のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

障害者を介護する。それは、自分が楽器になることにも似ているな

2016年08月04日 03時57分29秒 | 介護
サイト「マガジン9」に

「雨宮処凛が行く/障害者の世界は、『豊か』だ。の巻」

という記事があった。

相模原の

事件を受けて

―― 容疑者は、障害を持つ人々を殊更に「不幸」と決めつけているわけだが、今、私は「そんなことはない」と声を大にして言いたいのだ。——と、

仰りたかったのだろう。

☆ 記事URL:http://www.magazine9.jp/article/amamiya/29637/

この記事に

「べてるの家」のことが

取り上げられていて驚いた。

かれこれ20年前、

彼らの活動を知って大変、感動したことが

まざまざと蘇った。

この施設では、

発作を起こすことが当たり前なんだな。

そういう人たちが

集まって、

昆布の販売などしながら

自立した

活動をしていた。

ここで働きたくあったけど、

場所が北海道だったので

大阪で

勤務地を探した。

ずっと非正規で働いていたけれど、

毎日が楽しかったよ。

相模原で

事件を起こした青年は、

「障害を持つ者」が

普通という

発想が受け入れなかったんだろうと思う。

介護を受ける方は、

状態が

変わらないとしても、

介護する方が変わるんだな。

たとえば、

不幸があったとき、

最初は

受け入れられなくとも、

徐々に

受け入れていく。

その過程を突き抜けたとき、

歓喜が訪れる。

植松君は、

それを知らなかったんだな。

哀れに思う。

僕は、

親も亡くなって、

暇になった。

苦しいときは、

この曲を聴くようにしている。

あるいは、

苦しくなくとも

魂の洗濯と思って聞いている

ものが二曲ある。

一つは、

これ。



水のイメージが好きなのだ。

前に取り上げた。

よければ、読んでください

(「'Barso re megha'」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/9a0ea32981ba61147913be1243ee4730

それと、これ。



日が経って

分かったのは、

二つ目の、

この曲が気に入っていた理由。

僕が働いていた知的障碍者施設の

イメージって

この曲だったんだな。

生きていてしようがない人たちが

仕方なくそこにいるんでなく、

今日一日、

燃焼し尽くす人たちが

集まっていた。

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