のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

東京新聞「私説・論説室から/福島の『あいまいな喪失』」

2013年03月26日 20時04分31秒 | Weblog
hiroshi‏@t464さんの

ツイートにより、

『あいまいな喪失(Ambiguous Loss)」』

という言葉を知りました(リンク)。

行方不明者家族への多くの支援経験を持つ

ミネソタ大学のPauline Boss博士の

提唱です。

ある日あるとき、

家族の一員の不在に気付く

家族。

しかし、にこにこして

次の日でも

笑いながら帰ってくるかもしれない。

そのようなぼんやりとした

期待が何日も続き、

失った大切な人の喪失の痛みが

とてもゆっくり始まるため、

残された家族に

特有な問題が生じると言います。

福島の人にも

似た傾向が

見られるようです。

喪失したものが

“あいまい”だからと言って、

痛みが

やんわりとしたものであると決まってません。

いつ、どこで何を

失ったのかが

胸の内で明瞭にならない苦しみ、

苛立ちに

突如、

襲われるのです。

他人事と思っていると

同じ目に遇います。



■ 資料

「私説・論説室から/福島の『あいまいな喪失』」

   東京新聞(2013年3月25日)

☆ 記事URL:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2013032502000131.html

 「あいまいな喪失」-。この感覚が今、福島の人びとにまん延している。未曽有の原発災害に見舞われたこの二年を地元紙としてどう伝えてきたのか、「福島民報社」の報道部長、早川正也さんの講演を聞く機会があり、聞き慣れない言葉にはっとさせられた。


 調べると、行方不明者の家族らの支援をしてきた米国ミネソタ大のポーリン・ボス博士が提唱した理論で、複雑な原発災害を考えるヒントがありそうだ。


 放射能が降り注いだあの日から、故郷に帰りたくても帰れない、震災前と変わらない光景があってもだ。家族はバラバラに離散。心も体も引き裂かれている。なのに、何を失い、何が残っているのかがはっきりしない。失われたのは、一時のことか、それとも、ずっとか。あいまいな喪失では十分悲しめず、問題解決に向かえなくなるそうだ。


 福島の独身女性が「結婚したくない、子どもも産みたくない」と話すのを何度か聞いた。放射線量の濃淡によって避難地域かそうでないかを選別され、放射能を怖がる思いはそっちのけだ。こちらの胸も痛む。


 これこそ、宙ぶらりんな喪失による生きづらさが表れた言葉だと思う。国の政治は、せめて、ここにいて本当に大丈夫か、明らかにする責任があるのではないか。


 あいまいな喪失に包まれた言葉はより深い意味を含む。語りきれない言葉をもっと聴きたい。(佐藤直子)

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