のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

戦争の引き金となるのは、大抵、嘘である

2016年11月13日 13時58分57秒 | 名言
Mr.カトー
‏@Mrkat0 さんのツイート。

――『ナイラの涙』
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=307371&g=131205 …
1990年
ある少女が
米国議会下院の公聴会で
泣いた。

少女の名前は、ナイラ。
この少女の涙が
戦争の引き金となる……。

だが、全ては戦争を始めるための嘘だった!〔12:04 - 2016年11月13日 〕—―




〔資料〕

「ナイラの涙」

   世の中がどうしても教えてくれない面白い話

☆ 記事URL:http://ncode.syosetu.com/n9580bs/7/

1990年
ある少女が
米国議会下院の公聴会で
泣いた。

少女の名前は、ナイラ。
この少女の涙が
戦争の引き金となる……。

――1990年8月、イラクは、クウェートに侵攻しました。
アメリカにとって、アメリカの油田のあるクウェートへの侵攻は、危機でした。国益の一部を失いかねません。しかし、当時の8割のアメリカ国民は戦争を反対。
そんな中、一人の少女が涙を流します。

「病院に乱入してきたイラク兵士たちは、生まれたばかりの赤ちゃんをいれた保育器が並ぶ部屋を見つけると、赤ちゃんを一人ずつ取り出し床に投げ捨てました。冷たい床の上で赤ちゃんは息を引き取っていったのです。本当に怖かった……」

 この証言をしたのは、クウェートから奇跡的に生還した15才の少女。
ナイラ。

 イラクは経済危機に陥っていました。イラクは石油に頼っていましたが、安くしか売れない。その頃の石油は1バレル15~16ドルでした(一時期、原油高が騒がれておりましたが、高い時には1バレル140ドル以上、2013年8月現在では107ドル前後となっています).
 イラクは、石油の値上げを要求しましたが、周辺諸国などに反対され値上げは行われませんでした。そこでイラクは、油田の帰属を主張し、石油の出るクウェートへとして侵攻しました。石油の値段を上げねば、生活が改善されねば、武器を持つしかないと。

 当時のアメリカ国民の多くは、この行為を理性的にとらえ、「8割」もの人が戦争を回避しようと考えました。
あの涙までは。

 ナイラが涙を流した後、その証言はメディアを通じて報道され、ブッシュ大統領やマケイン上院議員などがその証言を十数回引用しそれもまた報道されました。
その証言に、その演説に、全米が涙しました。

 そしてなんと、当初は多くが戦争反対であったはずのアメリカ国民の8割が、その後、戦争に賛成したのです。そして、アメリカはイラクへと派兵し戦争に勝利しました。この戦争は湾岸戦争|(1991年終結)として知られています。

 世界は守られたかに見えました。しかし、ここで問題が発覚しました。あの証言をしたナイラは、在米クウェート大使館の娘で、アメリカ国内で贅沢な暮らしをし、実際には、クウェートには住んでいないナイラ=アル=サバーであることが明らかになったのです。
 ナイラがクウェートから奇跡的に生還したというのも、世論がガラッと変わったあの証言も、何もかも全て嘘だったのでした。
 他にも、イラク軍による油田破壊で石油まみれになった水鳥の写真が公開されましたが、これはクウェート沖ではなくメキシコ湾でのタンカー座礁事故のものを流用したものだったということもわかりました。

 全てが、全てが嘘でした。戦争や対立は、お金の為に残され、作られているのです。
 イラクは戦後「経済制裁」が行われ恩恵に預かれませんでしたが、湾岸戦争以降石油は一気に値上がりし、アメリカを始めとする大国は多額の利益を得たのです。


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