onodekitaさんが
「春風亭小朝」師匠のブログを
紹介されていました。
ちょっとショッキングな内容でした。
☆ 記事URL:http://onodekita.sblo.jp/article/84876808.html
原田氏病に罹った後輩や
白内障と緑内障の手術をいっぺんにした先輩、
貧血で倒れたばかりの前座さんのことなど、
楽屋の裏話です。
普段、元気そうな顔しかしない人の
異変なので、
衝撃が
その分きつかったです。
ところで、色々ある東京から逃れて、
北海道に移り住んだ
大貫妙子(シンガーソングライター)氏が
1月6日付北海道新聞朝刊に
寄稿されたエッセイがあります。
タイトルは、
「あたりまえのしあわせに感謝」です。
こちらも
onodekitaさんのブログ、
「院長の独り言」に紹介されていました。
エッセイの書き起こしは、
――札幌に部屋を借りて3度目の冬が来た。自宅は神奈川県にあるが、行ったり来たりを繰り返している。
東日本大震災が起き、原発が爆発して放射性プルーム(雲)は関東にもやってきた。
東京が仕事場である私は、その直後から咳が止まらない日々が続いていた。
風邪ではないとわかっていた。
乾咳がコホコホと出続けた。
私の周りのとくに幼い子どものいる友人は東京を脱出した。ほとんどは関西、そして沖縄まで。その時私は札幌に行こうと決めた。――
なようでした。
相模原リニア着工早期実現推進同盟 @LinearSagamiさんの
――道新1月6日朝刊 大貫妙子
「原発が爆発して放射性プルームは関東にもやってきた/その直後から咳が止まらない日々/風邪ではないとわかっていた。空咳がコホコホと出続けた」 pic.twitter.com/rYCnu12mTi"
福島県民に対する侮辱にしか思えない。
一応福島に親戚いるので。――
というツイート〔2014年1月6日 - 12:14 〕に
画像として添付されていました。
転載します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/66/08baf48487e72e851496a5cb5ac732e2.jpg)
ご覧のように、
この記事の周囲が切れていますので、
全文が読めません。
上記ツイートにある
「原発が爆発して放射性プルームは関東にもやってきた/その直後から咳が止まらない日々」
という大貫妙子さんに投げつけられる
暴力的な
「福島県民に対する侮辱にしか思えない。一応福島に親戚いるので」
という道理の通らない言い掛かりに反論したくて
どうしても記事全文を読みたくなり、
探しました。
ようやく見つけたのが末尾部分で、
「徒然なるままに・・・いるか ♪」
というサイトに掲載されていました。
☆ 記事URL:http://blogs.yahoo.co.jp/natuiruka107/25752821.html?from=relatedCat
こんな文章でした。
――日本列島を龍に例えると、北海道は龍の頭である。
生きていくことに最小限必要なものは、水と空気と食糧である。
北海道はそのすべてを満たしている。
こんなに心強いことはないと私は思う。
その大地を開墾してきた逞しさが今も受け継がれていることを私は感じている。
情報よりも大切なものは、自分の直感である。
それを素直に受け入れ行動することが自分の未来である。
私は北の大地でおもいっきり深呼吸する。
身体の中がおいしい空気で満たされる。
そのあたりまえのしあわせに感謝せずにはいられない。――
大貫妙子さんのエッセイを探していて、
もう一つ、
見つけたのが
武田邦彦教授のブログ記事です。
読んでみてください。
「『日本人』で『日本国』を作りたい」
といういタイトルが
ついてました。
平成25年12月13日付の記事です。
☆ 記事URL:http://takedanet.com/2013/12/post_8314.html
「nihonjin_0131213408408.mp3」
――福島原発近くのお寺の和尚さんとお話をした。その和尚さんのところは3人、そして隣のお寺では8人が震災後にお亡くなりになり、11人のうち10人が自殺という。
これまで先祖伝来の土地に住み、自然の恵みの中で生きてきた人たちにとっては「土地を失う」のは「命を失う」より辛い。なにも植えることができない土地にはセイダカアワダチソウが茂り、すべての人は避難先から自宅に帰って命を絶つという。
その哀しさ、悔しさが胸を打つ。東京に住む政治家や知識人は「福島では誰も死んでいない」という。でも、自殺する人の多くは政府によって居住が禁止されている地域の人たちなのだ。
もし「原発は危険だ」と正直に言っていたら、この人たちは自然の中で幸福な人生を送っていただろう。なんとむごいことをするのだろうか! 何100人の人が命を自ら絶ち、もしくは命と同じぐらいの苦痛と絶望、悲しみを味わっているのだろうか?
それでも原発を再開するという。日本人が哀しさの中で自らの命を絶っていることを東京の政治家もこれまで原子力を推進してきた人も何とも思わないのだ。火力発電所を増設すれば経済的な損失もなく電力を得られるのに、毎年、出している5000億円の税金などを原発の終焉に当てれば簡単なのに、わずかな利権をむさぼっている。――
「春風亭小朝」師匠のブログを
紹介されていました。
ちょっとショッキングな内容でした。
☆ 記事URL:http://onodekita.sblo.jp/article/84876808.html
原田氏病に罹った後輩や
白内障と緑内障の手術をいっぺんにした先輩、
貧血で倒れたばかりの前座さんのことなど、
楽屋の裏話です。
普段、元気そうな顔しかしない人の
異変なので、
衝撃が
その分きつかったです。
ところで、色々ある東京から逃れて、
北海道に移り住んだ
大貫妙子(シンガーソングライター)氏が
1月6日付北海道新聞朝刊に
寄稿されたエッセイがあります。
タイトルは、
「あたりまえのしあわせに感謝」です。
こちらも
onodekitaさんのブログ、
「院長の独り言」に紹介されていました。
エッセイの書き起こしは、
――札幌に部屋を借りて3度目の冬が来た。自宅は神奈川県にあるが、行ったり来たりを繰り返している。
東日本大震災が起き、原発が爆発して放射性プルーム(雲)は関東にもやってきた。
東京が仕事場である私は、その直後から咳が止まらない日々が続いていた。
風邪ではないとわかっていた。
乾咳がコホコホと出続けた。
私の周りのとくに幼い子どものいる友人は東京を脱出した。ほとんどは関西、そして沖縄まで。その時私は札幌に行こうと決めた。――
なようでした。
相模原リニア着工早期実現推進同盟 @LinearSagamiさんの
――道新1月6日朝刊 大貫妙子
「原発が爆発して放射性プルームは関東にもやってきた/その直後から咳が止まらない日々/風邪ではないとわかっていた。空咳がコホコホと出続けた」 pic.twitter.com/rYCnu12mTi"
福島県民に対する侮辱にしか思えない。
一応福島に親戚いるので。――
というツイート〔2014年1月6日 - 12:14 〕に
画像として添付されていました。
転載します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/66/08baf48487e72e851496a5cb5ac732e2.jpg)
ご覧のように、
この記事の周囲が切れていますので、
全文が読めません。
上記ツイートにある
「原発が爆発して放射性プルームは関東にもやってきた/その直後から咳が止まらない日々」
という大貫妙子さんに投げつけられる
暴力的な
「福島県民に対する侮辱にしか思えない。一応福島に親戚いるので」
という道理の通らない言い掛かりに反論したくて
どうしても記事全文を読みたくなり、
探しました。
ようやく見つけたのが末尾部分で、
「徒然なるままに・・・いるか ♪」
というサイトに掲載されていました。
☆ 記事URL:http://blogs.yahoo.co.jp/natuiruka107/25752821.html?from=relatedCat
こんな文章でした。
――日本列島を龍に例えると、北海道は龍の頭である。
生きていくことに最小限必要なものは、水と空気と食糧である。
北海道はそのすべてを満たしている。
こんなに心強いことはないと私は思う。
その大地を開墾してきた逞しさが今も受け継がれていることを私は感じている。
情報よりも大切なものは、自分の直感である。
それを素直に受け入れ行動することが自分の未来である。
私は北の大地でおもいっきり深呼吸する。
身体の中がおいしい空気で満たされる。
そのあたりまえのしあわせに感謝せずにはいられない。――
大貫妙子さんのエッセイを探していて、
もう一つ、
見つけたのが
武田邦彦教授のブログ記事です。
読んでみてください。
「『日本人』で『日本国』を作りたい」
といういタイトルが
ついてました。
平成25年12月13日付の記事です。
☆ 記事URL:http://takedanet.com/2013/12/post_8314.html
「nihonjin_0131213408408.mp3」
――福島原発近くのお寺の和尚さんとお話をした。その和尚さんのところは3人、そして隣のお寺では8人が震災後にお亡くなりになり、11人のうち10人が自殺という。
これまで先祖伝来の土地に住み、自然の恵みの中で生きてきた人たちにとっては「土地を失う」のは「命を失う」より辛い。なにも植えることができない土地にはセイダカアワダチソウが茂り、すべての人は避難先から自宅に帰って命を絶つという。
その哀しさ、悔しさが胸を打つ。東京に住む政治家や知識人は「福島では誰も死んでいない」という。でも、自殺する人の多くは政府によって居住が禁止されている地域の人たちなのだ。
もし「原発は危険だ」と正直に言っていたら、この人たちは自然の中で幸福な人生を送っていただろう。なんとむごいことをするのだろうか! 何100人の人が命を自ら絶ち、もしくは命と同じぐらいの苦痛と絶望、悲しみを味わっているのだろうか?
それでも原発を再開するという。日本人が哀しさの中で自らの命を絶っていることを東京の政治家もこれまで原子力を推進してきた人も何とも思わないのだ。火力発電所を増設すれば経済的な損失もなく電力を得られるのに、毎年、出している5000億円の税金などを原発の終焉に当てれば簡単なのに、わずかな利権をむさぼっている。――
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