のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

憎まれっ子世に憚る、今は昔?

2010年05月30日 13時53分36秒 | Weblog
相撲は、武道ではありません。

何と言っても、闘いの場となる、あの丸いわっかが闘う者から残虐性を奪います。

円を描き、その中で相手を転(こか)すとか、押し出すとかという

平和的なやり口が、全く武道に似つかわしくないです。

剣道のように

闘い方を元の真剣勝負の形に戻せば殺意が漂う・・・という性質のものでもなく、

他人の理不尽な加害行為を想定して、

その力を逆手にとって防ぐという柔道のような反撃性すら持っていません。

「どすこい」という掛け声は、単にじりじりと一人で前に進むためのものです。

どう考えても、武道ではないです。

敗戦下、マッカーサ元帥も同じように考えたらしく、

武道禁止令を発令したとき、

「相撲は、武道にあらず」と認定し、興行を許したようです。

ところで、「高須基仁のアウトサイダーインタビュー」

という雑誌記事(週刊「金曜日」5/28号掲載)に

それに触れた指摘がありました。

国技館でやっているけれど、

「そもそも相撲は国技でもなんでもないからね。

興行であって武道でもない」のだと。

発言の主は、朝堂院大覚さんです。

武道総本庁総裁という肩書を持つ方でいらっしゃいます。

武道ではないから、剣道や柔道にある「礼」の精神を無神経に持ち出すな、

という点については、

僕が前に、相撲は「神事」だからと

説明したところと同趣旨でしょう。(「ガッツポーズ」参照)

ただ、この人は、それだけでなく、もう一歩踏み込んで――、

相撲は、国技という枠組みを利用し、

日本的なものを外国人力士に有無を言わさず押しつけている

――というようなところまで主張されるのかについて、

記事を読むだけでは今ひとつ、理解しかねました。

この「国技だから」という強要の可能性ある論拠は、

道理に反し、日本にはそれを云々するだけの歴史的な背景が欠けているのでしょうか。

随分と前に、相撲の起源は、モンゴルにあると聞いたことがあります。

起源にこだわるなら、日本人が相撲を国技扱いするのは、

あるいは、発祥の地を無視した、

文化の横取り以外の何物でもない、ということになるのかもしれません。

しかし、相撲は、元来、神事に由来する

日本に特有な(武道ではない)格闘「技」として

現在の姿へと発展したものです。

その点に着目して、我が国の「国技」と称しても、

あながち不当ではないように感じられます。

皆さんは、どう思われますか。

さて、朝堂院さんに関して

(髭を生やした、このおっちゃん、一体何者なんや~

肩書からして、どっか胡散臭いやんけ~)

と思いましたけど、

「朝青龍は、なぜ引退したか」という問題につき、

改めて考えさせられもしました。

事件に関して証言してらっしゃいますので、紹介します。

この人によると、

朝青竜に殴られたとされる被害者、Kさんは、

警察に出向いただけで、被害届さえ提出していないとのことです。

マスコミが騒いでいた当時、実際に麻布署にまで行かれたそうですから、

多分、そのとき自分の目と耳で確認されたのでしょう。

事件は、どこまでも推測の域を出ず、

Kさんが警察で“見せた”という医者の診断書は、

本人が自ら持ち帰ってしまったそうです。

訴えを聴いたはずの麻布署は、

調書も取っていないということです。

「一般の人を殴った」と言うけれど、

何の証拠もないわけです。

では、なぜ朝青龍は横綱を辞めねばならなかったのか・・・

どうも、メディアと相撲協会に嫌われていたから、としか説明のしようがないようです。

責任追及の口火は、親方が切りました。

「示談に持ち込め。示談しなければ、解雇だ」と。

その脅しに呼応するように、

メディアは金を支払わせるよう宣伝活動に動きました。

朝青竜も、ここで屈しなければ、引退せずに済んだでしょう。

しかし、四方八方から「示談」、「示談」と騒がれ、

ついに無理して金の工面をしてしまいました。

ここが運命の分かれ目ですね。

示談という譲歩によって、「事件性なし」とした警察の判断が引っくり返ってしまい、

「暴行した」が既成事実になってしまったようです。

(何が何だか分からない)

というのが横綱の当時の心境ではなかったかと

朝堂院さんは忖度されます。

記事を読んでいて、

冤罪事件を想起させる不愉快さがありました。

恐らくKさんの肩に手を置くぐらいの動作はあったのでしょう。

でも、それ以上のことは何もなかった、という辺りが真実だった気がします。

考えれば考えるほど、むかつく事件です。

土俵の丸いわっかも泣いていることでしょう。



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15 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お相撲。 (メグ)
2010-06-01 02:47:31
相撲が国技でないということを
初めて知りました。
博識でいらっしゃるのですね。
少し眠れなかったもので
夜遅くに訪問しました。
おやすみなさい。
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☆メグさんへ (忠太)
2010-06-01 08:43:16
少し誤解があるようなので、補充説明をさせて下さい。

「国技」とは、

国技館でやっているイベントの愛称のようなものです。だから、大相撲興行だけでなく、ボクシングの試合も国技館でやる限りは、それも日本の国技に含め考えるべきと思います。

記事本文で紹介した「武道総本庁総裁」の朝同院さんが指摘する「相撲は国技でない」という言い分は、了見が狭すぎます。

この方は、きっと国技か否かを法律で決しろ、ということを主張したいのでしょう。しかし、法律でそんなことを決した途端、世界中の格闘家から、「弱虫め」と罵られること請け合いです。だって、国技と認定することで、外国人選手を締め出したい下心が丸見えだからです。
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国技について (メグ)
2010-06-01 12:22:57
なるほど。
勉強になりました。
国技館でやっているイベント全般が
国技なんですね。

外国人を排斥するために国技という
名称を使いたいだけなんでしょうかね?

お昼休みに書き込みしました。
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なぜに「国技」か (忠太)
2010-06-01 14:56:33
国技館の命名者は、板垣退助です。当時、武士の思想がまだ潜在的な影響力を残していたのではないでしょうか。国民にもまだ影を落としている、この士族階級の価値観を打ち砕くため、武道に対抗する格闘技を持ち上げてやる必要があった・・・のではないでしょうか。

しかし、もともと相撲は、百姓たちが農作業の合い間にやっていた祭の出し物に過ぎなかったわけで、これぞ武道と相撲を持ち上げれば上げるほどに、士族の血を引く者たちからはもとより、当の百姓にも鼻先で笑われるだけだったでしょう。格闘技という言葉はまだなかったし、どうしたものかと思案している最中、「相撲節」という流行り歌にヒントを得て、「国」の一文字を入れ込んだ、何やら権威あり気な、この「国技」という単語に辿りついたようです。この点、柔道が明治維新後に確立した格闘技だっただけに、抵抗なく武道と認められたのと対照的です。

というわけで、「国技」との評価は、僕はその時代に生きていたわけではありませんので、断言は避けたいですが、外国人を排斥したい云々より、過去の遺物と早く決着をつけたかったから誕生したという風に理解してます。

なお、国技館でやっているイベント全般と言っても、今のところ、相撲以外ではボクシングしかないように思います。ボクシングは、見ていて、何だか命がけでしょ。そう思いません? 外国人を排斥すると言うのではなく、日本の選手を応援してあげたいじゃないですか。その思いから、上に「日本の国技に含め考えるべき」書きました。他意はないです。ただ、この思いは、他国の選手に強制しえません。国技の法令化に反対なのは、それ故です。ご理解頂けましたでしょうか。
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ここのコメントではないのですが… (アルギンにっこ)
2010-06-02 08:10:55
おはようございます。忠太さん。

ここにこのコメントを書くべきではないのかもしれませんが、サイトで張られている「私の闇の奥」に興味をもちました。
でも、これは私の真面目な部分でしっかりと考えなければいけないと思いましたので、
広島に生まれた人間として、受け止めたいと思いました。内容が内容だけあって、冷静な時に読ませて頂きます。
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☆アルギンにっこさんへ (忠太)
2010-06-02 22:18:28
コメントは気軽にして下さい。
記事に関係しないからと言って、「非礼」とは思いません。

「私の闇の奥」というブログ、読みごたえがありますでしょ。

広島のことは、僕も考えさせられました。思いを整理するのに大分、時間を要するでしょうね。仕方ないことですよ。
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相撲節 (忠太)
2010-06-03 09:13:10
気になって、「相撲節」のこと、ネットで調べてみました。「なぜに『国技』か」のコメントでした「流行り歌」という解説は、誤りなようです。相撲節は、正確には、相撲節会(すまひのせちえ)というようです。歌ではなく、行事なわけですね。どういう行事であったかというと、開催を決定した次の天皇の詔に明らかなようです。

曰く、「諸の国郡司ら、部下に騎射・相撲と膂力者と有らば、輙ち王公・卿相の宅に給る」ときく。 詔有りて捜り索むるに、人の進るべき無し。今より以後、更に然ること得ざれ。若し違ふこと有らば、国司は、位記を追ひ奪ひて仍ち見任を解け。 郡司は、先づ決罰を加へて勅に准へて解き却けよ。その誂ひ求むる者は、違勅の罪を以て罪なへ。 但し、先に帳内・資人に充てたる者はこの限りに在らず。凡そ此の如き色の人等は、国・郡預め知りて、意を存きて簡ひ点し、勅至る日に臨みて即時貢進れ。 内外に告げて咸く知せ聞かしめべし云々。

聖武天皇のお言葉です。

何をお命じになったのかというと、諸国の力自慢を宮中にさし出せ、ということです。天皇の御前にて、力自慢を競わせるためです。このような服属義務を課して、「国司」・「郡司」が有する軍事力の元になる人材を奪い取って、天皇である自分に歯向かわせないようにしたということでしょう。


したがって、この用法に従って、「国技」の「国」を解すると、「日本全国いたるところ」ということになります。言い換えると、宮中に対する、「周辺各地」です。「技」は、技量、すなわちパワーを指します。


(話が複雑になりそうなので、ここで一旦、話を切ります)
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板垣退助について (忠太)
2010-06-03 09:14:05
相撲を格闘技として持ち上げる理由として「士族階級の価値観を打ち砕くため」ということを述べました。

しかし、これは、誤解なようです。自分の間違いを認めるのは、勉強不足を自ら告白するようなんで嫌ですが、「なるほど、そうか」と思われて、納得した人を誤解させたままにして置くのは申し訳ないので、正直に言います。

板垣という人は、明治維新をブルジョワ革命と認識する知性がなかったようです。当時の反動勢力である士族階級に対抗するというより、迎合してました。そのひとつの現われが征韓論であり、自由民権運動でした。いずれも不平士族の不満を吸収する装置だったようです。そう考えれば、辻褄が合います。彼にとって、明治維新は、王政復古のために起こしたクーデターでした。

ところで、この人には「板垣死すとも、自由は死せず」という言葉が、名言として残っています。この表現が呼び覚ますイメージの通りの自由主義者なら、維新政府の権威づけに天皇を持ってくる必要は微塵もありませんでした。民衆の自由は、民衆自身により権威づけられればよい、とするのが自由主義の自由主義たる所以だからです。



歴史に残る名言を暴漢相手に吐くこととなる事件がある前、彼は、自由党を組織し、その党首に収まってました。彼の世迷い言は、この政党名に関係するのかもしれません。つまり、本当には、
「自由」の後ろに「党」が付いていたということ。すなわち、「板垣死すとも自由(党)は死せず」と言ったんです、きっと。

司馬遼太郎がその著「翔ぶがごとく」という小説で、板垣を「軍人以外に使い道がない人物」という身も蓋もない評価を下しています。辛辣ですが、これは的確な指摘と言えそうです。

(ここで一旦、また切ります)
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Unknown (mu-mamu)
2010-06-03 12:01:04
ご無沙汰してました。

いろいろ勉強になりました。
忠太さんの博識には感嘆しています。

チアちゃんも元気そうですね♪
これからもよろしくお願い致します。

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☆mu-mamuさんへ (忠太)
2010-06-03 13:20:21
余り褒めないでください。
調子乗ると、この記事みたいに「申し訳なさ~い」という感じで書き直しです。
現に、今、どう続けたらいいものか、苦しんでいるのですよ、ココだけの話。

むーちゃんも元気そうでよかったです。こちらこそ、よろしくね。
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