のんきに介護

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ドイツでの発電所事情

2011年11月13日 17時43分45秒 | Weblog
岩波「世界」2011年、12月号に

ドイツ社民党ロルフ・ヘンぺルマン議員のインタビュー記事が掲載されていました

(聞き手・中本直子)。

彼の国が脱原発に舵を切ったのは、

多くの方が既に知っておられることでしょう。

ドイツに出来、日本ではなぜ、すんなりと実現しそうにないのか、

その理由を考えながら、読んでみました。

気づいたのは、ドイツでは――、

)原子力発電は、補完的過渡的エネルギーだとする、換言すれば、再生可能エネルギーが今後の主流とする立場が有力で、そのため、後者の再生可能エネルギーに投資している人たち、

)ガスや石炭などの従来型発電所、あるいは小規模の中央制御でないブロック発電所によってなされ、こちらに投資している人たちがい、

)公正競争を監視する強力な機関(独占禁止委員会、公正競争委員会)が四大原子力発電所だけがメリットを得るような残存操業期間の単なる延長は公正競争を歪めると判断を下していた――

といった発電所同士がしのぎ合いをする土壌が「3・11」以前からあったという事実です

(90年代末に電力やガスの自由化が行われたそうです)。



福島の事故を受けて、メルケル首相と連邦政府は

2010年、上記)に関連して

残存操業期間の延長を決議してましたが、

適用しないという趣旨のモラトリアム(猶予)制度を発令しました。

しかし、その後にあった州議会選挙で

敗北を喫しました。

そこで、「適用しない」

――直ちに適用しなくとも、いずれは適用するか?――

という曖昧さを残す措置でなく、

段階的な操業停止と将来の廃止を政策として明言するに至ったということです。



日本においても、遅ればせながら、電力会社の活動を

競争原理に委ねるべきじゃないでしょうか。

ただ、この人の発言を文字で追いながら、

感心したのは、

リーマン・ショックの際、

財務相であったシュタインブルック氏が

危機を乗り越えるため

「ヨーロッパという『物語』が必要なのです」

と訴えたという逸話を紹介したことです。

この「物語」とは、

ヨーロッパの成功物語であり、

ヨーロッパ各国の人々がヨーロッパ人として

自分達をアイデンティファイ(統一体視)する意義です。

脱原発は、

単なるドイツの国内事情のみに

拘泥しての決断ではなかったということでしょう。

ヨーロッパ全体を見据えて、

自国の政策決定をする世界観に立脚していることに驚きを感じました。


ヘンパル氏は、

日本が島国であるため、

外から電力を輸入できないとする主張に触れた上で、

「島国と言っても、海を越えて韓国と供給網をつなげることも

十分にできます。

まずは独占体制を打破すれば、

隣国へとまたネットワークを延ばすことも可能です」と言われます。

なるほど、韓国との供給網の接続など

頭を掠めもしなかった案です。

思うに、それ以前に、

東西で50ヘルツと60ヘルツに分れている

状態というのがあって、

想像力が働かないようにされているんですね。

本当、周波数の違いは、

企業が地域独占を強化するために、

わざと放置したままにしているとしか思えないです。



なお、ドイツで脱原発に向かう政策が明確にされたとき、

ツイッタ―上でまことしやかに、

――隣国のフランスから電力を輸入しえるので

ドイツは、このような脱原発の政策を採択しえたに過ぎない――

と指摘する人がいました。

もし、そうなら脱原発も独善的だな、と思いました。

同旨の意見が幾つも続いたように記憶してます。

しかし、フランスから電力を輸入しえるから原子力との縁を切れた、

というのは事実無根なデマなようです。

すなわち、ドイツは、電力を輸入をしているけれど、

輸出もしていて、

全体では、わずかに電力輸出国とのこと。

憶測に基づく指摘なのに、

それと気づけなかった自分に対し、

少し怒りを感じました。

訳知り顔で

「脱原発では電力不足に陥る」という主張は、

とんでもない誤解に基づくか、

さもなくば、原発推進派の洗脳に近い宣伝だったことが

改めて、記憶として脳に刻みつけられました。



ヘンパル氏は、こんな面白い話もされています。

夏場、フランスでは

電力消費量が多くなると、

発電所の出力を下げなければならないというのです。

なぜって、フランスは、

電力の75%以上を原発に依存しているわけですが、

原発からの排水で

川の水の温度が上がり過ぎ、

生態系に負荷をかけすぎるのですね、

その結果、

ドイツから電力を輸入せざるをえないんですって。

これでは、日本でツイートされていたのと、事実が全く逆でしょ!!!



ところで、ドイツでは、実は夏より冬の方が大変らしいです。

電力消費量は、約80ギガワット/時です。

これに対し、

供給量(発電量)は、100ギガワット/時。

なので、量との関係ではOKです。

需要に供給が追いつかないという事態は生じません。

しかし、地域性に難点があるようです。

つまり、発電ではなく、送電が問題だということ。

既存の発電所は、大都市近郊にあります(ここも日本と違いますが)。

しかし、たとえば、

再生可能エネルギー資源の一つである風力発電を例にとると、

それにに適した場所は、

都市から離れてしまうということのようです。

また、原発を順次停止する場合、

代わりうる発電所をどうするかという課題があります。

これは、主に南ドイツでの問題です。

火力発電所を建てるとして、

石炭生産地が近くにあればラッキーなのですが、

遠くなんですね、遠くだと、燃料の輸送のコストがかかります。

元々、だから原発をここに建設した、

という経緯がこの地域にはあったわけです。

送電網と発電所の運営者が

日本と異なって各々違うので、両者が緊密に協力し、

今後の電力需要を贖って行けるように試みるとのことです。

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2 コメント

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何かが違う (kayo)
2011-11-30 22:02:28
同じ内容の事を何かで読んだと思います。

ドイツと同じ発想にならない日本の政治と国民、敢えて国民もと言いたいです。反原発を表明している人もたくさん居ますが、国の方向を変えるほどのマンパワーがまだ足りないと思っています。
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☆kayoさんへ (忠太)
2011-12-01 21:33:35
昔、テレビのCMで「大きなことは、いいことだ」というフレーズがありました。あの広告、日本人の心性に叶っていたがため、大きなインパクトを持ちえたように感じます。とすると、“巨大さ”をアピールするものであれば、今もなお、人を惹きつけるんでしょう。原発が54基もあるのは、この日本人の心性と無意識的な部分で密接に関連している気がします。

フランスという国は、原発依存度が世界1です。隣り合うドイツは、正反対に脱原発に舵を切りました。日本人の関心は、ドイツはそれで、電力不足に陥らないのか…ということでした。

電力問題で言えば、フランスが原発依存を続けられるのは、ドイツから電力を輸入できるからなんですね。しかしながら、それを指摘するとデマを発信しているようにしか受け取られかねない、という残念な事情が日本にはあります。

なぜ、こんな風に事実と正反対なことが日本では流布するのか――。

思うに、日本人は大きなものにコンプレックスがあり、その分、上に述べたように巨大なものに夢を抱きやすく、そして原発という施設が絵に描いたように巨大で国民の潜在的願望を満たすからではないでしょうか。

「小さい方がいい」という文化を、日本は、もう一度、掘り起こしていく必要があるのでしょう。原発事故を境にそのような方向へと国の文化の質が変わることを願います。
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