のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「トゥルー・クライム」

2010年05月12日 04時04分12秒 | Weblog
11日の夜、観た映画(BS2放送)、すごいと感心しました。

ただ、ネタばれが心配ですね。

まずは、同映画についてなされた

新聞(毎日)の番組解説欄の記事をそのまま引用する形で紹介します。

「99年アメリカ。無実の死刑囚を救うため、

死刑執行の当日に

事件を洗い直すベテラン記者の奮闘を描くサスペンス。

クリント・イーストウッド監督・主演」

さて、事件の洗い直しをする主人公がそれに失敗すると、考えますか。

また無実の死刑囚が死ぬという結末は、あなたの中で「あり」、ですか。

・・・

こっから先は、言いません。

あなたの予想される通りの結末です、恐らく。

僕が感心したのは、予想のつく結末ではありません。

主人公のキャラクターです。

1999年、世は「禁煙」が支配的なモラルです(今もですが)。

それなのに、主人公はタバコを吸いまくります。

「社内は全て禁煙」のルールなどお構いなし。

同僚と「副流煙の害」をつまみに、

スパスパです。

のべつ幕無し、主人公はタバコをふかし続け、

愛煙家の溜飲を下げてくれます。

しかし、なぜ、こういう性格づけをしたか。

クリント・イーストウッドが愛煙家だからでしょうか?

あるいは、そうでしょう。

単なるダーティさの演出なのでしょうか。

(百歩譲って)かもしれません。

しかし、もっと本当の理由らしく思われるのは、

ある人にとって、タバコを吸い続けることは特に害悪でも何でもない、からです。

違うでしょうか。

メッセージとして、そこをを伝えている気がします。

喫煙習慣を“ニコチン依存”と決めつけて憚らない人にとっては、

逆立ちしたって受容できない論理かもしれません。

しかし、これだけ嫌煙権が猛威をふるっている現状において、

普通にはタバコを吸えなくなっています。

そんなことないって?

いやぁ、ありますよ。

愛煙家は、

健康信仰に基づくほとんど魔女狩りと言っていいほどの迫害を受けます。

僕は、自分の家でも小っさくなって喫煙してます。

たとえば、愛猫のチアーの眼差し。

一服するため、タバコに火をつけると、決まって

「大変や、おっちゃん! 火事ちゃうか。口から煙が出てる~」 

と心配そうに煙の行方を見やります。

それで思わず、僕は、タバコの火を消したりするわけです。

(猫が煙を避けるのは、嫌煙権を主張してるんじゃない。動物的本能だって?  

そりゃまあ、そうなんですが・・・)

クリント・イーストウッドという監督は、

人間観察が鋭いです。

彼は、健康にばかり目が行っている世相の、その底にある不健康を見て

警鐘を鳴らしているのではないでしょうか。

ただ、この映画から、何を読み込むのか、

個人差が大きい作品だとは思います。

タバコのことばかりでなく、死刑制度への反省もさせられます。

愛って何だろう、という部分での問いかけもあります。

永遠に青春してらっしゃるんだ、この大スターは、とも思いました。

人それぞれに楽しめる映画です。

僕は、喫煙の勇気を堪能させて頂きました。

まあ、何にしろ、多数に流されていては、人生に感動はありませんね。



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