のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

昔、読んだ本、「僕が強姦されたとき」だったかな、を思い出した

2011年10月17日 00時06分51秒 | Weblog
CNNのニュースが

ハラレ(CNN)  ジンバブエ当局は14日、

男性17人に対する性的暴行罪で3人組の女たちを起訴した、

と報じていました。

背景については、

ニュースサイトをご覧ください。

http://www.cnn.co.jp/world/30004287.html?ref=ng

ジンバブエ大学で社会学を研究する

ルパランガンダ教授によると、

同国の一部では厄払いや死者の復活を祈る儀式に精液が使われる――

とありました。

この妙な事件は、

ツイッタ―上の記載から

知りました。

ツイートしていたのは柳美里さん。

「ヒッチハイクの男性を銃で脅して性行為を強要…強要されても、

最後まで出来てしまうのが謎」

とコメントしておられました。

男性性に対する強烈な皮肉と受け止めました。

でも、どうなんでしょう――。

“謎”で済ましていいことなんでしょうか、

疑問があります。

よく強姦事件などで注目される「和姦」という視点との関連です。

思うに、被害者である女性の側に

性的悦びがあれば

強姦じゃないと結論づける発想と、

柳美里さんのコメントはどこか通底しませんか。

ここにこそ、隠れた真の問題点があるのではないでしょうか。

大昔、僕が20歳代の頃ですが、

“強姦”にあった男性の本を

読んだことがあります。

本のタイトルは、

仮に「僕が強姦にあったとき」としておきます

(なにぶん古い話なので、書名の記憶が定かではありません)。

著者は、元囚人です。

刑務所は、場所柄、同性しかいません。

それで餌食になったわけです。

記されてあったのは、

意に反して射精させられた悔しさでした。

この本は、小説ではないです。

告発本なんです。

著者は、実名で自分の体験を書き綴っていたと

記憶してます。

告発せずにおかれなかった著者の

怒りに満ちた気持ちが

感情を抑えたタッチで描かれ、

それだけに深刻な、

心の傷が読み取れる貴重な本です。

実は、この書物以外にも

思い出す痛い思い出があります。

介護の職場で

「どうしても聞いて頂きたいことがある」

と同僚の男性に誘われ、

喫茶店に行ったときです。

とつとつと話してくれたのは

女性に“強姦”された体験談でした。

…ここまで男前やと

羨ましいような楽しい体験ができるんやな、

と感心しながら話を聞きました。

ただ、フラッシュバックに襲われるというお話で、

じわりと恐怖感が伝わってきました。

「その話、

同性でも共感できんぞ。

誰にもしゃべらん方がいい」

という趣旨の返答をしました。

今から思うに、

切って捨てるようなアドバイスでした。

この男性、

幼い頃、女性に何度も悪戯されたに違いないです。

揚句、射精させられた…

という苦い体験を持っていたのではなかったか

と推測します。

もっと真剣に話を聞いてやればよかったと反省するとともに、

女性が被害者の普通のケースについて考える際、

考慮すべき事柄だなと思います。

要するにですね、

強姦の被害者は、往々、性的興奮があったればこそ、

何年にもわたって苦しむんじゃないかということ。

現代社会は、

そういう人間の持つ弱さ、欲望への屈服に対し、

とても不寛容です。

強姦の被害を受けている最中、

「布団を敷いて欲しい」

と懇願したがために強姦罪不成立とされた事件が

確か判例にありました。

精神病理学で言う乖離(かいり)現象があるほどの恐怖の中でも、

少しでも柔らかい物に包まれていたい

という程度の要望があったとして、

不自然でしょうか。

人間の欲望の無限定さからして、

実態は、むしろ逆でね、

自然です。

仮に、性的興奮が伴ってさえ、

僕は不自然ではないと思います。

ジンバブエであった精液蒐集事件に関する

柳美里さんのコメントを読んだ際、

改めて、そう思いました。

ただ、同時に、何よりこの点に関する罪深さにつき、

男性がまず、

理解を深めないといけないだろうな、と感じます。

通常、性犯罪の加害者は、男性なんです。

だから男性諸氏よ、

「和姦」で逃げ切ろうとする卑怯者たるな!

と言いたい。

女性に快感を与えたように見えた事実があったとしても、

それは、錯覚か、

単に生涯に及ぶ大きな危害を加えた証だということです。

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