のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

エアー右翼のデモ隊はどこ? ナチス旗は見えども…

2014年06月30日 09時11分24秒 | 天皇制と戦争
このデモの風景、

異様ではないか――。

なぜと言うに、

デモしてる人と警察官が

馴れ合っていて。

デモ隊の

デモとしての示威性

(「我こそは」という自己存在の主張性)

がない、

旗は目立っているけれど――。


出典:bcxxx ‏@bcxxx さんのツイート〔4:11 - 2014年6月30日

両脇を

警察官に抱え込まれるように

歩いて、

体制側の人間と認められたいから

デモをしているのかと思う。

この人たちには、

また、より深いところで、

こんな疑念を持った。

ナチスは、

ゲルマン人の優越性を

前提にして

ユダヤ人を迫害したわけであり、

日独で

同盟を結びはした。

しかし、当時の日本政府の為政者たちは、

ドイツを

毛嫌いしていたという。

それは、

本能的な問題として、

ナチスから見て、

日本人は、

黄色人種として、

ユダヤ人に劣る民族であったことは

ほぼ間違いなかったからだろう。

だから日本人が

ナチス旗を掲げて行進するなど、

黒人が

白人の優秀性を認めさせようと

運動してるようなもので、

誰も口には出さないけれど、

笑止千万な行動だ。

やっていることに筋が通っていない。

暴力性に関して、

あるいは、自分たちはナチスに負けてない

と言いたいだけなんだろうか。

ナチスが

悪魔的なのは、

彼らの

残虐性の隠し方のうまさにある。

したがって、

彼らの真似をしたいのであれば、

暴力性は秘すべきなのに、

秘していない。

その点、

暴力団と大差ない。

肩で風を切って歩き、

周りの人間を睥睨しておれば、

自分を偉く感じられる

おめでたき人々だ。

すなわち、

愚かな者の集まりってことだ。

そこを見極めて、

警察は

警護しているのだろうか。

思うに、

ひょっとすると、

デモ隊の委託を受けて、

警察官のみで、

隊列を組んで歩いているのかとさえ見えるのは、

どうしたことか。

チンピラを守るために、

これほどの警備。

危機管理を誤ってないか。

チンピラがそんなに好きならば、

一層、警察は、

やくざの三下として、

彼らの、

いわゆる‟走り”をすればいいのではないか

と思うな。

警官が

デモ隊の横にぴったり

寄り添う、

これかなという理由を

一つ、

思いついた。

顔の写真を撮らせない

という意図が

あるのかもしれない。

身元が

割れたら困る人間をガードしてやるイロハは、

まずは、顔を隠させる

ということだろう。

警察の不当逮捕に対して、

抗議した人たちが

公安に盛んに写真を撮られていた。

この取り締まる側の

警察が逆に、

自分の行動を元にした護身法を考えるとすれば、

この写真を撮る行為への

介入が

真っ先に求められると判断して、

不思議ではない。

なるほどな、と納得。

しかし、ならばこそ、政治的な普通のデモ参加者の場合と比較して、

不公平だ。

警察は、

基本的にナチスのように

弱い立場の人を

‟殺す”のが好きと見ていいのだろうか。

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