I was born to love you lyrics, Queen
歌詞及び和訳は、下記サイト参照。
http://plaza.rakuten.co.jp/senri1ri/diary/200604230003/
慕情の歌であり、介護の心情を歌いあげたものと言っていい曲です。
夫婦で年老いたとき、こういう情熱をもって、
連れ合いを助けたいものです。
僕がしてるのは親の介護ですが、結局は、同じですね。
情熱を失くすと、疲れる一方です。
え?
情熱を失くさないためには、どうすればいいかって。
今、模索中です。。。
高く飛びあがった鳥もいつかは着地する、
という現実を素直に受け入れるのが難しいのかも、ですね。
歌詞及び和訳は、下記サイト参照。
http://plaza.rakuten.co.jp/senri1ri/diary/200604230003/
慕情の歌であり、介護の心情を歌いあげたものと言っていい曲です。
夫婦で年老いたとき、こういう情熱をもって、
連れ合いを助けたいものです。
僕がしてるのは親の介護ですが、結局は、同じですね。
情熱を失くすと、疲れる一方です。
え?
情熱を失くさないためには、どうすればいいかって。
今、模索中です。。。
高く飛びあがった鳥もいつかは着地する、
という現実を素直に受け入れるのが難しいのかも、ですね。
素晴らしい歌唱力♪内容もいい♪
介護。。。
私も将来は直面するかもしれません。
そうしたときに、やっぱり悩むのだろうな。。
チアーちゃんにも~『すごいだろう??ねっ♪』って、自慢しちゃおう~作戦です(^^)
そして~ときどき~息抜き~してくださいねっ♪
一人の時間にのんびり~してねっ♪
串カツの二度付けは?ご法度?
世界の大温泉は、すごいの?
な~んて~リサーチお願いしますねっ(^^)
今の謎なのでした・・・(^^)
勇気、元気が出て来ます。
最後の自然で純粋である事と言う言葉に
忘れていた物が蘇るような....。
良い曲をありがとうございます。
介護、単調な繰り返しに心身とも疲れてしまう事も
おありでしょうが、癒しのチアーちゃんも側にいてくれるし、
頑張って下さい。
その頑張りは後で忠太さんに幸せをもたらしてくれる、そんな気が
します
☆とうふさんへ
とうふさんは、Queenのファンなのですね。紹介した甲斐がありました♪
介護は、置かれた状況と被介護者との関係によって、辛くもなるし、喜びにもなります。ただ、嫌と思っても、引き受けた限りは、責任が生じます。冷静に判断して、ダメと思ったら、避けるのが賢明でしょうね。
☆小町さんへ
自分をほめるって、大切ですね。自慢作戦は、即実行です。
さて、小町さんがお持ちの謎ですが、こんな風に思います。
まずは、串カツの件から。
2度付けし得ない理由の第一は、客同士の心の平安のためです。串カツ系の店というのは、立ち飲み屋が多いのです。つまり、客筋がおっさんだということ。2度付けを許すと、おっさん同士で間接キスをしたことになります。これって、普通の場合、避けたいわけです。だったら、若い女の子なら許されるのではないか・・・という疑問が湧くと思います。この点、どうでしょう。
たとえば、小町さんが2度付けしたとします。想像してみて下さい。もし、両隣りのおっさんが串カツを入れ、
「間接キス、成功!」などと申し立てるかもしれません。そのときに小町さんがどんな思いを抱かれるか、です。きっと、食べるのはそこそこにして、勘定を済ませるのではないですか。そうなると、店の人が困るわけです。
ばしゃっとソースにつけるやり方は、そもそもソースの無駄をさけるという大阪人らしい合理性の追及の結果です。一人一人、分けて出すと、衛生上、残ったソースは捨てなければならないでしょう。それはもったいないということです。
発想の根元が「ソースがもったいない」ということでしょう。注文の数が減ったり、客数が減ったりすれば、経営者として、元も子もない、もっともっと、もったいない行為なわけです。これが2度づけ厳禁の第二の理由です。
ところで、小町さんが2度付けにこだわられるのは、1度付けしか許されないのだとすると、串の根元の具がソースなしになるとの不安があるからと推察します。ばしゃっとつけてしまえばいいのです。ソースの濃度は、意外に薄いです。もし、ばしゃっとつけて、なお残ったカツにソースが付いていないとき、どうすればいいか。奥の手を伝授します。その場合はですね、ソースの横にあるキャベツをスプーン代りに使えばいいのです。それでソースを掬ってカツにかけるわけです。
次に、世界の大温泉の件。
外国は、ぬるめのお湯のところが大部分なようです。なぜ、そうか。日本と違って、温泉=プールという理解があるからです。外国の人たちって、風呂の中で、泳ぐのです。
だから、水着を着用させられたりするわけです。その点、ドイツにある温泉は、水着を着なくていいそうです。しかし、日本人が喜び勇んで行ったら、混浴だったそうです。ボディビルでもやってなかったら、恥ずかしくて入れない、、、とのことでした。
体を洗った後、熱いお湯に入って、
「ひぇ~♪」とため息の一つもしたかったら、冒険をせず、日本の温泉で満足するのが一番と思います。
そこで、最後にお勧めのスポットを紹介します。なにわ温泉です。銭湯なので、料金も安いですよ。下記サイトにアクセスしてみて下さい。
http://michikene.ld.infoseek.co.jp/fureaikukan.htm
☆mu-mamuさんへ
Queenの動画、幾つかあり、迷いました。でも、フレディに対するインタビューが含まれているものを選んでよかったです。
「ステージの上では最強だ。でも、オフのときは、傷つきやすい赤ん坊」という言葉に人柄の柔らかさを感じました。自然で純粋な生き方、僕もしたいと思います。
アーチストだったか
あらためて、思い知らされました~
愛にもいろいろな、形はあるとは思いますが、
人は愛なしでは生きられませんね。
介護、わたしもいずれそれに直面する日も、そう遠くは
ないようです。
介護する人をケアする体制、これも大きな課題です。
エルモリアさんも、介護は他人事ではないのですね・・・
介護する人間のケアー体制、確かに必要です。悲劇があってから、みんなが関心を持ち出す、という傾向があるようですが。
以前、「妻が、夫が、認知症になった」という番組を見てて、アッパ君が「もしお前が認知症になったら、お前を殺してワシも死ぬ」と言いました。
一見愛がこもっているかのように感じますが、それは、私の望む答えではなく、だからって、じゃぁどう答えてもらえれば良かったのかもよく分からない、形のない不満を抱えたのを覚えています。
でも、もしアッパ君が何かしらの介護を必要とするようになったら、私は、ちゃんとできるだろうか。
あまりにも軽はずみで、考え方がまだまだ幼い夫婦です。
こんなんでも、一応、長男の嫁やってます。
旦那よりもまず、親ですね。
君を想うために生まれてきた」なんていう気持ちにならないと思います。第一、長い人生ですもの、最初からそんなに燃えていたら、すぐに灰になっちゃいますよ。
片一方が死の淵に立たされたとき、あるいは認知症でもよろしいが、追い詰められて初めて、この曲にあるような心境になるのだと思います。
ちなみに、僕が「妻が、夫が、認知症になった」という番組を見てて、何か言うとしたら、
「もし、僕が認知症になったら、面倒見てな。お前が認知症になったときとか、逆の場合は、離婚やな。それ以外の選択肢は考えられんけどな」で決まりです!
彼が亡くなったのは、エイズを発症して後…
フレディが作った曲なら感慨深いですね
なお、Queenが「made in heaven」で収録したこの曲は、彼のソロアルバムからオーバーダビングして作ったものと聞いています。