日本原子力発電(原電)は、
重い腰を上げて、
敦賀2号機の直下にある
「D1」と呼ばれる
断層が
浦底断層につながっているか
ようやく調査に
乗り出すことを決めたそうです
(12月8日付朝屁新聞朝刊社説「後回しの活断層リスク」参照)。
今まで、
動かしがたい証拠が出るまで
(浦底を)活断層と認めない方向で
一貫していた同組織が
再稼働に走りたい
既得権確保の欲望に取られて
「経済的に有利」という
神話流布に
邁進すればするほど
国民にそっぽを向かれる現状を
遅まきながら
感じ取ったようです。
しかし、
活断層の危険に
正面から
向き合おうとした解釈をするには
あまりに
今まで自分たちの都合ばかりを
発信し続けたようです。
敦賀1号機は、
1970年に運転開始。
78年には
耐震指針が作られ、
90年代には
専門家は皆、
活断層の上に原発が立地していることを
確実視してました。
原電は、
それでも
態度を変更しませんでした。
どころか、
2004年には
3、4号機の増設申請しました。
05年、
保安院から
再調査の指示が出て
やっと活断層と認めました。
しかし、「『D1』とつながっていない」
という主張は
まだ引っ込めていません。
廃炉にしたくない一心のこの組織、
「電力会社」でなくて、
「日本原子力発電」
という名称が
何ともいかがわしい組織です。
重い腰を上げて、
敦賀2号機の直下にある
「D1」と呼ばれる
断層が
浦底断層につながっているか
ようやく調査に
乗り出すことを決めたそうです
(12月8日付朝屁新聞朝刊社説「後回しの活断層リスク」参照)。
今まで、
動かしがたい証拠が出るまで
(浦底を)活断層と認めない方向で
一貫していた同組織が
再稼働に走りたい
既得権確保の欲望に取られて
「経済的に有利」という
神話流布に
邁進すればするほど
国民にそっぽを向かれる現状を
遅まきながら
感じ取ったようです。
しかし、
活断層の危険に
正面から
向き合おうとした解釈をするには
あまりに
今まで自分たちの都合ばかりを
発信し続けたようです。
敦賀1号機は、
1970年に運転開始。
78年には
耐震指針が作られ、
90年代には
専門家は皆、
活断層の上に原発が立地していることを
確実視してました。
原電は、
それでも
態度を変更しませんでした。
どころか、
2004年には
3、4号機の増設申請しました。
05年、
保安院から
再調査の指示が出て
やっと活断層と認めました。
しかし、「『D1』とつながっていない」
という主張は
まだ引っ込めていません。
廃炉にしたくない一心のこの組織、
「電力会社」でなくて、
「日本原子力発電」
という名称が
何ともいかがわしい組織です。
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