のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

喫煙率は1/2になって肺がんは約10倍

2014年09月01日 12時43分00秒 | 生活の知恵

典拠:ちか‏@cheesaka さんのツイート〔11:49 - 2014年9月1日

肺がんに関するタバコ有害論が

実は、神話レベルのものにすぎないことを

このグラフは、

立証していると思う。

根拠なく、

発がん性物質含有という罪を

煙草になすりつけ

強引に

煙草を喫煙者から

取り上げた

メリットって何だったのだろう。

ネクタイのように、

世の中で

約束事とされているものへの

忠実度を

試す道具にされただけではないのか。

ちなみに、

僕は、

飯舘村の人たちを避難させる運動のようなものを

作れないかと思って

出会いを求めて同村を訪れた際、

止めた。

理由は、

次の通り。

1)タバコによる不始末が気になる程度に物忘れが激しくなった。

2)食堂などに入る際、全禁煙の店と知って出ていくのが面倒だった。

3)病院に入院する事態になったとき、真っ先に「喫煙所は?」と尋ねるのは寂しいかな、と思った。

4)飯舘村に行った2011年11月頃、時を同じくして、タバコ愛飲者のタバコ依存度を高めるため、ポロニウム202だったか、放射性物質が煙草の葉に故意に付着させてあるという事実が暴露された。何でも、ポロニウム202の混入によって放射線が細胞に裂け目を作る。その裂け目を通って、ニコチンが大量に体内に取り込まれ、ニコチンラッシュという現象が生じる。それによって、ニコチン依存性が高まりタバコがやめられなくなる――という計算だとのことだ。がせネタではなさそうだった。タバコ産業の、そういう人を舐めたような罠が原子力村を連想させ、我慢ならなかった。それで、もしタバコを断ち切ることに合理性があるのであれば止めるという、普段、自分が口にしていた言葉を実行に移した。

以上が

タバコを止めた主な理由だ。

改めて、

整理して言うと次のごとくだ。

すなわち、4)のポロニウム202の話は別にすれば、

不便な嗜好品

と感じる機会が増えたことがタバコを絶つ背景にあった

ということだ。

行動が制約されるのだ。

喫煙が気分転換に役立つということと比較して、

この不利益は殊の外大きい。

したがって、

タバコは断ち切って正解だったと思う。

そんなわけで、

喫煙習慣を取り戻すつもりはないけれど、

禁煙運動をやっている人に

一言だけ言いたいのは、

喫煙権も

立派な人権だ、ということ。

そういう配慮なしに

タバコを吸わせまいとする行動は

心の狭量さや歪みを

感じさせる。

実は、そういう冷たさが

耐えられなくて

喫煙し続ける人間は

案外に多いのではないか――。

タバコを止めた今も、

喫煙者を依存症者と言い募る者に

怒りを感じる。

「権利のための闘争」

など語る資格がないと思い知れ、と。

この観点は、

とても実践的な視点だ。

たとえば、山本太郎さんが

したカタログ・ハウスの「食べて応援」の

是非論などとパラレルな関係にある。

山本さんを批判する

onodekita@onodekita さんの主張を見てみよう。

――山本太郎は、当選直後に「現実的」でないとして、「脱原発」の旗をすぐに下ろした。ある一定レベルの被曝を「受忍」するのならば、もう何をしているのかさっぱりわからないんだけど。〔8:02 - 2014年8月29日 〕――。

この主張は、

何かの「運動」を語るとき、

どこかに妥協が

入ってくることを許さない幼児性を含んでいる。

福島の人の避難する権利が

実現されるように願うのは大切だ。

尊ばれていい。

しかし、

今すぐ実現させると気負うのは利敵行為だ。

結局、分裂を招くだけだからだ。

それに、

「食べて応援する」立場は、

いかなる意味でも反対というのは、

考え方が狭隘だ。

「住めない」としても

明らかにそこに人が住んでいる!

という事実は、

変わらないわけだろ?

頑なに福島の産物を拒否するのは、

その人の主義主張として筋が通っているかもしれない。

しかし、結局は、それだけのことで、

自己満足に終わる。

つまり、説得しようとする相手を、

意固地にさせてしまってどうするのか、ということだ。

これは丁度、

嫌煙権の科学的な確からしさを信じて、

有無を言わせず、

喫煙者を拒絶・排除するのに似ている。

相手がますます、

意固地になって喫煙するように追い込んでしまっては、

結果的にタバコを勧めているのと変わらない。

実際、

禁煙運動を主導しているのは

タバコ業界ではないのだろうか。

喫煙者を

意固地にさせれば、

より一層、タバコが売れるではないか!!

そこに気付いて欲しい。

話を

タバコから

「食べて応援」に戻す。

要点は、こうだ。

「住めない」

ということが絶対的な善だとしたら、

避難し得ない人は

首を括って死ぬしかないではないか――。

「住めない」としても、

「住まない」という選択肢がない。

支援もなく、

福島という汚染地から出してもらえないなら、

生きんがために

極力、汚染されていない農作物を作るのに全力を挙げる…

当たり前ではないか、と思う。

そういう立場の柔軟性を

認めることが

「避難」をキーワードにした

住民運動をより大きく育てるポイントだろう。

違うんだろうか。

福島には、

世界で最も厳しい

ウクライナの汚染の許容基準に従って、

農作物を作り、

たとえ

基準値内であっても

「検出せず」という記載をせず、

測定された値を

きちんと書き込んで

消費者の

判断に委ねるという形を

選び取った

農家の人がいる。

山本さんが

その努力を買う、

応援するという立場表明をしたことをもって

正しかったと思うのは、

そこに、

避難できない人を

精神論だけで排除しない

誰も切って捨てないという、

優しさを

感じ取ったからだ。


<追記>

タバコの喫煙習慣によるガンリスクの

さほど大きくないことを窺させるデーターが出てしまいました。

一方、喫煙者の依存性を高めるため、

放射性物質を吸引させるというあくどい手口がばれてしまって

居直ったようです。

今後は、

タバコに混入される放射性物質が

大幅に増量される流れになっております。

すなわち、JTが放射性物質の畑の基準値を大幅緩和し、

2226ベクレル/kgに引き上げました。

タバコには近づかない方が

賢明と思います。

希望を言えば、タバコの銘柄を、

たとえば、「マイルド・セブン」から

「マイルド・プルトン」のように変更してほしいものです。

しかし、そうはならないでしょう。

自分でタバコの危険性に気づき、断ち切っていくしかないです。

9月3日夕 記


〔資料〕

「福島県内の葉タバコ作付増加」

    とある原発の溶融貫通〔メルトスルー〕(2014年08月29日10:44):福島民報(5/16)

☆ 記事URL:http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/7831432.html

平成25年に耕作する県内の葉タバコ農家は377戸(耕作面積333ヘクタール)で、24年に作付けした357戸(同323ヘクタール)から20戸増えた。県たばこ耕作組合が15日、田村市の事務所で開いた代議員会で報告した。

日本たばこ産業(JT)が葉タバコ購買の際の放射性物質の畑の基準値を、前年の土壌1キロ当たり1157ベクレルから2226ベクレルに緩和したため耕作農家が増えた。乾燥済みの葉を対象に行う購入前検査のセシウムの基準値は引き続き、1キロ当たり100ベクレルとする。

避難区域の167戸、土壌中セシウムが2226ベクレルを超える地域の124戸の計291戸は3年連続の休作となる。組合は放射性物質の推移を調べるため、避難区域以外の休作農家にそれぞれ5アールの試験耕作を要請する。

東京電力福島第一原発事故の起きた23年には、県内の葉タバコ生産農家全てが作付けを見送った。24年は避難区域と、葉の放射性セシウムがJT基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超える可能性の高い地域を除いてJTと農家が購買契約を結んだ。

その後、JTの購入前検査で旧小野田村(白河市)の3戸が生産した葉から基準値超のセシウムが検出され、購入不可となった。

代議員会では、4月の役員選挙で渡辺実組合長を無投票で再選したことが報告された。


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