人は、その2分の1が癌にかかり、3分の1が癌で死ぬらしいです。
NHKの10時放送、立花隆のレポート「癌の謎に挑む」を見ていて感じたのは、
癌という病は「死を受け入れない」という、生命の性(さが)そのものだということ。
“病気”として立ち現われているけれど、
転移や浸潤のたくましさの基(もとい)には、
癌の細胞自体の増殖能力もさることながら
普通の細胞による癌細胞の受け入れも与(あずか)って力あるようです。
たとえば、
体内の免疫機能を担うタンパク質、HIF-1(「ひふぁわん」と読みます)の動きなどです。
ところで、iPS(幹)細胞の生成技術確立に功労のあった
京都大学の山中伸弥教授が
哺乳類は、進化の過程で癌の脅威から免れるため、
爬虫類のような細胞の“再生能力”を放棄したのではないか
と指摘しておられました。
もしそうなら、
本来、人類は、細胞の限りない増殖(再生能力の一顕現)を促す
癌という病にはかかり難いはず・・・なのです。
しかし、その通りでないのは、
何故なのでしょう。
寿命が伸びたからでしょうか。
つまり、人間がかくも癌に罹患しやすいのは、長生きできるようになった反面、
細胞を入れ替える際に生じる遺伝子のコピーミスの機会が増えるため、
通常ならば想定外の、捨て去った“再生能力”の回帰が
癌細胞という形で、
むしろ逆に、普通に認められるようになったという、
天敵がいない故の皮肉な現象なのでしょうか。
もちろん、癌でなくても死亡します。
例外はないでしょう。
ただ、希望としては
日常生活の延長線上でぽっくりいきたいものですね。
死んでも命あることを願って!!!
これぞ、生命の性ですかね。
NHKの10時放送、立花隆のレポート「癌の謎に挑む」を見ていて感じたのは、
癌という病は「死を受け入れない」という、生命の性(さが)そのものだということ。
“病気”として立ち現われているけれど、
転移や浸潤のたくましさの基(もとい)には、
癌の細胞自体の増殖能力もさることながら
普通の細胞による癌細胞の受け入れも与(あずか)って力あるようです。
たとえば、
体内の免疫機能を担うタンパク質、HIF-1(「ひふぁわん」と読みます)の動きなどです。
ところで、iPS(幹)細胞の生成技術確立に功労のあった
京都大学の山中伸弥教授が
哺乳類は、進化の過程で癌の脅威から免れるため、
爬虫類のような細胞の“再生能力”を放棄したのではないか
と指摘しておられました。
もしそうなら、
本来、人類は、細胞の限りない増殖(再生能力の一顕現)を促す
癌という病にはかかり難いはず・・・なのです。
しかし、その通りでないのは、
何故なのでしょう。
寿命が伸びたからでしょうか。
つまり、人間がかくも癌に罹患しやすいのは、長生きできるようになった反面、
細胞を入れ替える際に生じる遺伝子のコピーミスの機会が増えるため、
通常ならば想定外の、捨て去った“再生能力”の回帰が
癌細胞という形で、
むしろ逆に、普通に認められるようになったという、
天敵がいない故の皮肉な現象なのでしょうか。
もちろん、癌でなくても死亡します。
例外はないでしょう。
ただ、希望としては
日常生活の延長線上でぽっくりいきたいものですね。
死んでも命あることを願って!!!
これぞ、生命の性ですかね。
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考えるところ、大いにありました…。
高齢化ががん死1位の背景にあるとしても
がん撲滅の特効薬が開発されないのは
自然破壊がベースにあるという、
とあるドクターの本を読みました。
自然物の成分に倣って開発するのが創薬の基本だそうですが、
もはや自然界は破壊され過ぎていて、
がん克服のためのそれは既に消滅してしまっているのでないかという意見でした。
がーん←ダジャレではありません、汗。
がんは死期がわかっていいなんて言う人がいますが、←そんなカンタンなものじゃない…。
がんで死ぬということは肉体的にも精神的にも大変なことだということがよくわかりました。
がん、この世から消えてもらいたい病です
死は、誰にとっても理不尽です…
叔母さん、お気の毒でしたね。
ひかるさん、叔母さんの分まで生きてあげて下さい。