のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

内なる権力者の目、棄民意識ではないか――。

2012年12月06日 12時43分40秒 | Weblog
事故直後、

「フクシマ50」と騒がれている人たちが

いることを知りました。

しかし、その人たちについて、雑誌メディアが

彼らを英雄視すべきじゃない

と指摘する否定的な記事においてだったのを覚えています。

命を危険にさらしているのに、

なぜ、そんな言い方をされねばならなかったのか――。

僕なりに考えたのは、

「フクシマ50」って、

東電の特権的な社員を指す用語だからだろうと解しました。

しかし、そうではなかったようです。

事故から1年と6か月後、

福島第一原発の緊急作業要員に対し、

日本政府を代表して

野田首相が遅ればせながら改めて正式に感謝しました。

「エコノミスト」

という英国メディアの伝える

原発作業員の取材した記事を紹介しました。

その際、

5人の作業員のうち、

4人までが取材のためその場にいたテレビカメラに背を向け、

写真に撮られることを拒否したと記しました

(「エコノミスト/『フクシマの50人』」参照・リンク)。

それはそうで

誤解はなかったようなのですが、

僕が想定した状況とは違っていました。

僕が想定したのは、

任意で取材に応じた原発作業員でした。

しかし、「任意」は正確でなく、

どうも取材に応じてもらったのは、

まさに野田首相が

謝意を述べた、その相手である作業員なようでした。

そこで、新たに疑問になるのが

いわば英雄である

彼らが

なぜ、名を秘し、顔を伏せたかです。

その疑問に対して

政府・東電は、

「福島第一原発の事故に関わり合ったことで、

その子供たちや孫たちなどが

いじめの対象になることを恐れ、自分たちの名を明かしたくなかったのだ」

という解説をしたらしいです。

説明に一理はあります。

しかし、別の解釈も成り立つとして

イギリスの記者が

推測した事情は、

国有化されたばかりの東京電力が

これ以上、

評判を落とすことを恐れて、

彼らの口を封じた可能性――でした。

実際、記者が

自分の名刺を差し出しながら

作業員の人たちの口から直接、彼らなりの見方について

話が聞けるかどうか

尋ねたところ、

明らかにいらだった様子の東京電力の社員が

強い口調でこう答えたそうです。

「できません!」と。

この光景、異様です。

尋ねられているのは大の大人です。

東電の社員が

割り込んで記者との接触を妨害してよい

理由になりません。

まして野田首相に対してすら、

一切自分たちの名を明かさなかったと言います

(10月8日付「星の金貨プロジェクト」記事参照/リンク)。

そこで、

取材を終えたエコノミストの記者は、

次のように訴えます。

「作業員の献身的姿勢と

経営を担当していた役員層の偽善的姿勢の違い」

を考えてくれ、と。

すなわち、

当時、東京電力の会長だった勝俣恒久氏は、

今年始めの国会の証言の場で、

「自分は悪くない、悪いのは自分以外の全員である」

と、誰かまわず冷然と批判していました。

それに対して、

原発事故処理にあたった作業員たちは、

事故の責任を一身に受けて

頭を垂れさせられたまま、

事件の片隅に追いやられようとしています。

これは、不正義ではないか――ということです。

この論点について、正直言って、

考えたことがなかったです。

それは、上に述べた通り

どこかで

「フクシマ50」を

地元の人間だから

利益を被っている。

だから英雄視してはいけないということで

納得していたからでしょう。

しかし、

「星の金貨プロジェクト」を読んで

改めて考えさせられました。

広い意味で、

その考えは、棄民かなと。

事故当時、

緊急に働いていた人は、

福島の人たちでした。

だからこそ、

故郷を守るという強い気持ちを持ち得ました。

しかし、だからと言って、僕は、

どこかで原発を受け入れた(誘惑に屈した)彼らを許していなかった…!?

この「エコノミスト」社の10月8日付記事のタイトルは、

「Meet the Fukushima 50? No, you can’t 」

(小林順一氏訳「福島の50人のサムライに会いたい?  残念ながら、それは…」/リンク)。

でも、副題には、

「常に権力の側に立ってしか、ものを考えない、日本の報道各社」

とあって、日本の報道が

権力者の腰巾着をやっている限り、

「ほとんどの場合、正しい現実認識の役には立ちません」

という批判が記事の結論です。

フクシマの最前線で格闘した人たちが

懸命の作業だったにかかわらず、

「その他大勢」として扱われ、最後には忘れ去られる運命にあるとすれば、

日本人みんなが悲しむべき事柄です。

事実として、日本の報道において

この会見についての見出しに現れたのは

『フクシマの50人』ではなく、野田首相だけだったようです

(僕も記憶にないです)。

それについて、エコノミストは、

「日本国内の報道、特に一部の大手テレビ局や新聞社の報道は、

常に権力の側に立ってしか、ものを考えない」

といった具合で手厳しいです。

ただ、良心的報道機関だからこそ、

あえてしてくれた批判と言うべきでしょう。

心に留めておくことにします。

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