SUMMER TIME BLUES
忌野清志郎さんの、ミュージシャンとしての先見性に唸らされる曲ですね。
一昨年の5月2日没、昨日が彼の命日でした。
ところで、歌詞にあるような
皆で繰り出して出くわすことになる原発の雄姿(?)を見たければ、
海が舞台の「釣りバカ日誌」がいいようですよ。
参考までに、
原発が登場する映画の回を、書き出して置きます。
シリーズ3(‘90)静岡県西伊豆町・・・・浜岡原発
同 4(‘92)京都府丹後半島・・・・高浜原発
同 7(‘94)福井県各地・・・・・・敦賀原発
同 8(‘96)福島県いわき市・・・・福島原発
同 9(‘97)鹿児島県薩摩川内市・・川内原発
さて、これ等の映画の誘致には
電力会社が活発に動いたみたいで、
その証拠にエンドロールの協賛に電力会社や
日本原子力発電株式会社が名前を連ねているものもあるようです。
栗山富夫監督が「これって名前を入れなきゃいけないのかな?」
とプロデューサーに尋ねたところ、
「いや、これは・・・」と言葉を濁されたようです。
結局、その電力会社が
前売り券をたくさん買ってくれたということなんだろう
ということで、納得されたようです。
同監督によると、
「釣りバカ」が始まったのは、
チェルノブイリ事故の後だし、原発は人間がコントロールできないもの
という思いがあったと言います。
だから、この原発という危険な代物を極力、映したくなくて苦労したそうです。
今後、もし、仮に作るとすれば――の話ですが、
最終話は
日本近海での魚釣りなど不自然になってしまったからでしょう、
メキシコで撮ろうか、
という構想もあるようです
(青木理・聞き手「放射能国の真実」、週刊現代5月7・14日合併号所収)。
しかし、メキシコに行こうが魚は釣れず、
主人公たちが
逆に、ザトウクジラに釣り上げられることになるらしいラストにふさわしく、
題名は、やっぱ
「漂流編」ですかね。
忌野清志郎さんの、ミュージシャンとしての先見性に唸らされる曲ですね。
一昨年の5月2日没、昨日が彼の命日でした。
ところで、歌詞にあるような
皆で繰り出して出くわすことになる原発の雄姿(?)を見たければ、
海が舞台の「釣りバカ日誌」がいいようですよ。
参考までに、
原発が登場する映画の回を、書き出して置きます。
シリーズ3(‘90)静岡県西伊豆町・・・・浜岡原発
同 4(‘92)京都府丹後半島・・・・高浜原発
同 7(‘94)福井県各地・・・・・・敦賀原発
同 8(‘96)福島県いわき市・・・・福島原発
同 9(‘97)鹿児島県薩摩川内市・・川内原発
さて、これ等の映画の誘致には
電力会社が活発に動いたみたいで、
その証拠にエンドロールの協賛に電力会社や
日本原子力発電株式会社が名前を連ねているものもあるようです。
栗山富夫監督が「これって名前を入れなきゃいけないのかな?」
とプロデューサーに尋ねたところ、
「いや、これは・・・」と言葉を濁されたようです。
結局、その電力会社が
前売り券をたくさん買ってくれたということなんだろう
ということで、納得されたようです。
同監督によると、
「釣りバカ」が始まったのは、
チェルノブイリ事故の後だし、原発は人間がコントロールできないもの
という思いがあったと言います。
だから、この原発という危険な代物を極力、映したくなくて苦労したそうです。
今後、もし、仮に作るとすれば――の話ですが、
最終話は
日本近海での魚釣りなど不自然になってしまったからでしょう、
メキシコで撮ろうか、
という構想もあるようです
(青木理・聞き手「放射能国の真実」、週刊現代5月7・14日合併号所収)。
しかし、メキシコに行こうが魚は釣れず、
主人公たちが
逆に、ザトウクジラに釣り上げられることになるらしいラストにふさわしく、
題名は、やっぱ
「漂流編」ですかね。
遊覧船に乗ると、敦賀原発の中の大飯発電所が見えました。
何だか原発をめぐって「ミエナイチカラ」が見え隠れしているのがすごーく嫌ですね。
今、脱原発に舵を切らないと、若狭湾も放射能に塗れてしまいます。関西に住む者としては何としても避けたい結果です。