のんきに介護

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靖国神社の歴史的な意味

2013年12月27日 20時24分30秒 | Weblog
1882年(明治15年)に交付された

「軍人勅諭」に

「義は山嶽よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」

意味は、義は、

山また山を越える苦労より厳しく、

人の命など

鳥の羽毛より軽いと覚悟せよ、

ということです。

義は、国の大義を指す言葉でしょう。

すなわち、「天皇のために命を捧げよ」という趣旨です。

一方で、

国民に「死ぬ義務」を果たさせるため、

その動機付けのため、

「命を落とした者は軍神として

靖国神社に祀られる」という幻想を与えました。

実に、

巧妙な仕掛けです。

靖国神社の

もともとの名は、

「招魂社」

でした。

戊辰戦争における

明治維新政府樹立の功労者を顕彰する

目的で創設されたようです

(サイト「靖国神社」参照)。

☆ 記事URL:http://www.geocities.jp/misoichibann/jiei.html

「功労者を顕彰する」

という目的ですから、

反省の要素は入ってません。

あえて言えば、

「戦争礼賛」のための宗教施設です。

1879年(明治12年)に

神社の名前を「招魂社」から「靖国神社」と変え、

神社設営の目的を

「対外戦争での戦没者を祀る」とした時点で、

より「戦争礼賛」の傾向を

強くしました。

その証拠は、

どんな人が宮司になったかを見ても

明らかです。

中国への全面戦争が始まった翌年1938年4月から

1946年1月までは、

鈴木孝雄陸軍大将(敗戦時の首相・鈴木貫太郎海軍大将の弟)が

宮司の任に就きました。

また、靖国神社の建設も管理は、

最初は兵部省、

その後は陸軍省、海軍省と、軍事官庁によって運営されていました。

この扱いは、

明らかに他の神社とは異なります。

戦後は、

1978年に極東軍事裁判で有罪判決を受けたA級戦犯を合祀され、

同時に、「正しい戦争」論の宣伝センターとして

機能するようになります。

そんなわけで、

2006年当時、首相であった小泉純一郎氏が

靖国神社参拝した際、

インドの英字紙ヒンズー紙が

8月21日付けで「靖国トラブルは続く」との社説を掲載しました。

これは、

インド特有の反応ではないです。

世界中の認識として、

「靖国は戦争記念建造物ではない。神道帝国主義の神社で、日本軍国ファシズムを駆り立て、アジア大陸と太平洋の島々に戦争をもたらした。また、"修正主義者〝の歴史博物館という性格も兼ね備えている」

という理解で一致していたでしょう。

だからこそ靖国参拝が

国際秩序の根幹に関わる重大問題だとして

世界から警戒された所以です。

安倍某が

その点、無頓着に詣でたがるのは、

他者の視点が欠如しているからです。

ただあるのは、

自分で自分を礼賛する

ナルシズムの

場としての

“ねぐら”への執着がある切りです。

東京生まれで東京育ちのくせして、

未だに

「故郷は山口県(長州藩)です」

という感覚は、

祖父を通して、

“ねぐら”としての

長州藩の利害から

離れられないということです。

誰だって、

故郷は恋しいでしょう。

しかし、この人の場合は、

明治維新を

成し遂げたという成功体験と結びついて、

靖国神社が

心の奥底に根を張っているのです。

戦争で

犠牲になった人の目で自分を見る

他者性には

ついに無縁です。

戦争の犠牲者の数を政府が公表しているのは、

インドネシア、ベトナム、フィリピンの

三国だそうです。

犠牲者は、

インドネシア400万人、ベトナム200万人、フィリピン100万人

とのことです。

目を転じ、

日本人を見て見ましょう。

太平洋戦争後半、

「戦場では補給を無視した無謀な作戦で戦場に置き去りにされた多数の兵士、仕官が戦闘によってではなく、飢餓の中で死んでいきました。ある研究者の集計では餓死者の合計は約140万人に上ると言います。日本の軍人、軍属の戦没者の総計は約230万人ですから、この推計によればそのほぼ6割が政府の引き起こした無謀な戦争に駆り出されて飢餓の中で無残な死を遂げたことになります」(上掲サイト参照)

犬死としか言えない死を遂げた人たちです。

誰が望んで、

「靖国」に戻るでしょうか。

この人たちは、

戦没者ではあっても、

恐らく軍人ではないでしょう。

“他者性”とは、

他人の立場で物を考えるというか、

まったく別の価値観に生きる人間に思いを馳せることです。

無理をしてでもね、そうするのです。

こういったことは、

自分に酔い痴れているナルシストには

都合が悪いかもしれないので、

苦痛と思います。

「慰霊」というのは、

そういう都合の悪さを受け入れて

初めてできるものです。

日本人に対してだけでなく、

インドネシア400万人に申し訳ない、

ベトナム200万人、フィリピン100万人に対して

お詫びする気持ちがないと、

真の意味で

慰霊は、不可能です。

そして慰霊の実を手にするためには

「敵を殺す」

という軍人の心を捨てないと

遂行できません。

そういうものと思います。

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