知ってる者は、知ってる。知らない人には見当もつかない・・日本語だ。Kは
「空気」、Yは「読めない」の略だ。
斉藤環という精神科医が、新聞のコラムでこの語句に関して、山本七平の「『空
気』の研究」という本を紹介している。それによると、「空気」の用語は、明治以
前にさかのぼるという。
空気に逆らえば「抗空気罪」で「村八分」に処せられる。
僕が驚いたのは、「空気」の本体をアニミズムに見る山本の見解だ。彼によると、
アニマというカタカナ語は、「空気」を意味するという。ここにきて、アニミズム
=汎神主義という理解の抽象性と単純性がよく分かった。
アニミズムとは、「阿吽の呼吸」で表象される心理現象そものではないか?
吸う息も、吐く息も、まさに空気だ。こんなものによって、与えられた問題を割り
切られてはたまらない。解決を迫られている事柄が「空気」に対する態度決定な
ら、解答は、常に次のうちのいずれかだ。つまり、吸うか吐くかだ。
そんな世間の空気にどう抵抗するのか。
KYになる勇気を持つ、ということに尽きると思う。
「空気」、Yは「読めない」の略だ。
斉藤環という精神科医が、新聞のコラムでこの語句に関して、山本七平の「『空
気』の研究」という本を紹介している。それによると、「空気」の用語は、明治以
前にさかのぼるという。
空気に逆らえば「抗空気罪」で「村八分」に処せられる。
僕が驚いたのは、「空気」の本体をアニミズムに見る山本の見解だ。彼によると、
アニマというカタカナ語は、「空気」を意味するという。ここにきて、アニミズム
=汎神主義という理解の抽象性と単純性がよく分かった。
アニミズムとは、「阿吽の呼吸」で表象される心理現象そものではないか?
吸う息も、吐く息も、まさに空気だ。こんなものによって、与えられた問題を割り
切られてはたまらない。解決を迫られている事柄が「空気」に対する態度決定な
ら、解答は、常に次のうちのいずれかだ。つまり、吸うか吐くかだ。
そんな世間の空気にどう抵抗するのか。
KYになる勇気を持つ、ということに尽きると思う。
みんなが周囲の顔色を窺いながら行動すると、一番声の大きな人に引きずられるかもしれません。
間違いなく、息苦しくなりますね。
KYになることを怖れない人間がたくさんいれば、ファシズムや恐怖政治が支配する世の中にはならないでしょう。
処世知とは、KYにならないことだ……と、社会に出て学んだ気でいたんだけど…
特に会社などでボスの欠点を指摘することなど厳禁で
す。ただ、いつもその他大勢の中に埋没してると、
何かに「抜擢」されるような事態に遭遇することは一
生涯ないでしょうね。そう考えれば、KYにならない
ことは処世知の一つかもしれない。
しかし、世の中、自分に批判的な人を包み込めるよう
な大人物は、そうそうざらにはいないですよ。
ぐれさん、同感です。
前にTVで見たんですが、パニックのときは、周りの反応で自然に同じように体が動いてしまうそうです(実験で証明されているとのこと)。実際に起こっていなくとも、誰かの声でそうなるのです。その時、果たして自分はKYになるでいられるか?・・・難しいところですね!
せめて、普通の生活中においては、KYになる勇気を持つ!そうありたいですね。
まっ、私の場合、天然でKY状態が多いようですが・・。(笑)
何を血迷っていたのでしょう。KYって否定の意味を
含んでいるから分かりにくいのでしょう。いかに
分かりにくいのか、自分で立証してしまいました。
失礼致しました。僕の場合、「空気が読めない」
でなく「言葉が読めない」という意味でのKYなら、
ある程度、当たってますね。
てますね!
よくよく考えて、読めないのは文字だけではないぞと
いうことに気がつきました。
昔、僕のようなタイプを「蛍光灯」と言いました。電
源を入れてから少し時間を置かないと、発光しなかっ
たからです。
天然KYは、僕者ものようです。
ここは一つ、勇気を振り絞ってKYになったというこ
とにしておきましょう。
群集心理ってコワイですよね。
周りに合わせるのが利口なんだ、って自覚して振る舞うのと違って、歯止めがないからコワイです。
KYのほかに、KN(空気に呑まれる)なんて言葉があったほうがいいのかも?
KYになる勇気も必要だけど、KNにならない冷静さも必要ですね。難しいけれど。。^-^;
ぐれも実は、天然KY系ですが、けっこーKNになっちゃうところが困ります。