(続き)
日本の司法による事実認定――「河野談話」の真実性は歴史によって検証された
「河野談話」見直し派の攻撃の第二の問題点は、「談話」が発表されて以降の20年余、「談話」の真実性を裏付ける無数の証拠が次つぎに明らかにされたにもかかわらず、それを一切無視しているということです。
加害国である日本の司法による事実認定
証拠は、被害者の証言、加害者側の証言・記録、内外の公文書など、さまざまな形で明らかにされていますが、そのなかでも、加害国である日本の司法による事実認定は、きわめて重い意味をもっています。
各国の元「慰安婦」が、日本政府を被告として謝罪と賠償を求めた裁判は、つぎの10件にのぼります。
1、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」(提訴年1991年、原告9人)。
2、「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」(提訴年1992年、原告3人)。
3、「フィリピン『従軍慰安婦』国家補償請求訴訟」(提訴年1993年、原告46人)。
4、「在日韓国人元『従軍慰安婦』謝罪・補償請求訴訟」(提訴年1993年、原告1人)。
5、「オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償請求訴訟」(提訴年1994年、原告1人)。
6、「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟(第一次)」(提訴年1995年、原告4人)。
7、「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟(第二次)」(提訴年1996年、原告2人)。
8、「山西省性暴力被害者損害賠償等請求訴訟」(提訴年1998年、原告10人)。
9、「台湾人元『慰安婦』謝罪請求・損害賠償訴訟」(提訴年1999年、原告9人)。
10、「海南島戦時性暴力被害賠償請求訴訟」(提訴年2001年、原告8人)。
(注)原告数は、「慰安婦」被害者・その遺族・訴訟承継人の数で、その他の原告は含んでいません。また、原告の数は、2次、3次の提訴分も含みますが、「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟」以外は一つの判決にまとめられているので、合計しています。
これらの裁判の結論は、いずれも原告の損害賠償請求を認めるものとはなりませんでしたが、10件の裁判のうち8件の裁判(上記裁判のうち「フィリピン『従軍慰安婦』国家補償請求訴訟」、「台湾人元『慰安婦』謝罪請求・損害賠償訴訟」をのぞく8件の裁判)の判決では、元「慰安婦」たちの被害の実態を詳しく事実認定しています。
それらの一連の判決は、「河野談話」が認めた、「慰安所」への旧日本軍の関与、「慰安婦」とされる過程における強制性、「慰安所」における強制使役などを、全面的に裏付ける事実認定をおこなっています。加害国である日本の裁判所が、厳格な証拠調べをおこなった結果認定している事実認定は、特別の重さがあります。それは、「河野談話」見直し派が声高に叫ぶ「強制連行はなかった」という主張を打ち砕くものとなっています。
「河野談話」が認めた五つの事実のすべてが「事実と証拠」に基づいて認定された
一連の判決の中では、事実認定は、(1)事件の「背景事情」と、(2)「各原告の被害事実」についておこなわれています。
まず事件の「背景事情」について、一連の裁判の判決は、「河野談話」が認めた事実をほぼ全面的に認めるものとなっています。たとえば、韓国人元「慰安婦」たちが提起した「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」における東京高裁判決(2003年7月22日)はつぎのようにのべています。
「本件の背景事情のうち争いのない事実と証拠(……)によれば、次の事実が認められる。
ア、旧日本軍においては、昭和7年(1932年)のいわゆる上海事変の後ころから、醜業を目的とする軍事慰安所(以下単に『慰安所』という。)が設置され、そのころから終戦時まで、長期に、かつ広範な地域にわたり、慰安所が設置され、数多くの軍隊慰安婦が配置された。……
イ、軍隊慰安婦の募集は、旧日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、斡旋業者がこれに当たっていたが、戦争の拡大とともに軍隊慰安婦の確保の必要性が高まり、業者らは甘言を弄し、あるいは詐欺脅迫により本人たちの意思に反して集めることが多く、さらに、官憲がこれに加担するなどの事例も見られた。
戦地に移送された軍隊慰安婦の出身地は、日本を除けば、朝鮮半島出身者が大きな比重を占めていた。
ウ、旧日本軍は、業者と軍隊慰安婦の輸送について、特別に軍属に準じて渡航許可を与え、また、日本国政府は軍隊慰安婦に身分証明書の発給を行っていた。
エ、慰安所の多くは、旧日本軍の開設許可の下に民間業者により経営されていたが、一部地域においては旧日本軍により直接経営されていた例もあった。民間業者の経営については、旧日本軍が慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金、利用に際しての注意事項等を定めた慰安所規定を定め、軍医による衛生管理が行われるなど、旧日本軍による慰安所の設置、運営、維持及び管理への直接関与があった。
また、軍隊慰安婦は、戦地では常時旧日本軍の管理下に置かれ、旧日本軍とともに行動させられた。……」。
このように判決文は、「河野談話」が認定した五つの事実のほぼすべてについて、裁判をつうじての「争いのない事実と証拠」にもとづいて、事実認定しています。
被害者の一人ひとりについて詳細な事実認定がおこなわれた
一連の判決は、「各自の事実経過」として、元「慰安婦」が被った被害について、一人ひとりについて詳細な事実認定をおこなっています。
八つの裁判の判決で、被害を事実認定されている女性は35人にのぼります。内訳は韓国人10人、中国人24人、オランダ人1人です。一人ひとりの被害に関する事実認定は、読み通すことに大きな苦痛を感じる、たいへん残酷かつ悲惨な、生なましい事実が列挙されています。その特徴点をまとめると、以下のことが確認できます。
(1)35人の被害者全員が強制的に「慰安婦」にさせられたと事実認定した
八つの裁判の判決では、35人全員について、「慰安婦」とされた過程が「その意に反していた」=強制性があったことを認定しています。「慰安婦」とされた年齢については、裁判記録で確認できるものだけでも、35人のうち26人が10代の未成年でした。
韓国人の被害者のケース。甘言など詐欺によるものとともに、強圧をもちいての強制的な連行の事実が認定されています。たとえば、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」の東京高裁判決(2003年7月22日)、「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」の広島高裁判決(2001年3月29日)で認定された個々の被害事実のうち、4名のケースについて示すことにします。(〈 〉内は引用者)。
●「帰宅する途中、釜山駅近くの路地で日本人と朝鮮人の男性二人に呼び止められ、『倉敷の軍服工場にお金を稼ぎに行かないか。』と言われ、承諾もしないうちに、船に押し乗せられてラバウルに連行された」。
●「『日本人の紹介するいい働き口がある』と聞いて行ったところ、日本人と朝鮮人に、芙江から京城、天津を経て〈中国各地の慰安所に〉連れて行かれた」。
●「日本人と朝鮮人が来て、『日本の工場に働きに行けば、一年もすれば嫁入り支度もできる。』と持ちかけられ、断ったものの、強制的にラングーンに連れて行かれ、慰安所に入れられ〈た〉」。
●「日本人と朝鮮人の青年から『金儲けができる仕事があるからついてこないか。』と誘われて、これに応じたところ、釜山から船と汽車で上海まで連れて行かれ、窓のない30ぐらいの小さな部屋に区切られた『陸軍部隊慰安所』という看板が掲げられた長屋の一室に入れられた」。
中国人の被害者のケース。そのすべてについて、日本軍人による暴力を用いての文字通りの強制連行が認定されています。「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟(第一次)」の東京高裁判決(2004年12月15日)が認定した4名の被害事実について示すことにします。
●「日本軍兵士によって自宅から日本軍の駐屯地のあった進圭村に拉致・連行され、駐屯地内のヤオドン(岩山の横穴を利用した住居。転じて、横穴を穿ったものではなく、煉瓦や石を積み重ねて造った建物も指す。)に監禁された」。
●「3人の中国人と3人の武装した日本軍兵士らによって無理やり自宅から連れ出され、銃底で左肩を強打されたり、後ろ手に両手を縛られるなどして抵抗を排除された上、進圭村にある日本軍駐屯地に拉致・連行され、ヤオドンの中に監禁された」。
●「日本軍が襲い、……銃底で左腕を殴られたり、後ろ手に縛られたりして進圭村に連行され、一軒の民家に監禁された」。
●「日本軍兵士によって強制的に進圭村の日本軍駐屯地に拉致・連行され、日本軍兵士などから『夫の居場所を吐け』などと尋問されたり、何回も殴打されるなどした上、ヤオドンの中に監禁され〈た〉」。
(2)「慰安所」での生活は、文字通りの「性奴隷」としての悲惨極まるものだった
被害者の女性たちが、「慰安所」に入れられた後の生活は、一切の自由を奪われる状況のもとで、連日にわたって多数の軍人相手の性行為を強要されるという、文字通りの「性奴隷」としての悲惨極まりないものだったことが、35人の一人ひとりについて、具体的に事実認定されています。「慰安所」での生活は、性行為の強要だけでなく、殴打など野蛮な暴力のもとにおかれていたことも、明らかにされています。
(3)被害者は、肉体的・精神的に深い傷を負い、生涯にわたる後遺症に苦しんでいる
被害者の女性たちが、「慰安所」での虐待によって、肉体的・精神的に深い傷を負い、生涯にわたって後遺症に苦しんでいる事実も認定されています。多くの女性たちが、戦後から今日にいたるまで、「慰安所」での虐待によって、不妊、さまざまな身体的障害、重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)などに苦しめられている事実が明らかにされています。
これらの個々の事実認定は、「河野談話」が認めた「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して」慰安婦とされたこと、「官憲等が直接これに加担したこと」、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものだったこと」を、否定できない事実の積み重ねによって、明らかにするものとなっています。
「河野談話」見直し派は、日本の司法によるこうした事実認定を前にしてもなお、「強制連行はなかった」、「強制的に『慰安婦』とされたという主張には根拠がない」と言い張るつもりでしょうか。
国家的犯罪として断罪されるべき反人道的行為との告発が
日本の司法による判決は、個々の被害事実を認定しているだけではありません。こうした強制が国家的犯罪として断罪されるべき反人道的行為であることをつぎのように告発しています。
「甘言、強圧等により本人の意思に反して慰安所に連行し、さらに、旧軍隊の慰安所に対する直接的、間接的関与の下、政策的、制度的に旧軍人との性交を強要したものであるから、これが二〇世紀半ばの文明的水準に照らしても、極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、少なくとも一流国を標榜する帝国日本がその国家行為において加担すべきものではなかった」「従軍慰安婦制度がいわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であって、これにより慰安婦とされた多くの女性の被った損害を放置することもまた新たに重大な人権侵害を引き起こす……」(「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」、山口地裁下関支部判決、1998年4月27日)。
「被害者原告らに対して加えられた日本兵による強姦等の所業は、それが日中戦争という戦時下において行われたものであったとしても、著しく常軌を逸した卑劣な蛮行というほかはなく、被害者原告らが被った精神的被害が限りなく甚大で、原告ら主張のとおり耐え難いものであったと推認するに難くはなく、また、そのような被害を契機として、その同胞からいわれのない侮蔑、差別などを受けたことも、国籍・民族の違いを超えて、当裁判所においても、優に認め得ることができ〈る〉……」(「山西省性暴力被害者損害賠償請求訴訟」、東京地裁判決、2003年4月24日)。
「極めて反人道的かつ醜悪な行為」、「ナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」、「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」――日本の司法による判決でのこのような峻烈(しゅんれつ)な断罪は、きわめて重く受け止めるべきものです。
「河野談話」の真実性は、いよいよ確かなものとなった
元「慰安婦」が提起した一連の裁判の判決の意義について、河野元官房長官は次のようにのべています。
「平成三年(一九九一)か、四年(一九九二)から、いわゆる従軍慰安婦と言われた人たちが、日本へ来て訴訟を起こすわけですね。その訴訟裁判で事実関係についても、いろいろやりとりがある。平成一四年(二〇〇二)に高裁の判決が出て、最高裁に上告されて最高裁はそれを棄却するわけですね。棄却すると結局高裁の判断が最終的な判断ということになるわけですが、その高裁の判断の裁判長の説明の中に、補償することはもうない、時間が経過してしまったし、両国関係において条約的な処理がなされている、したがって、この人に補償を出すことはないという判断ですが、この人が従軍慰安婦としてどのくらいの苦しみを受けたかという事実関係については、高裁が全部認定した形になっているんですね。最高裁が上告を棄却して戻すわけですから、私は日本の司法はその部分については認めたことになっていると思うんです。その高裁の判決文を読むと、……数人の慰安婦と言われる原告が自分の経験を述べておられて、そのことが判決文にみな書かれてある。それはもう司法の判断としても、そのとおりだという判断を下している。司法のレベル、司法の分野では決着がついていると私は見ているわけです。それに対して政治の世界が、あれはおかしいという。あるいは学術の世界では、学問的にどうだということをいう。それぞれお立場上おっしゃることはご自由ですけれども、事実関係については、私はもう日本の司法が認定をしたと考えています。それはわれわれが聞き取り調査をしたりしたことは間違いなかったということを保証してくれるものであると思います」(出典a)。
河野氏がのべているように、日本軍「慰安婦」に関する事実関係について、「日本の司法が認定」を下し、「司法の分野では決着」がついたのです。司法の認定は、16人の元「慰安婦」への聞き取り調査にもとづく当時の日本政府の判断が、「間違いなかったということを保証」するものともなりました。「河野談話」の真実性は、日本の司法によって、いよいよ確かなものとなったのです。
「軍や官憲による強制連行を直接示す記述はなかった」とする政府答弁書の撤回を
「強制連行を直接示す記述はなかった」とする政府答弁書は、事実と違う
「河野談話」見直し派が、「強制連行を示す証拠はない」などと主張するさいに、その「根拠」として最大限利用しているのが、第1次安倍政権が閣議決定した2007年3月16日の政府答弁書(辻元清美衆議院議員の質問主意書にたいする答弁書)です。この政府答弁書には、次の記述が含まれています。
「同日(『河野談話』を発表した1993年8月4日)の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」。
しかし、この政府答弁書は、事実と違います。
すでにのべてきたように、「河野談話」を発表した時点までに、「慰安婦」とされる過程での強制性を立証する日本側の公文書は見つかりませんでした。しかし、この時点でも、すでに強制的に「慰安婦」にされたことを示す外国側の公文書は存在していました。少なくとも、つぎの二つの公文書は、日本政府は間違いなく知っていたはずです。
オランダ人女性を強制的に連行して「慰安婦」とした「スマラン事件」
第一は、日本の占領下に置かれたオランダ領東インド(現インドネシア)のスマランで軍が「慰安所」を開設し、抑留所に収容していたオランダ人女性を強制的に連行して「慰安婦」にしたという「スマラン事件」にかかわる公文書です。
「スマラン事件」では、戦後のオランダによるBC級戦犯裁判(バタビア臨時軍法会議)で中将や大佐、少佐など日本の軍人7名と軍慰安所経営者4名が死刑や禁錮15年を含む有罪判決を受けました。
この裁判文書を法務省が要約した「バタビア臨時軍法会議の記録」が、「河野談話」の発表とあわせて公表された「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」(内閣外政審議室、1993年8月4日)に含まれていました。そこには「判決事実の概要」として次のような記述がなされています。
「女性の全員又は多くが強制なしには売春に応じないであろうことを察知し得たにもかかわらず、監督を怠った事実、及び、慰安所で女性を脅して売春を強制するなどし、また部下の軍人又は民間人がそのような戦争犯罪行為を行うことを知り、又は知り得たのにそれを黙認した」(死刑とされた元少佐)
「部下の軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどしたような戦争犯罪行為を知り又は知り得たにもかかわらずこれを黙認した」(有期刑10年の元少佐)
これらの事実は、「河野談話」のとりまとめにあたって各省庁に提出させた文書の一環として、法務省が「いわゆる従軍慰安婦問題に関連する戦争犯罪裁判についての調査結果の報告」としてまとめた報告の中にもほぼ同じ内容で記述されています。
「河野談話」の発表のさいは、法務省のまとめた「判決事実の概要」だけが発表され、そのもととなった裁判原資料は公開されませんでしたが、こうした「概要」からだけでも、強制連行の事実を十分に確認することができます。
さらに2013年9月、法務省の集めていた起訴状や判決文など530枚にのぼる原資料が、市民団体の請求に応じて国立公文書館で開示されました。そこには、判決文をはじめ、強制連行の事実を生々しく示す証拠資料が多数含まれています。判決文は次のように事実認定しています。
「日本占領軍当局は、之等婦女子より自由を奪ふことに依りて完全なる従属状態に置き以て彼女等の扶養、保護に対する責任を一手に掌握せり。之にも飽き足らず、占領軍当局者は此の無援、不当なる従属関係を濫用し、暴力或は脅迫を以て、数名の婦女子を最も侮辱的なる選択の後、抑留所より連行せり」。
これらは、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」そのものです。しかも、この開示資料の中には、ジャワ軍司令部そのものが関与していたことを示す日本軍幹部の証言も含まれていました。
「河野談話」の発表に先立って、日本政府が、強制連行を直接の形で示すこれらの公文書を把握していたことは、疑いようがありません。
東京裁判の判決に明記されている中国南部の桂林での強制連行
第二は、極東国際軍事裁判所(東京裁判)の判決に明記されている中国南部の桂林での強制連行の事例です。
東京裁判の裁判文書の中には、中国、インドネシア、ベトナムという3カ国での強制連行を示す証拠文書が含まれています。とりわけ桂林については、判決そのものにつぎのような記述があります。
「桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、彼らは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」。
この記述も、軍による強制的な連行を示すものであることは明らかです。
日本は、1952年のサンフランシスコ平和条約で、東京裁判やBC級戦犯裁判の結果を受諾しています。したがって、その内容について知らないはずはありません。また、その内容について異議をのべる立場にないことは明らかです。その点は、安倍政権自身が、「我が国は、日本国との平和条約第十一条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない」(2007年4月20日の政府答弁書)と回答している通りです。
日本政府として、BC級戦犯裁判や東京裁判の公文書に明記されている強制連行を示す記述を知らなかったと言い張ることは、通用する話では決してありません。
事実と異なり、有害きわまる役割を果たしている政府答弁書の撤回を求める
このように、「河野談話」の発表までの時点でみても、「政府が発見した資料」(あるいは政府が知っていた資料)のなかに、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」があったことは、否定しようのない事実です。
さらに、「河野談話」発表以後、日本の司法の裁判によって明らかになった強制連行の数々の事実認定を踏まえるならば、「軍や官憲による強制連行を直接示すような記述が見当たらなかった」とする政府答弁書の立場に、今日なお政府が固執し、その主張を繰り返すことは、許されるものではありません。
第1次安倍政権による政府答弁書は、「河野談話」見直し派によって、「錦の御旗」として利用されています。それは独り歩きして、歴史の事実を捻(ね)じ曲げる役割を果たしています。すなわち、政府答弁書そのものは、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」であるのに、それが「強制連行を示す証拠はなかった」と読み替えられ、さらに「強制連行はなかった」と読み替えられ、日本軍「慰安婦」制度の強制性全般を否定する最大のよりどころとして利用されているのです。
日本共産党は、事実と異なり、歴史の事実を捻じ曲げる有害きわまる役割を果たしている、2007年3月16日の政府答弁書を撤回することを、強く求めるものです。
歴史に正面から向き合い、誠実かつ真摯に誤りを認め、未来への教訓とする態度を
女性に対する国際的人権保障の発展と、日本軍「慰安婦」問題
この間、国際社会では、女性に対する組織的な性暴力――強姦、性的奴隷、強制売淫、強制妊娠、強制不妊など――を時効の許されない「人道に対する罪」に位置づけた国際刑事裁判所の「規程」の採択(1998年)など、女性の国際的人権保障が大きく発展してきました。
女性に対するいっさいの組織的な性暴力を根絶し、そのためにも、過去の重大な誤りの清算を求めている国際社会にあって、日本軍「慰安婦」問題での日本の態度がたえず批判の対象にされるのは当然であり、日本政府には、国際的な批判にこたえる国際的な責務があります。
「性奴隷制」を認め、強制性を否定する議論に反論を――これが世界の声
(1)「強制連行はなかった」とする安倍政権の動きが強まった2007年以降、日本軍「慰安婦」制度の強制性を否定する勢力の策動は、世界中から厳しい批判をあびました。
これまでに、米国下院、オランダ下院、カナダ下院、欧州議会、韓国国会、台湾立法院、フィリピン下院外交委員会と七つの国・地域の議会から日本政府にたいする抗議や勧告の決議があげられています。国連や国際機関からも、国連の二つの詳しい調査報告書(1996年の国連人権委員会「クマラスワミ報告」、1998年の同委員会「マクドゥーガル報告」)のほか、国連人権理事会、自由権規約委員会、社会権規約委員会、女性差別撤廃委員会、拷問禁止委員会、国際労働機関(ILO)などから、日本政府にたいする是正勧告が繰り返し出されています。
(2)2007年7月に採択された米国下院の決議は次のようにのべています。
「日本政府は、……世界に『慰安婦』として知られる、若い女性たちに性的奴隷制を強いた日本皇軍の強制行為について、明確かつ曖昧さのない形で、歴史的責任を公式に認め、謝罪し、受け入れるべきである」。
「日本政府は、日本皇軍のための『慰安婦』の性奴隷化と人身取引は決してなかったとするいかなる主張にたいしても、明確かつ公的に反駁(はんばく)すべきである」。
(3)2007年12月に採択された欧州議会の決議は次のようにのべています。
「世界に『慰安婦』として知られる、若い女性たちに性的奴隷制を強いた日本皇軍の強制行為について、明確かつ曖昧さのない形で、歴史的かつ法的責任を公式に認め、謝罪し、受け入れることを、日本政府に要請する」。
「『慰安婦』の隷属化と奴隷化は決してなかったとするいかなる主張にたいしても、公的に反駁することを日本政府に要請する」。
日本軍「慰安婦」制度は、政府と軍による「性的奴隷制」であったという事実を明確かつ曖昧さのない形で公式に認めるべきだ、「慰安婦」制度の強制性を否定するいかなる主張に対しても明確かつ公式に反論するべきだ――これが日本政府につきつけられている世界の声なのです。
「河野談話」の見直しを叫び、日本軍「慰安婦」制度の強制性を否定する主張は、日本のごく一部の極右的な集団のなかでは通用しても、世界ではおよそ通用しないものであり、最も厳しい批判の対象とされる主張といわなければなりません。
歴史を改ざんする勢力に未来はない
いま日本政府の立場が厳しく問われています。
安倍政権が、「河野談話」見直し論にたいして、毅然(きぜん)とした態度をとらず、それに迎合する態度をとり続けるならば、人権と人間の尊厳をめぐっての日本政府の国際的信頼は大きく損なわれることになるでしょう。
都合の悪い歴史を隠蔽(いんぺい)し、改ざんすることは、最も恥ずべきことです。そのような勢力に未来は決してありません。
日本共産党は、日本政府が、「河野談話」が明らかにした日本軍「慰安婦」制度の真実を正面から認めるとともに、歴史を改ざんする主張にたいしてきっぱりと反論することを強く求めます。さらに、「河野談話」が表明した「痛切な反省」と「心からのお詫び」にふさわしい行動――事実の徹底した解明、被害者にたいする公式の謝罪、その誤りを償う補償、将来にわたって誤りを繰り返さないための歴史教育など――をとることを強く求めるものです。
歴史はつくりかえることはできません。しかし向き合うことはできます。歴史の真実に正面から向き合い、誠実かつ真摯(しんし)に誤りを認め、未来への教訓とする態度をとってこそ、日本はアジアと世界から信頼され尊敬される国となることができるでしょう。
日本共産党は、歴史の逆流を一掃し、日本の政治のなかに、人権と正義、理性と良心がつらぬかれるようにするために、あらゆる力をつくすものです。
(了)
日本の司法による事実認定――「河野談話」の真実性は歴史によって検証された
「河野談話」見直し派の攻撃の第二の問題点は、「談話」が発表されて以降の20年余、「談話」の真実性を裏付ける無数の証拠が次つぎに明らかにされたにもかかわらず、それを一切無視しているということです。
加害国である日本の司法による事実認定
証拠は、被害者の証言、加害者側の証言・記録、内外の公文書など、さまざまな形で明らかにされていますが、そのなかでも、加害国である日本の司法による事実認定は、きわめて重い意味をもっています。
各国の元「慰安婦」が、日本政府を被告として謝罪と賠償を求めた裁判は、つぎの10件にのぼります。
1、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」(提訴年1991年、原告9人)。
2、「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」(提訴年1992年、原告3人)。
3、「フィリピン『従軍慰安婦』国家補償請求訴訟」(提訴年1993年、原告46人)。
4、「在日韓国人元『従軍慰安婦』謝罪・補償請求訴訟」(提訴年1993年、原告1人)。
5、「オランダ人元捕虜・民間抑留者損害賠償請求訴訟」(提訴年1994年、原告1人)。
6、「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟(第一次)」(提訴年1995年、原告4人)。
7、「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟(第二次)」(提訴年1996年、原告2人)。
8、「山西省性暴力被害者損害賠償等請求訴訟」(提訴年1998年、原告10人)。
9、「台湾人元『慰安婦』謝罪請求・損害賠償訴訟」(提訴年1999年、原告9人)。
10、「海南島戦時性暴力被害賠償請求訴訟」(提訴年2001年、原告8人)。
(注)原告数は、「慰安婦」被害者・その遺族・訴訟承継人の数で、その他の原告は含んでいません。また、原告の数は、2次、3次の提訴分も含みますが、「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟」以外は一つの判決にまとめられているので、合計しています。
これらの裁判の結論は、いずれも原告の損害賠償請求を認めるものとはなりませんでしたが、10件の裁判のうち8件の裁判(上記裁判のうち「フィリピン『従軍慰安婦』国家補償請求訴訟」、「台湾人元『慰安婦』謝罪請求・損害賠償訴訟」をのぞく8件の裁判)の判決では、元「慰安婦」たちの被害の実態を詳しく事実認定しています。
それらの一連の判決は、「河野談話」が認めた、「慰安所」への旧日本軍の関与、「慰安婦」とされる過程における強制性、「慰安所」における強制使役などを、全面的に裏付ける事実認定をおこなっています。加害国である日本の裁判所が、厳格な証拠調べをおこなった結果認定している事実認定は、特別の重さがあります。それは、「河野談話」見直し派が声高に叫ぶ「強制連行はなかった」という主張を打ち砕くものとなっています。
「河野談話」が認めた五つの事実のすべてが「事実と証拠」に基づいて認定された
一連の判決の中では、事実認定は、(1)事件の「背景事情」と、(2)「各原告の被害事実」についておこなわれています。
まず事件の「背景事情」について、一連の裁判の判決は、「河野談話」が認めた事実をほぼ全面的に認めるものとなっています。たとえば、韓国人元「慰安婦」たちが提起した「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」における東京高裁判決(2003年7月22日)はつぎのようにのべています。
「本件の背景事情のうち争いのない事実と証拠(……)によれば、次の事実が認められる。
ア、旧日本軍においては、昭和7年(1932年)のいわゆる上海事変の後ころから、醜業を目的とする軍事慰安所(以下単に『慰安所』という。)が設置され、そのころから終戦時まで、長期に、かつ広範な地域にわたり、慰安所が設置され、数多くの軍隊慰安婦が配置された。……
イ、軍隊慰安婦の募集は、旧日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、斡旋業者がこれに当たっていたが、戦争の拡大とともに軍隊慰安婦の確保の必要性が高まり、業者らは甘言を弄し、あるいは詐欺脅迫により本人たちの意思に反して集めることが多く、さらに、官憲がこれに加担するなどの事例も見られた。
戦地に移送された軍隊慰安婦の出身地は、日本を除けば、朝鮮半島出身者が大きな比重を占めていた。
ウ、旧日本軍は、業者と軍隊慰安婦の輸送について、特別に軍属に準じて渡航許可を与え、また、日本国政府は軍隊慰安婦に身分証明書の発給を行っていた。
エ、慰安所の多くは、旧日本軍の開設許可の下に民間業者により経営されていたが、一部地域においては旧日本軍により直接経営されていた例もあった。民間業者の経営については、旧日本軍が慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金、利用に際しての注意事項等を定めた慰安所規定を定め、軍医による衛生管理が行われるなど、旧日本軍による慰安所の設置、運営、維持及び管理への直接関与があった。
また、軍隊慰安婦は、戦地では常時旧日本軍の管理下に置かれ、旧日本軍とともに行動させられた。……」。
このように判決文は、「河野談話」が認定した五つの事実のほぼすべてについて、裁判をつうじての「争いのない事実と証拠」にもとづいて、事実認定しています。
被害者の一人ひとりについて詳細な事実認定がおこなわれた
一連の判決は、「各自の事実経過」として、元「慰安婦」が被った被害について、一人ひとりについて詳細な事実認定をおこなっています。
八つの裁判の判決で、被害を事実認定されている女性は35人にのぼります。内訳は韓国人10人、中国人24人、オランダ人1人です。一人ひとりの被害に関する事実認定は、読み通すことに大きな苦痛を感じる、たいへん残酷かつ悲惨な、生なましい事実が列挙されています。その特徴点をまとめると、以下のことが確認できます。
(1)35人の被害者全員が強制的に「慰安婦」にさせられたと事実認定した
八つの裁判の判決では、35人全員について、「慰安婦」とされた過程が「その意に反していた」=強制性があったことを認定しています。「慰安婦」とされた年齢については、裁判記録で確認できるものだけでも、35人のうち26人が10代の未成年でした。
韓国人の被害者のケース。甘言など詐欺によるものとともに、強圧をもちいての強制的な連行の事実が認定されています。たとえば、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」の東京高裁判決(2003年7月22日)、「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」の広島高裁判決(2001年3月29日)で認定された個々の被害事実のうち、4名のケースについて示すことにします。(〈 〉内は引用者)。
●「帰宅する途中、釜山駅近くの路地で日本人と朝鮮人の男性二人に呼び止められ、『倉敷の軍服工場にお金を稼ぎに行かないか。』と言われ、承諾もしないうちに、船に押し乗せられてラバウルに連行された」。
●「『日本人の紹介するいい働き口がある』と聞いて行ったところ、日本人と朝鮮人に、芙江から京城、天津を経て〈中国各地の慰安所に〉連れて行かれた」。
●「日本人と朝鮮人が来て、『日本の工場に働きに行けば、一年もすれば嫁入り支度もできる。』と持ちかけられ、断ったものの、強制的にラングーンに連れて行かれ、慰安所に入れられ〈た〉」。
●「日本人と朝鮮人の青年から『金儲けができる仕事があるからついてこないか。』と誘われて、これに応じたところ、釜山から船と汽車で上海まで連れて行かれ、窓のない30ぐらいの小さな部屋に区切られた『陸軍部隊慰安所』という看板が掲げられた長屋の一室に入れられた」。
中国人の被害者のケース。そのすべてについて、日本軍人による暴力を用いての文字通りの強制連行が認定されています。「中国人『慰安婦』損害賠償請求訴訟(第一次)」の東京高裁判決(2004年12月15日)が認定した4名の被害事実について示すことにします。
●「日本軍兵士によって自宅から日本軍の駐屯地のあった進圭村に拉致・連行され、駐屯地内のヤオドン(岩山の横穴を利用した住居。転じて、横穴を穿ったものではなく、煉瓦や石を積み重ねて造った建物も指す。)に監禁された」。
●「3人の中国人と3人の武装した日本軍兵士らによって無理やり自宅から連れ出され、銃底で左肩を強打されたり、後ろ手に両手を縛られるなどして抵抗を排除された上、進圭村にある日本軍駐屯地に拉致・連行され、ヤオドンの中に監禁された」。
●「日本軍が襲い、……銃底で左腕を殴られたり、後ろ手に縛られたりして進圭村に連行され、一軒の民家に監禁された」。
●「日本軍兵士によって強制的に進圭村の日本軍駐屯地に拉致・連行され、日本軍兵士などから『夫の居場所を吐け』などと尋問されたり、何回も殴打されるなどした上、ヤオドンの中に監禁され〈た〉」。
(2)「慰安所」での生活は、文字通りの「性奴隷」としての悲惨極まるものだった
被害者の女性たちが、「慰安所」に入れられた後の生活は、一切の自由を奪われる状況のもとで、連日にわたって多数の軍人相手の性行為を強要されるという、文字通りの「性奴隷」としての悲惨極まりないものだったことが、35人の一人ひとりについて、具体的に事実認定されています。「慰安所」での生活は、性行為の強要だけでなく、殴打など野蛮な暴力のもとにおかれていたことも、明らかにされています。
(3)被害者は、肉体的・精神的に深い傷を負い、生涯にわたる後遺症に苦しんでいる
被害者の女性たちが、「慰安所」での虐待によって、肉体的・精神的に深い傷を負い、生涯にわたって後遺症に苦しんでいる事実も認定されています。多くの女性たちが、戦後から今日にいたるまで、「慰安所」での虐待によって、不妊、さまざまな身体的障害、重度の心的外傷後ストレス障害(PTSD)などに苦しめられている事実が明らかにされています。
これらの個々の事実認定は、「河野談話」が認めた「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して」慰安婦とされたこと、「官憲等が直接これに加担したこと」、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものだったこと」を、否定できない事実の積み重ねによって、明らかにするものとなっています。
「河野談話」見直し派は、日本の司法によるこうした事実認定を前にしてもなお、「強制連行はなかった」、「強制的に『慰安婦』とされたという主張には根拠がない」と言い張るつもりでしょうか。
国家的犯罪として断罪されるべき反人道的行為との告発が
日本の司法による判決は、個々の被害事実を認定しているだけではありません。こうした強制が国家的犯罪として断罪されるべき反人道的行為であることをつぎのように告発しています。
「甘言、強圧等により本人の意思に反して慰安所に連行し、さらに、旧軍隊の慰安所に対する直接的、間接的関与の下、政策的、制度的に旧軍人との性交を強要したものであるから、これが二〇世紀半ばの文明的水準に照らしても、極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、少なくとも一流国を標榜する帝国日本がその国家行為において加担すべきものではなかった」「従軍慰安婦制度がいわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であって、これにより慰安婦とされた多くの女性の被った損害を放置することもまた新たに重大な人権侵害を引き起こす……」(「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟」、山口地裁下関支部判決、1998年4月27日)。
「被害者原告らに対して加えられた日本兵による強姦等の所業は、それが日中戦争という戦時下において行われたものであったとしても、著しく常軌を逸した卑劣な蛮行というほかはなく、被害者原告らが被った精神的被害が限りなく甚大で、原告ら主張のとおり耐え難いものであったと推認するに難くはなく、また、そのような被害を契機として、その同胞からいわれのない侮蔑、差別などを受けたことも、国籍・民族の違いを超えて、当裁判所においても、優に認め得ることができ〈る〉……」(「山西省性暴力被害者損害賠償請求訴訟」、東京地裁判決、2003年4月24日)。
「極めて反人道的かつ醜悪な行為」、「ナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」、「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」――日本の司法による判決でのこのような峻烈(しゅんれつ)な断罪は、きわめて重く受け止めるべきものです。
「河野談話」の真実性は、いよいよ確かなものとなった
元「慰安婦」が提起した一連の裁判の判決の意義について、河野元官房長官は次のようにのべています。
「平成三年(一九九一)か、四年(一九九二)から、いわゆる従軍慰安婦と言われた人たちが、日本へ来て訴訟を起こすわけですね。その訴訟裁判で事実関係についても、いろいろやりとりがある。平成一四年(二〇〇二)に高裁の判決が出て、最高裁に上告されて最高裁はそれを棄却するわけですね。棄却すると結局高裁の判断が最終的な判断ということになるわけですが、その高裁の判断の裁判長の説明の中に、補償することはもうない、時間が経過してしまったし、両国関係において条約的な処理がなされている、したがって、この人に補償を出すことはないという判断ですが、この人が従軍慰安婦としてどのくらいの苦しみを受けたかという事実関係については、高裁が全部認定した形になっているんですね。最高裁が上告を棄却して戻すわけですから、私は日本の司法はその部分については認めたことになっていると思うんです。その高裁の判決文を読むと、……数人の慰安婦と言われる原告が自分の経験を述べておられて、そのことが判決文にみな書かれてある。それはもう司法の判断としても、そのとおりだという判断を下している。司法のレベル、司法の分野では決着がついていると私は見ているわけです。それに対して政治の世界が、あれはおかしいという。あるいは学術の世界では、学問的にどうだということをいう。それぞれお立場上おっしゃることはご自由ですけれども、事実関係については、私はもう日本の司法が認定をしたと考えています。それはわれわれが聞き取り調査をしたりしたことは間違いなかったということを保証してくれるものであると思います」(出典a)。
河野氏がのべているように、日本軍「慰安婦」に関する事実関係について、「日本の司法が認定」を下し、「司法の分野では決着」がついたのです。司法の認定は、16人の元「慰安婦」への聞き取り調査にもとづく当時の日本政府の判断が、「間違いなかったということを保証」するものともなりました。「河野談話」の真実性は、日本の司法によって、いよいよ確かなものとなったのです。
「軍や官憲による強制連行を直接示す記述はなかった」とする政府答弁書の撤回を
「強制連行を直接示す記述はなかった」とする政府答弁書は、事実と違う
「河野談話」見直し派が、「強制連行を示す証拠はない」などと主張するさいに、その「根拠」として最大限利用しているのが、第1次安倍政権が閣議決定した2007年3月16日の政府答弁書(辻元清美衆議院議員の質問主意書にたいする答弁書)です。この政府答弁書には、次の記述が含まれています。
「同日(『河野談話』を発表した1993年8月4日)の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」。
しかし、この政府答弁書は、事実と違います。
すでにのべてきたように、「河野談話」を発表した時点までに、「慰安婦」とされる過程での強制性を立証する日本側の公文書は見つかりませんでした。しかし、この時点でも、すでに強制的に「慰安婦」にされたことを示す外国側の公文書は存在していました。少なくとも、つぎの二つの公文書は、日本政府は間違いなく知っていたはずです。
オランダ人女性を強制的に連行して「慰安婦」とした「スマラン事件」
第一は、日本の占領下に置かれたオランダ領東インド(現インドネシア)のスマランで軍が「慰安所」を開設し、抑留所に収容していたオランダ人女性を強制的に連行して「慰安婦」にしたという「スマラン事件」にかかわる公文書です。
「スマラン事件」では、戦後のオランダによるBC級戦犯裁判(バタビア臨時軍法会議)で中将や大佐、少佐など日本の軍人7名と軍慰安所経営者4名が死刑や禁錮15年を含む有罪判決を受けました。
この裁判文書を法務省が要約した「バタビア臨時軍法会議の記録」が、「河野談話」の発表とあわせて公表された「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」(内閣外政審議室、1993年8月4日)に含まれていました。そこには「判決事実の概要」として次のような記述がなされています。
「女性の全員又は多くが強制なしには売春に応じないであろうことを察知し得たにもかかわらず、監督を怠った事実、及び、慰安所で女性を脅して売春を強制するなどし、また部下の軍人又は民間人がそのような戦争犯罪行為を行うことを知り、又は知り得たのにそれを黙認した」(死刑とされた元少佐)
「部下の軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどしたような戦争犯罪行為を知り又は知り得たにもかかわらずこれを黙認した」(有期刑10年の元少佐)
これらの事実は、「河野談話」のとりまとめにあたって各省庁に提出させた文書の一環として、法務省が「いわゆる従軍慰安婦問題に関連する戦争犯罪裁判についての調査結果の報告」としてまとめた報告の中にもほぼ同じ内容で記述されています。
「河野談話」の発表のさいは、法務省のまとめた「判決事実の概要」だけが発表され、そのもととなった裁判原資料は公開されませんでしたが、こうした「概要」からだけでも、強制連行の事実を十分に確認することができます。
さらに2013年9月、法務省の集めていた起訴状や判決文など530枚にのぼる原資料が、市民団体の請求に応じて国立公文書館で開示されました。そこには、判決文をはじめ、強制連行の事実を生々しく示す証拠資料が多数含まれています。判決文は次のように事実認定しています。
「日本占領軍当局は、之等婦女子より自由を奪ふことに依りて完全なる従属状態に置き以て彼女等の扶養、保護に対する責任を一手に掌握せり。之にも飽き足らず、占領軍当局者は此の無援、不当なる従属関係を濫用し、暴力或は脅迫を以て、数名の婦女子を最も侮辱的なる選択の後、抑留所より連行せり」。
これらは、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」そのものです。しかも、この開示資料の中には、ジャワ軍司令部そのものが関与していたことを示す日本軍幹部の証言も含まれていました。
「河野談話」の発表に先立って、日本政府が、強制連行を直接の形で示すこれらの公文書を把握していたことは、疑いようがありません。
東京裁判の判決に明記されている中国南部の桂林での強制連行
第二は、極東国際軍事裁判所(東京裁判)の判決に明記されている中国南部の桂林での強制連行の事例です。
東京裁判の裁判文書の中には、中国、インドネシア、ベトナムという3カ国での強制連行を示す証拠文書が含まれています。とりわけ桂林については、判決そのものにつぎのような記述があります。
「桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、彼らは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」。
この記述も、軍による強制的な連行を示すものであることは明らかです。
日本は、1952年のサンフランシスコ平和条約で、東京裁判やBC級戦犯裁判の結果を受諾しています。したがって、その内容について知らないはずはありません。また、その内容について異議をのべる立場にないことは明らかです。その点は、安倍政権自身が、「我が国は、日本国との平和条約第十一条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない」(2007年4月20日の政府答弁書)と回答している通りです。
日本政府として、BC級戦犯裁判や東京裁判の公文書に明記されている強制連行を示す記述を知らなかったと言い張ることは、通用する話では決してありません。
事実と異なり、有害きわまる役割を果たしている政府答弁書の撤回を求める
このように、「河野談話」の発表までの時点でみても、「政府が発見した資料」(あるいは政府が知っていた資料)のなかに、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」があったことは、否定しようのない事実です。
さらに、「河野談話」発表以後、日本の司法の裁判によって明らかになった強制連行の数々の事実認定を踏まえるならば、「軍や官憲による強制連行を直接示すような記述が見当たらなかった」とする政府答弁書の立場に、今日なお政府が固執し、その主張を繰り返すことは、許されるものではありません。
第1次安倍政権による政府答弁書は、「河野談話」見直し派によって、「錦の御旗」として利用されています。それは独り歩きして、歴史の事実を捻(ね)じ曲げる役割を果たしています。すなわち、政府答弁書そのものは、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」であるのに、それが「強制連行を示す証拠はなかった」と読み替えられ、さらに「強制連行はなかった」と読み替えられ、日本軍「慰安婦」制度の強制性全般を否定する最大のよりどころとして利用されているのです。
日本共産党は、事実と異なり、歴史の事実を捻じ曲げる有害きわまる役割を果たしている、2007年3月16日の政府答弁書を撤回することを、強く求めるものです。
歴史に正面から向き合い、誠実かつ真摯に誤りを認め、未来への教訓とする態度を
女性に対する国際的人権保障の発展と、日本軍「慰安婦」問題
この間、国際社会では、女性に対する組織的な性暴力――強姦、性的奴隷、強制売淫、強制妊娠、強制不妊など――を時効の許されない「人道に対する罪」に位置づけた国際刑事裁判所の「規程」の採択(1998年)など、女性の国際的人権保障が大きく発展してきました。
女性に対するいっさいの組織的な性暴力を根絶し、そのためにも、過去の重大な誤りの清算を求めている国際社会にあって、日本軍「慰安婦」問題での日本の態度がたえず批判の対象にされるのは当然であり、日本政府には、国際的な批判にこたえる国際的な責務があります。
「性奴隷制」を認め、強制性を否定する議論に反論を――これが世界の声
(1)「強制連行はなかった」とする安倍政権の動きが強まった2007年以降、日本軍「慰安婦」制度の強制性を否定する勢力の策動は、世界中から厳しい批判をあびました。
これまでに、米国下院、オランダ下院、カナダ下院、欧州議会、韓国国会、台湾立法院、フィリピン下院外交委員会と七つの国・地域の議会から日本政府にたいする抗議や勧告の決議があげられています。国連や国際機関からも、国連の二つの詳しい調査報告書(1996年の国連人権委員会「クマラスワミ報告」、1998年の同委員会「マクドゥーガル報告」)のほか、国連人権理事会、自由権規約委員会、社会権規約委員会、女性差別撤廃委員会、拷問禁止委員会、国際労働機関(ILO)などから、日本政府にたいする是正勧告が繰り返し出されています。
(2)2007年7月に採択された米国下院の決議は次のようにのべています。
「日本政府は、……世界に『慰安婦』として知られる、若い女性たちに性的奴隷制を強いた日本皇軍の強制行為について、明確かつ曖昧さのない形で、歴史的責任を公式に認め、謝罪し、受け入れるべきである」。
「日本政府は、日本皇軍のための『慰安婦』の性奴隷化と人身取引は決してなかったとするいかなる主張にたいしても、明確かつ公的に反駁(はんばく)すべきである」。
(3)2007年12月に採択された欧州議会の決議は次のようにのべています。
「世界に『慰安婦』として知られる、若い女性たちに性的奴隷制を強いた日本皇軍の強制行為について、明確かつ曖昧さのない形で、歴史的かつ法的責任を公式に認め、謝罪し、受け入れることを、日本政府に要請する」。
「『慰安婦』の隷属化と奴隷化は決してなかったとするいかなる主張にたいしても、公的に反駁することを日本政府に要請する」。
日本軍「慰安婦」制度は、政府と軍による「性的奴隷制」であったという事実を明確かつ曖昧さのない形で公式に認めるべきだ、「慰安婦」制度の強制性を否定するいかなる主張に対しても明確かつ公式に反論するべきだ――これが日本政府につきつけられている世界の声なのです。
「河野談話」の見直しを叫び、日本軍「慰安婦」制度の強制性を否定する主張は、日本のごく一部の極右的な集団のなかでは通用しても、世界ではおよそ通用しないものであり、最も厳しい批判の対象とされる主張といわなければなりません。
歴史を改ざんする勢力に未来はない
いま日本政府の立場が厳しく問われています。
安倍政権が、「河野談話」見直し論にたいして、毅然(きぜん)とした態度をとらず、それに迎合する態度をとり続けるならば、人権と人間の尊厳をめぐっての日本政府の国際的信頼は大きく損なわれることになるでしょう。
都合の悪い歴史を隠蔽(いんぺい)し、改ざんすることは、最も恥ずべきことです。そのような勢力に未来は決してありません。
日本共産党は、日本政府が、「河野談話」が明らかにした日本軍「慰安婦」制度の真実を正面から認めるとともに、歴史を改ざんする主張にたいしてきっぱりと反論することを強く求めます。さらに、「河野談話」が表明した「痛切な反省」と「心からのお詫び」にふさわしい行動――事実の徹底した解明、被害者にたいする公式の謝罪、その誤りを償う補償、将来にわたって誤りを繰り返さないための歴史教育など――をとることを強く求めるものです。
歴史はつくりかえることはできません。しかし向き合うことはできます。歴史の真実に正面から向き合い、誠実かつ真摯(しんし)に誤りを認め、未来への教訓とする態度をとってこそ、日本はアジアと世界から信頼され尊敬される国となることができるでしょう。
日本共産党は、歴史の逆流を一掃し、日本の政治のなかに、人権と正義、理性と良心がつらぬかれるようにするために、あらゆる力をつくすものです。
(了)
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