のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

A-yan!! アベノ☆ヒミツキチをアーッと盛り下がる

2010年06月16日 12時54分00秒 | Weblog
歴史の種類には、二通りあります。

失敗の歴史と成功の歴史です。

「失敗だった」と思うと、負い目だけが残ります。

忘れたくもなることでしょう。

しかし、禍福は、あざなえる縄のごとしです。

つまり、色んな人の時々の成功と失敗が縒(よ)り合されて、

一つの歴史が紡(つむ)がれるわけですね。

たとえばね、青森県と言うと、

思い出すのは、リンゴ農家でしょ?

「青森でミカンを入れる箱、作ってますねん」

と言う人がいたら、

「また何で?」と聞きますよね。

この問いかけが何度も続けば、このミカン箱の製造業者さん、

「ミカン箱」という言葉に、ある種、トラウマを感じるようになるかもしれません。

しかし、何をやっていたとしても、

やっている仕事のどこかに、その人の願いが入り込むものです。

それは、直ちに単純な物流関係において、

合理的なものとして括(くく)られないかもしれません。

しかし、長い目で見れば、社会的に認められるかもしれない合理性です。

実際、ミカン箱なくして、リンゴ栽培はないのかも、です。

床屋さんや時計屋さんなくして、リンゴ栽培がないのと同様です (←どこが同様や)。

どんな仕事も、根っこの方で色んな人がつながっていきます。

関係するのです。

それで初めて生活っちゅうもんが成り立ちます。

ただ、全体として見て、失敗だったのか、成功だったのか・・・

いつかの時点で答が出るでしょう。

しかし、その判定をするとき、

上のような観点を忘れてはいけないのですね。

たとえ失敗だったとしても、

ひたすら、人と人とが関わり合って生きてきたという

痕跡は必ず残ります。

そして、その痕跡をないがしろにしては、

失敗から何も学べなくなります。

あるいは、失敗の皮に包みこまれた成功の、果実の甘美さを知らずに終わるでしょう。



僕の目から見て、

やんぶ君は、立派な開拓者でしたよ

 (←事業主を蔑ろにしとったのに? 

他人の家を勝手に開拓してどうすんねん、という話もあるで)。



提供した家に、どうしようもないほど、鮮やかな痕跡を残してくれました。

僕は、それを大事にしてゆくでしょう。

たとえ、改築・改装をしても、消せない痕跡が残るだろうし、

それを誇りにさせて頂きます

 (←ほんまかいな、

感動のひとかけらだって共有しなかったのに!

どうしてそんな嘘をつく?・・・それとも、やっぱり嘘やない?

嘘やないとしたら、底抜けにお人好しや。

そんなんやからガキに舐められたんとちゃうか。

≪痕跡は、速やかに消せ≫ 

それが与えられた仕事、至上命令ちゅうもんや。子どもの遊びにつきあった揚句、

家は、火災が生じやすくなってるんや。

あの兄ちゃん、姉ちゃん達を憎む感覚で、ものしゃべってぇへんで。

現実の必要性からや。

放っておいたら、今に消防署からクレームが来る。

段ボール屋の広告塔みたいなことをやらされてからに、

もっと早くに契約を破棄すればよかったんや、という話にしかならんがな。

しかも、やんぶってな、緊急時にかぎらず、

普段でもストレスがかかる場面では、必ず逃げよるで。

そんな男やん。

よう目ぇ開けて、見て見いや。

まずいことがあったら、端っからな、逃げるつもりなんや、

せやからな、何ぼでも調子ええこと言えんねん。

責任とらんでええんやったら、大風呂敷、広げたもん勝ちやもんな。

事実、その通りと違うか?)。



やんぶ君は、今は、あの家を出て、新たな拠点を作って下さい。

時間はかかっても、あなたなら、

そこからまたA-yanの新たな歴史の一ページを刻むことでしょう

 (←見ものやね。

下は10代、上は80代までの、そこら中の女に寄りかかるようにして、

西へ東への放浪の旅。

「わしに かもてぇな(私に構って下さいの意)。

かもうてくれたらな、一杯、欲しいもんお返しするで。

お返しするやないか、

・・・お返しさせてもらいたいねん。

一緒におもろいこと、楽しいこと、やろうや」 

言いそうな言葉まで想像がつくがな。

う~、鳥肌が立つ。

頭、かち割ってやろうか、思うわ。

あれに拠点が作れるような甲斐性はないで。

その内、内輪もめの果てに刃傷沙汰や。運が良ければ

警察に保護されるというのが、お似合いの定番コースやろな。

そうやって・・・)。



何とか形になるものが出来上がったとき、

アベノ☆ヒミツキチに残した痕跡と新たにできた拠点の形との間に、

不思議なつながりがあるのを発見するのではないでしょうか。

こけては起き上がり、

また、こけては起き上がりしもって、みんな一人前になっていくのだと思います。

がんばってくださいね (←人の良さ、ここに極まれり)。



アベノ☆ヒミツキチという事業所は、

あなたたちが出て行った後、閉鎖させて頂きます。

巨人軍が長島の背番号「3」を永久欠番にしたのと同じです (←そんなええもんか)。

僕も出直しです。

新たな形で、やるべきことが見つけ出せたとき、新たな看板を出します。

老いたりと言えど、まだ倒れません (←う~ん、大丈夫かな。足がふらついてるよ~)。



僕がブログで書いた

「大阪府立青少年会館閉鎖 その後(1)(2)」の記事につき、

なお一言、断っておきます。この記事は、

お互いにとって、不愉快、不都合な内容を含んでいると言っていいでしょう。

しかし、紛れもなく交流しつつ、火花を散らした証です。

苛立ちばっかりでなく、

そのことを通して学びもありました。

消してしまっては、自分にも、

やんぶ君にも申しわけが立たない気がしますので、残します。

ブログの記事は、誰かに期待されて書くわけでなく、

お金が儲かるわけでもありません。

でも、消せない、ゆずれない感覚でここまで書き繋(つな)いできました。

これからも書き続けます。

そんなわけで、よろしければまた、ご訪問ください。

それでは、これで。



※ A-yanと僕との蜜月関係の終わったことは、

上掲の『大阪府立青少年会館 その後』の記事に触れました。

しかし、整理のため、重複をいとわず、

アベノ☆ヒミチキチの明け渡しの請求に至る発端を含め、

それ以降について改めて書きます。

と言いますのも、

A-yanと僕との間に

ついにピリオドが打たれることになったからです。

この点は、最後に述べます。

さて、今年4月20日、話し合いの中で、

やんぶ君との関係が明瞭になりました。

つまり、決裂です。

コンサルタント業務契約をした当初、

「出て行けと言われたら、すぐに出て行きますよ。

法律、法律って言わんでもよろしいよ」と

素直さをアピールしていた君(きみ)ではありましたが、

いざ、その言葉の真偽のほどが問われる、このときとなって

彼はぐずつき始めました。

らしいと言えば、らしいです。

出て行く気配がまるでなさそうなやんぶ君に

辛抱の限りを尽くさせられました。

その挙句、突如、この記事で話題とした

予告なしの「アベノヒミツキチの終了の宣言」です。

今度こそ、すぐに出て行くのかと思いきや、

その後も意味があると思えない居座りを、だらだらと続けてくれました。

しかし、ついに、やっと色々あったA-yan との関係に区切りがつきました。

建物の明け渡しです。7月27日にありました。

契約期限に一日遅れですが、これにて一件落着です(そう信じたい)。


(「A-yan 、アベノヒミツキチを退去」参照)





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