のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

金明秀氏vsモン=モジモジ氏 / 「沈黙を強いるロジックか否か」

2013年06月12日 08時15分56秒 | Weblog
金明秀 KIM, Myungsoo‏@han_orgさんと

モン=モジモジ‏@mojimoji_xさんが

ナショナリズムを巡って

ツイッターで議論されていました。

議論の仕方を

考える上で

参考になる言葉の

やり取りではないかと思いました。

TLに溺れさせては

勿体ないので

記録のため転載しておきます。

まずは、金明秀さんのつぶやきから始まります。

途中、他の人も介在しますが、

1人を除き、飛ばします。

お名前は、

失礼ながら

それぞれ金、モと

敬称抜きの略記とします。

--***--

金:日の丸には嫌悪感や恐怖感しか覚えないという方は、上田秀明大使が拷問等禁止委員会でなした発言についてどういう感情を抱くのだろう。個人的にとても気になる。(2013年6月10日 - 0:09

モ:.@han_org あのような人権感覚の欠如した人物を代表にしたことについて、その社会の主権者として恥ずかしい気持ちはありますが、それ、ナショナリズムとは別の話だと思いますが。
日の丸には、今や、嫌悪感しか感じません。(6月10日 - 0:59

金:.@mojimoji_x リプライありがとうございます。「その社会の主権者」というのは面白い表現ですね。「日本社会の主権者」でも「この社会の主権者」でもなく、「その社会の主権者」とは。(6月10日 - 1:23

金:.@mojimoji_x でも、この場合の「主権」は「国民の代表」を選ぶための主権という意味ですよね。だとすれば、「その社会の主権者として」は、「日本の主権者として」と解釈してもかまいませんか?(6月10日 - 1:24

モ:@han_org 代表を選ぶと言っても、大使が選挙で選ばれるわけではないですし、それに限らないですけどね。その社会から恩恵を受け、その社会に対してなしうることがある立場であるならば、その社会がろくでもないことをしていれば、それを野放しにしていることを恥ずかしく思います。くらい。(6月10日 - 1:37

金:.@mojimoji_x ふむ。「日本の主権者」というアイデンティティを引き受けるつもりはないという返答ですね。その場合に引き受けたくないのは、日本という「国家」を単位としたメンバーシップでしょうか。それとも、「この社会」という帰属のスタンスでしょうか。(6月10日 - 1:47

モ:.@han_org 日本国籍保有者としてパスポートを使っているのですから、明らかに国家に帰属しています。僕の場合、ナショナルなアイデンティティは、心理的な問題ではなく、主権国家システム内部での法的地位の問題です。徐京植さんの立場に近いと思います。(6月10日 - 8:35

金:.@mojimoji_x 朝からずっと考えているのだけどよくわかりません。なぜ、「ナショナルなアイデンティティ」を「心理的な問題」とする一般的な認識を拒否して、「主権国家システム内部での法的地位の問題」だと位置づけようとするのかが。(6月10日 - 13:47

金:.@mojimoji_x そもそもぼくが関心を持っているのは、おそらくモジモジさんも理解されている通り、「心理的な問題」として、「日の丸に反対する人たちのナショナルアイデンティティとはどのようなものか」ということです。(6月10日 - 13:50

金:.@mojimoji_x このテーマに言及したくないということであれば――それならどうしてリプライを頂けたのかはわからなくなりますが――仕方ありません。ただ、日の丸問題をめぐってはさまざまな欺瞞がまかり通っているので、いろんな機会に腹を割って話しあうことが重要だと思っています。(6月10日 - 13:55

モ:@han_org 様々に残滓はあるでしょうが、基本的には「心情的なナショナル・アイデンティティとかありません」ということです。「ない」ということもナショナル・アイデンティティの一つのありようでしょう?(6月10日 - 16:47

金:.@mojimoji_x 確かに、論理的には「ない」ということもナショナル・アイデンティティの一つのありようですが、経験的にはそういう場合、「あのような人権感覚の欠如した人物を代表にしたことについて、その社会の主権者として恥ずかしい気持ち」を感じることはないと思います。(2013年6月11日 - 8:39

金:.@mojimoji_x むしろ、「国家に同一化する感情など抱きたくないという心情」と「現実には国家と同一化してしまって羞恥を感じてしまう心情」がせめぎあっているようにしか見えません。(6月11日 - 8:45

モ:.@han_org 自分の仕事をきちんと果たせなかったら、そのことに恥を感じることはありますが、それは所属組織(たとえば企業)に対して心情的に同化しているかは別の話でしょう。恥の感情は、実存的個人主義的な背景からも生じる。勝手にナショナリズムに回収しないでほしい。失礼ですよ。(6月11日 - 10:25

モ:@han_org ちなみに、徐京植さんの『半難民の位置から』とかは、お読みになったことはありますか?(6月11日 - 10:26

金:.@mojimoji_x たいへん失礼しました。今回2つ具体的なヒントをいただいて、やっとわかったと思います。理解が遅くて申し訳ありません。主権者としての自分の仕事を十全に果たすことができずにあのような人物を大使としてしまったことを恥ずかしく思うということですね。(6月11日 - 11:27

モ:.@han_org そういうことです。「主権国家システムにおける法的地位」に由来する恥の感覚は、ナショナリズム由来のそれとはまったく異なるものです。むしろ、恥の感覚にナショナリズム的な意味合いを与えることが、この「本来の」意味での恥の感覚を鈍磨させているのではないでしょうか?(6月11日 - 11:30

モ:.@han_org 僕はナショナリズムを「余分な物」と言い切っています。その理由は、第一に(仮に統合のような一利を与えるとしても)必然的に排除を伴うこと、第二に(今問題にしたような)責任の感覚を鈍磨させること、その意味で、ナショナリズムこそが公共性を破壊する元凶だと思うからです。(6月11日 - 11:32

<ここで、私のニセモノに注意‏@tokaiamaさんの合いの手が入ります。お愛想で、この人のツイート、載せておきます>

――@mojimoji_x @han_org その通り!
(^_^)v
ついでに天皇制も切り捨ててくれ(6月11日 - 11:33

金:.@mojimoji_x またわからなくなってきました。共和主義を実現するために主権国家システムを用いるということであれば、ぼくの定義ではそれも「ナショナリズム」に含まれますし、主権国家システムを用いる以上は必然的に排除をともないます。もう少し教えてもらえますか?(6月11日 - 11:48

モ:.@han_org 主権国家システムを「使わない」と言うなら、それこそパスポート破り捨てましょう、といいう話。利益を衡量すれば、それが真っ当なシステムではなくても使うわけです。それなら、「主権国家システムの孕む問題を解体するように使う」ということになるんじゃないですか。(6月11日 - 11:50

モ:.@han_org 主権国家システム上の地位も、大学教員としての地位も、その他差別的構造を基礎に成り立つあらゆる社会制度も、現にある以上、その上でどうするかという話にしかなりません。「使う」ことと「肯定する」ことは別の話。僕はそれを「否定する=解体する」ような使い方を模索します。(6月11日 - 11:52

モ:@han_org まぁ、一言でいうと「脱構築」ってそんな話ですよね。(6月11日 - 11:55

金:.@mojimoji_x 聞けば聞くほど、そのスタンスではむしろ「(共同体を運営する)責任の感覚を鈍磨させる」ことにしかならない気がしています。(6月11日 - 12:13

金:.@mojimoji_x 「主権国家システムの孕む問題を解体するように使う」といいますが、例えば、その問題が主権をもたない者を排除しながら主権者だけが国家による再配分を受けるということである場合、具体的にはどうすれば「問題を解体するように使った」ということになりますか?(6月11日 - 12:24

金:.@mojimoji_x この問いに具体的な解答がないかぎり、「国家による再配分や国家による自由を国民として享受しつつ、それを否定する=解体するような使い方を模索しているとだけ弁明すれば、ナショナリストではないと主張できるロジックだ」と批判されても仕方がないような気がします。(6月11日 - 12:27

モ:.@han_org その弁明こそがまずは大事。これを肯定せずにどこへもいけない。そして、弁明にどのような内実を与えるかは、その人の行動と発話の継続の中でしか示せない。そういう構図の中で「ロジックで」それを示させようとするロジックは、それ自体沈黙を強いようとするロジックでしょう。(6月11日 - 12:33

金:.@mojimoji_x この論点だとこの先おそらく平行線ですね。お付き合いありがとうございます。続きは、論点をかえて、「ナショナリズムとレイシズムは本当に不可分か」のほうで挙証責任を果たしたいと思います。後日になると思いますが。(6月11日 - 12:40

モ:.@han_org 平行線とは思わないですけど、続けるつもりがないならそこまでで。それより、ナショナリズムとレイシズムの関係については、一般的にどうかということも大事でしょうけど、現に君が代不起立で教員が処分される社会において可能か、というところまで掘り下げていただきたい。(6月12日 - 0:36

モ:.@han_org 国家が教育カリキュラムの決定権を独占しようとしている中で、そこに単一の同化主義的内容を置こうとしている中で独自の民族教育を維持しようとすること自体、そういう営為になっていると言えるのではないですか?何を批判されているのかわからないので、詳しくお願いします。(6月12日 - 6:49

以上





最新の画像もっと見る

コメントを投稿