、協力を得たりすることができない」など、現代社会が生み出したさまざまな要因があると思います。
一気に問題を解決することは難しいかもしれませんが、だからといってこの現状を放置してはなりません。繰り返しますが、どのように子育ての環境をつくるかは、将来の国家、国民のありようを決める極めて重要な政策課題です。そして現在の子育て世代にとっても、これからの世代にとっても切実な問題です。国や地方自治体は社会の変化に対応した子育て支援策を講じ、児童虐待という悲しむべき事案は根絶しなければなりません。
政府は平成12年に児童虐待防止法を制定し、子育て支援事業の普及・推進、児童虐待防止策、家庭や地域などの子育て環境の整備などに取り組んでいますが、現状がこうである以上、十分とは言えません。抜本的な対策を議論すべきではないでしょうか。
そして、これは政府や地方自治体だけの問題ではなく、親自身、親を取り巻く家族、地域の問題です。憲法改正の議論の中で、家族や地域のありようを憲法に盛り込むことについて、「今は個人を大事にする時代だ」などと言って反対する人々がいますが、私は憲法改正で新たに盛り込むべく、子育て、ひいては家族、地域がどうあるべきか、真剣に議論すべき時に来ていると思います。
その意識が国民全体になければ、日本の家族、地域は時代の流れについていけず崩壊してしまう、私はそう強い危機感を持っています。
――僕と同年代の記者が書いた記事だけど、この人は自分が幸せな家庭に育ったことを前提にしている。なぜ不幸せな家庭に育つということを前提に取材しなかったのだろう? 甘すぎる →子育てのあり方を真剣に議論しよう - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131116/plc13111612010006-n1.htm …〔2013年11月16日 - 13:12 〕――
なぜ
不幸せな家庭に育つ
ということを前提に取材しなかったのだろう?
って、
取材者としてそれをすると、
嘘をついたことになるからでしょ。
分からんのかな、
と思いつつ、
当該MSN産経ニュースを
読みました。
それが下記です。
確かに、
「幸せな家庭で育った自分の体験談」
が記されています
(参考までに、
該当箇所をグリーンで色付けしておきます)。
思うに、
「不幸せな家庭に育った」
少年少女は、
このような体験談に反発しないです。
失礼ながら、
「幸せな家庭で育った」くせに
「俺は、不幸せな家庭に育った」と言いたがる
人間の方が
鼻もちならんです。
もっとも、この産経記者の
「私は憲法改正で新たに盛り込むべく、子育て、ひいては家族、地域がどうあるべきか、真剣に議論すべき時に来ていると思います」
という提言には賛成しかねますが――。
〔資料〕
「文月メイの「ママ」 賛否両論だけでなく子育てのあり方を真剣に議論しよう」BY高橋昌之
産経ニュース(2013.11.16 12:00)
☆ 記事URL:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131116/plc13111612010006-n1.htm
シンガー・ソングライターの文月メイさんの「ママ」という歌が、インターネット上で大きな話題になっていると1カ月ほど前に耳にして、早速、ユーチューブで聴いてみました。素朴で愛らしい子供のアニメーション映像の効果もありましたが、歌詞に描かれた子供の切ない心情に思わず、涙が止まりませんでした。
この歌が児童虐待をテーマにしていることは明らかで、この歌詞をめぐっては「歌詞が過激すぎる」「子育ての責任は母親だけではなく、父親にもある」など、賛否両論が渦巻いているそうです。
しかし、今や児童虐待とそれによる死亡事例は歯止めがかからず、急増している現状を考えると、この問題から目を背けることはできません。したがって、私はこの歌を単に批判して済ませてしまうのではなく、この歌のようなことを根絶するために、子育てとそれに対する支援策はどうあるべきか、真剣に議論する契機にすべきだと思います。
私は今回のコラムで決して理想論を展開しようとは思いません。しかし、子育ては日本の国家、国民の将来を決定づける重要政策です。だからこそ、何としても現状を打破するための方策を考えなければならないと考えています。文月さんの「ママ」を聴いて改めてそう思った次第です。
歌詞は虐待で死亡した子供の心情を描いたもので、「ぼくのことが邪魔なの? あのごみ袋と一緒に捨てるの? 生きることが辛いの? 頼る人が誰もいないの?」と、孤独に子育てに悩む母親の心情を子供が思いやるという内容から始まります。
そのうえで、「ぼくね、天使になったよ いつまでもママを見守ってるよ だって弱虫なママは 一人じゃ生きられないでしょ」「ごめんね、ママ ぼくが大きかったら 助けてあげられたのに でもぼくには、たった一人のママ 二度と巡り会えなくても」「ごめんね、ママ もうそばにいられない 明日を迎えられない でもぼくには、たった一人のママ 嫌いになったりしないよ」などと続き、「ぼくの羽根 一枚置いていくからね」で締めくくられています。
確かに歌詞に過激な部分があるかもしれません。しかし、悲惨な児童虐待とそれによって死に至る事例に歯止めがかからず、急増しているのが現実なのです。歌に出てくるような気持ちの子供たちがいると思うと、いたたまれない気持ちになります。
厚生労働省によると、全国の児童相談所での児童虐待に関する相談対応件数は、児童虐待防止法施行前の平成11年度が1万1631件だったのに対し、23年度は5万9919件と5倍以上に急増しています。さらに、児童虐待によって子供が死亡した事例は平成22年度は82件と高い水準のまま推移しています。
なぜ、かわいいはずのわが子を虐待し、場合によっては死に至らしめる事例がこれほど起きてしまうのでしょうか。
私が現在、勤務する長野県内でも11月6日、生後5日の長女を殺害したとして、殺人の疑いで、東京都世田谷区船橋、病院事務員、楠田恵美里容疑者(28)が長野県警に逮捕されるという事件がありました。逮捕容疑は10月29日に、茅野容疑者が長野県茅野市の実家で、長女の腹や胸を包丁で複数回刺して失血死させたというものでした。自身も腹などを刺しており、心中をはかったものの、死にきれなかったとみられます。
調べに対して、茅野容疑者は「私はだめな母親です。いろんなことが不安で、育てていく自信がなかった」と話しているそうです。自分の怒りにまかせて子供を虐待するのは論外ですが、こうした子育てへの不安、自信喪失からわが子を死に至らしめるというケースは少なくありません。
なぜ、親が子育てでこうした心境に追い込まれてしまうのでしょうか。私はまず、親としての自覚のないまま子供をつくってしまうこと、自分が甘やかされて育ったために子育ての大変さ、厳しさに耐えられないなど、親の資質の問題があると思います。
文月メイさんの「ママ」を聴いて、私が涙したのは6年前に他界した自分の母のことが思い出されて、私は母に育ててもらって本当に幸せだった、そして歌の子供と同じく母を愛する気持ちがあったからです。結局、親孝行らしいことができなかったことが悔やまれてなりませんが…。
私の母は強い人でした。私とひとつ違いの弟、8歳下の弟と3人男ばかりの兄弟を育てました。父が自衛官だったこともあり、全国を転勤する中、子育ての苦労は並大抵のことではなかったと思います。
母が一人で泣いている姿を見かけたことはありましたが、私たち子供の前では文句を言ったり、愚痴をこぼしたりすることはほとんどありませんでした。太陽のように明るく、優しさと時に厳しさをもって私たちを育ててくれました。
私が育ったのはまさに高度経済成長期ですから、年々社会が豊かになる中で、母は自分が欲しいものがあってもそれを我慢して、私たち子供たちには決して不自由な思いはさせませんでした。
母は昭和12年、仙台市生まれ。先の戦争では空襲に遭って焼け出され、野坂昭如原作の「火垂るの墓」の妹・節子と同じような境遇だったそうです。母と一緒にこのアニメを何度も見ましたが、母は自分の幼少期の姿と重なり、冒頭から泣きっぱなしでした。そうした時代、境遇を生き抜いてきたからこその強さだったのかもしれません。
豊かさやゆとりの中で育った現在の親に、そうした強さを持ってほしいと言っても無理なのかもしれません。しかし、子供にとって親はかけがえのない存在であり、心から愛したいと思っているはずです。それに応える強さを何とかもってほしいと思います。
親としての資質以外にも、「子育てについて夫婦間の協力がない」「核家族化が進行して子育てに夫婦の親類の協力が得られない」「地域コミュニティーが崩壊して隣近所に相談したり、協力を得たりすることができない」など、現代社会が生み出したさまざまな要因があると思います。
一気に問題を解決することは難しいかもしれませんが、だからといってこの現状を放置してはなりません。繰り返しますが、どのように子育ての環境をつくるかは、将来の国家、国民のありようを決める極めて重要な政策課題です。そして現在の子育て世代にとっても、これからの世代にとっても切実な問題です。国や地方自治体は社会の変化に対応した子育て支援策を講じ、児童虐待という悲しむべき事案は根絶しなければなりません。
政府は平成12年に児童虐待防止法を制定し、子育て支援事業の普及・推進、児童虐待防止策、家庭や地域などの子育て環境の整備などに取り組んでいますが、現状がこうである以上、十分とは言えません。抜本的な対策を議論すべきではないでしょうか。
そして、これは政府や地方自治体だけの問題ではなく、親自身、親を取り巻く家族、地域の問題です。憲法改正の議論の中で、家族や地域のありようを憲法に盛り込むことについて、「今は個人を大事にする時代だ」などと言って反対する人々がいますが、私は憲法改正で新たに盛り込むべく、子育て、ひいては家族、地域がどうあるべきか、真剣に議論すべき時に来ていると思います。
その意識が国民全体になければ、日本の家族、地域は時代の流れについていけず崩壊してしまう、私はそう強い危機感を持っています。
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