「Shall We ダンス?」
の感想で、
リチャード・ギアー氏が
周防正行監督に
―― 旦那さんは、なぜダンス教室に
奥さんを連れて行こうとしないのか――
と説明を求めたと、
前にブログに書きました(「仙台の朝」参照)。
その疑問を
リメーク版で
納得の行くように解決したのかどうか
気になったので
今日、DVDを借りてきて見ました。
目出度く主人公は、最後に、
奥さんをダンス教室に連れて行く構成になっていました。
日本版では終始、
奥さんは、置き去りになっていました。
彼としては
それが許せない蛮行ないし虐待に見えた、
ということなんでしょうね。
では、ドラマを辿りつつ、
彼の見方を追って見ましょう。
初め奥さんに内緒で
ダンス教室に通っていることについては、
モノローグで
「弁護士は
依頼人の話を他言しない。
僕は秘密に慣れている。
別に重大な秘密じゃない。
片付いていない
ちょっとした面倒事。
まだ人に言えぬことなどだ」
と説明されます。
しかし、やがて奥さんに
ダンス教室に通っていることがバレ、
結果として、ダンスの競技大会に失敗します。
そして失敗を見かねた奥さんが
逃げるように、競技会場を去っていきます…
後を追って、
主人公が
ダンス教室に通い詰めていたことを黙っていた理由につき、
奥さんに語りかけます。
“恥ずかしかった。
幸せな生活を送っている。
それ以上を望んだ”、と。
場面が変わり、
日常に戻って木陰で憩う夫婦。
娘にダンスを辞めたことを
責め立てられ、
妻に辛い気持を伝える。
“僕がこの世に生きて
ただ一つ誇りに思うのは、
君が幸せなこと。
心の空白を
君に打ち明けなかったのは
一番大切な君を
傷つけたくなかったから。
許してくれ”
と、より整序された形で
ダンスの講習会を
秘密にされていた理由が
愛の告白とともに、開示されます。
どうでしょう?
既婚者は数あれど、
この三つ目のセリフ、
衒(てら)いなく
言える男性が日本にどれほどいるでしょうね
(ちなみに、僕の場合を述べますと、
言う前に気を失うかも )。
キザでも何でも、
レディ・ファーストの文化を受け継いでいればこそ、
こういう優しさ、気配りを女性に対し
何気に見せられるんでしょう。
主人公の自分に対する、こういう心の掘り下げが
「ダンスのパーティーだから
パートナーが要る。
僕のパートナーは君だ。
ビヴァりー(奥さんの名)、僕と踊ろう」
「踊れないわ」と応える奥さんに対し
「僕と19年
パートナーを組んでいる」
という大団円につながる申し出をする伏線になっています。
この主人公の告白の中身が変化する様子は、
ギアー氏自身の、
考察の過程そのものでしょう。
ただ、原作の背景にある文化との違いが
無視できないものとしてあります。
視点を変えて、
リメーク版での奥さんのセリフに
着目して見ましょう。
案外に、日米双方の
考え方の違いが
より明瞭になるかもしれません。
奥さんは、
雇った探偵との間で次のような結婚観を披露します。
「人は誓いを立てて それを破る。
なぜ結婚するのか。
生きた証を残すため。
地球上に10億の人がいて
1つの命に何の意味が?
でも結婚すれば、
相手の全てに関心を持つ。
いいこと 悪いこと
イヤなこと つまらぬこと
それも毎日いつも
“私は あなたの人生の
すべてを見守っている”
“あなたが生きた人生…
私がその証人になる”と」。
もし、結婚してなお、相手の人生の重要な局面に
自分が同席できなければ、
証たりえると言っても虚しいでしょ?
そういうことからすると、
困難に逢着すれば、
二人で乗り越えるのが当たり前の形です。
そんな考え方が
岩盤のように思考の根底にあるようです。
多くのアメリカ人にとって
共有できる考えでしょう。
この論点、
レディ・ファーストの何たるかを
考えるにあたって
思い出すべきでしょうね。
レディ・ファーストってね、
単に車に乗るとき、
女性を優先するマナーだ
みたいな薄っぺらなところでしか思い浮かべられないと、
将来、困ることがあるんじゃないですかね、
少なくとも、米国人と国際結婚すれば、
馴染めなさが
はっきりします。
僕などは、レディ・ファーストって、
暑苦し過ぎないかな、と感じてしまいます。
東洋には東洋の良さがあるわけです。
僕個人は、そう考えます。
もっとも、奥さんを召使いみたく扱いたがる
日本男児の傾向からすれば、
この映画での
リチャード・ギアー氏の抵抗が
新鮮ではあります。
の感想で、
リチャード・ギアー氏が
周防正行監督に
―― 旦那さんは、なぜダンス教室に
奥さんを連れて行こうとしないのか――
と説明を求めたと、
前にブログに書きました(「仙台の朝」参照)。
その疑問を
リメーク版で
納得の行くように解決したのかどうか
気になったので
今日、DVDを借りてきて見ました。
目出度く主人公は、最後に、
奥さんをダンス教室に連れて行く構成になっていました。
日本版では終始、
奥さんは、置き去りになっていました。
彼としては
それが許せない蛮行ないし虐待に見えた、
ということなんでしょうね。
では、ドラマを辿りつつ、
彼の見方を追って見ましょう。
初め奥さんに内緒で
ダンス教室に通っていることについては、
モノローグで
「弁護士は
依頼人の話を他言しない。
僕は秘密に慣れている。
別に重大な秘密じゃない。
片付いていない
ちょっとした面倒事。
まだ人に言えぬことなどだ」
と説明されます。
しかし、やがて奥さんに
ダンス教室に通っていることがバレ、
結果として、ダンスの競技大会に失敗します。
そして失敗を見かねた奥さんが
逃げるように、競技会場を去っていきます…
後を追って、
主人公が
ダンス教室に通い詰めていたことを黙っていた理由につき、
奥さんに語りかけます。
“恥ずかしかった。
幸せな生活を送っている。
それ以上を望んだ”、と。
場面が変わり、
日常に戻って木陰で憩う夫婦。
娘にダンスを辞めたことを
責め立てられ、
妻に辛い気持を伝える。
“僕がこの世に生きて
ただ一つ誇りに思うのは、
君が幸せなこと。
心の空白を
君に打ち明けなかったのは
一番大切な君を
傷つけたくなかったから。
許してくれ”
と、より整序された形で
ダンスの講習会を
秘密にされていた理由が
愛の告白とともに、開示されます。
どうでしょう?
既婚者は数あれど、
この三つ目のセリフ、
衒(てら)いなく
言える男性が日本にどれほどいるでしょうね
(ちなみに、僕の場合を述べますと、
言う前に気を失うかも )。
キザでも何でも、
レディ・ファーストの文化を受け継いでいればこそ、
こういう優しさ、気配りを女性に対し
何気に見せられるんでしょう。
主人公の自分に対する、こういう心の掘り下げが
「ダンスのパーティーだから
パートナーが要る。
僕のパートナーは君だ。
ビヴァりー(奥さんの名)、僕と踊ろう」
「踊れないわ」と応える奥さんに対し
「僕と19年
パートナーを組んでいる」
という大団円につながる申し出をする伏線になっています。
この主人公の告白の中身が変化する様子は、
ギアー氏自身の、
考察の過程そのものでしょう。
ただ、原作の背景にある文化との違いが
無視できないものとしてあります。
視点を変えて、
リメーク版での奥さんのセリフに
着目して見ましょう。
案外に、日米双方の
考え方の違いが
より明瞭になるかもしれません。
奥さんは、
雇った探偵との間で次のような結婚観を披露します。
「人は誓いを立てて それを破る。
なぜ結婚するのか。
生きた証を残すため。
地球上に10億の人がいて
1つの命に何の意味が?
でも結婚すれば、
相手の全てに関心を持つ。
いいこと 悪いこと
イヤなこと つまらぬこと
それも毎日いつも
“私は あなたの人生の
すべてを見守っている”
“あなたが生きた人生…
私がその証人になる”と」。
もし、結婚してなお、相手の人生の重要な局面に
自分が同席できなければ、
証たりえると言っても虚しいでしょ?
そういうことからすると、
困難に逢着すれば、
二人で乗り越えるのが当たり前の形です。
そんな考え方が
岩盤のように思考の根底にあるようです。
多くのアメリカ人にとって
共有できる考えでしょう。
この論点、
レディ・ファーストの何たるかを
考えるにあたって
思い出すべきでしょうね。
レディ・ファーストってね、
単に車に乗るとき、
女性を優先するマナーだ
みたいな薄っぺらなところでしか思い浮かべられないと、
将来、困ることがあるんじゃないですかね、
少なくとも、米国人と国際結婚すれば、
馴染めなさが
はっきりします。
僕などは、レディ・ファーストって、
暑苦し過ぎないかな、と感じてしまいます。
東洋には東洋の良さがあるわけです。
僕個人は、そう考えます。
もっとも、奥さんを召使いみたく扱いたがる
日本男児の傾向からすれば、
この映画での
リチャード・ギアー氏の抵抗が
新鮮ではあります。
意識して見たくなりました。
今年もお世話になりました
来年もよろしくです~
良いお年をお迎えください(^^
「君が幸せでいることが夫である僕の誇りだ」という言葉、東洋文化圏であっても、ごく自然に言えるようになればいいな、と思いました。
こちらこそ、お世話になりました。いいお年をお迎え下さいますように。
案外心の中では思ってくれている旦那さんは多いのではないかな。
でも男尊女卑でなくても言いにくい言葉のようにも思います。
レディファーストって殆どの男の子だけでなく女の子達も、
薄っぺらなものしか浮かばないような気がします。
今年一年いろいろ有難うございました。
来年も宜しくお願いします。
心の中で「君が幸せでいることが夫である僕の誇り」って思っている人、身の周りにいますか?
絶滅種とばかり思ってました!!
そうでないんですね、よかった、よかった。一緒に暮らしていて、「嫁さんには早く不幸になって欲しい」タイプの旦那を持つと毎日が「格闘」になりますものね。安眠が出来なくなります。