昭和38年のことが
しばらく前、テレビなどで話題になったようですね。
(昔懐かしい)
と言うだけなら罪がないです。
しかし、放射能との関係で世間の人の口の端に上っているのですから、
穏やかではおれないです。
昭和38年と言えば、
国内ニュースでは、
吉展ちゃん事件が記憶に残っています。
さらに、ケネディが暗殺され
世界が騒然としました。
放射能の多さ、なんて言われても、
へっ? でした。
あまり記憶に残っていなかったです。
しかし、アメリカや旧ソ連との間で
核実験の部分的停止条約が締結される前夜であり、後夜です。
盛んに核実験が行われると同時に、世界が反省する年でもあったんですね。
徐々に記憶が甦りだし、
福島原発事故後、そうか、と意識するようになりました。
何でも昭和38年の、その年、一年間で
1平方キロメートル当たり、
1924メガベクレルもの放射性物質(セシウム137)を
日本の地で確認したとか。
子供の頃、
「今日は、雨に打たれては駄目です。
窓を固く締めなさい」
と学校で注意されたのを覚えています。
昭和38年の頃でした。
今年の3月21日、
東京の子供たちは雨から守られていたのでしょうか。
ちゃんと、教育委員会から通達が届いていたのか気になるところです。
聞くところによれば、
3月21日の午前9時から翌日の同時刻まで
わずか一日で、
48年前の一年間の積算である量の約2・8倍、
5300メガベクレルの放射能量が観測されたらしいです
(産経ニュース〈3/25日付「早く沈静化を」〉参照。
なお、次のyou-tubeの動画に当該ニュースからの引用があります。
諸葛先生「1960年頃の大気中のセシウムの濃度は10000倍高かった」
――この動画は、「被ばくのリスク」にコメントを下さった越後屋さんの情報提供で知りました。
諸葛先生って、専門家なのに
放射能拡散のリスクを比較してはいけないものと比較し、筋が通ってません。
福島の原発事故を、
1960年代のどこかの国の核実験と(あえてでしょうが)混同しているかのようです。
この際、言っておきますと、
原子爆弾は、原発の事故ほどには放射性物質を拡散しないと考えられます。
なぜ、それほど拡散しないかというと、核物質が爆発の地点でほとんどが燃え尽きるからです。
しかし、だからって、安全か?
というと、違うでしょ。
ほとんど拡散しないと言っても、まったくしないわけではありません。
希釈されても、放射性物質は、有害なんです。
その影響は、後々出てきます。
この点に関しては、稿を改めて記します。
諸葛先生のような人が相手だと、
放射性物質を多く受ければ受けるほど、人体に免疫が出来るのでしょうか…
などという、子供じみた質問までしなければならないようです。
原子力推進派の考えって、聞けば聞くほどに、ブラックジョークですな)。
さて、その放射能の原因物質セシウム137って、
どこに姿を消したのでしょうか。
半減期30年の兵(つわもの)ですから、消滅したというのではないでしょう
(この言い方、誤解招きますね。たとえ、半減期が短かったにしても、
期間の経過により元の放射性物質のその半分の量が、他の放射性物質に変化するだけのことです。
有害であることに変わりありません
→「三種の放射線と誤解を招きやすい事柄」)。
どこかに潜んでいるわけです。
それを考えながら
原点を見直す上でも、
日本において、
原子力の平和利用なんてことが言われ出した、
始めの頃を振り返って見るのは悪くないかもしれないですね。
ちなみに、
原子力の足場が最初に表明されたのは、昭和32年発行の白書においてでした。
資料として下に掲げておきます。
☆昭和31年版 「原 子 力 白 書」
しばらく前、テレビなどで話題になったようですね。
(昔懐かしい)
と言うだけなら罪がないです。
しかし、放射能との関係で世間の人の口の端に上っているのですから、
穏やかではおれないです。
昭和38年と言えば、
国内ニュースでは、
吉展ちゃん事件が記憶に残っています。
さらに、ケネディが暗殺され
世界が騒然としました。
放射能の多さ、なんて言われても、
へっ? でした。
あまり記憶に残っていなかったです。
しかし、アメリカや旧ソ連との間で
核実験の部分的停止条約が締結される前夜であり、後夜です。
盛んに核実験が行われると同時に、世界が反省する年でもあったんですね。
徐々に記憶が甦りだし、
福島原発事故後、そうか、と意識するようになりました。
何でも昭和38年の、その年、一年間で
1平方キロメートル当たり、
1924メガベクレルもの放射性物質(セシウム137)を
日本の地で確認したとか。
子供の頃、
「今日は、雨に打たれては駄目です。
窓を固く締めなさい」
と学校で注意されたのを覚えています。
昭和38年の頃でした。
今年の3月21日、
東京の子供たちは雨から守られていたのでしょうか。
ちゃんと、教育委員会から通達が届いていたのか気になるところです。
聞くところによれば、
3月21日の午前9時から翌日の同時刻まで
わずか一日で、
48年前の一年間の積算である量の約2・8倍、
5300メガベクレルの放射能量が観測されたらしいです
(産経ニュース〈3/25日付「早く沈静化を」〉参照。
なお、次のyou-tubeの動画に当該ニュースからの引用があります。
諸葛先生「1960年頃の大気中のセシウムの濃度は10000倍高かった」
――この動画は、「被ばくのリスク」にコメントを下さった越後屋さんの情報提供で知りました。
諸葛先生って、専門家なのに
放射能拡散のリスクを比較してはいけないものと比較し、筋が通ってません。
福島の原発事故を、
1960年代のどこかの国の核実験と(あえてでしょうが)混同しているかのようです。
この際、言っておきますと、
原子爆弾は、原発の事故ほどには放射性物質を拡散しないと考えられます。
なぜ、それほど拡散しないかというと、核物質が爆発の地点でほとんどが燃え尽きるからです。
しかし、だからって、安全か?
というと、違うでしょ。
ほとんど拡散しないと言っても、まったくしないわけではありません。
希釈されても、放射性物質は、有害なんです。
その影響は、後々出てきます。
この点に関しては、稿を改めて記します。
諸葛先生のような人が相手だと、
放射性物質を多く受ければ受けるほど、人体に免疫が出来るのでしょうか…
などという、子供じみた質問までしなければならないようです。
原子力推進派の考えって、聞けば聞くほどに、ブラックジョークですな)。
さて、その放射能の原因物質セシウム137って、
どこに姿を消したのでしょうか。
半減期30年の兵(つわもの)ですから、消滅したというのではないでしょう
(この言い方、誤解招きますね。たとえ、半減期が短かったにしても、
期間の経過により元の放射性物質のその半分の量が、他の放射性物質に変化するだけのことです。
有害であることに変わりありません
→「三種の放射線と誤解を招きやすい事柄」)。
どこかに潜んでいるわけです。
それを考えながら
原点を見直す上でも、
日本において、
原子力の平和利用なんてことが言われ出した、
始めの頃を振り返って見るのは悪くないかもしれないですね。
ちなみに、
原子力の足場が最初に表明されたのは、昭和32年発行の白書においてでした。
資料として下に掲げておきます。
☆昭和31年版 「原 子 力 白 書」
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