松井計
@matsuikei さんのツイート。
――音楽に政治を持ち込むな論は実に面白いね。日本において、ロックが対抗文化として受容されてきた歴史がある以上、それらは出自からして既に政治性を帯びている。その受容期には、ロックやフォークは政治性を帯びていてこそ評価され、そうでないものは商業的過ぎるとして批判の対象だったものだ。〔7:54 - 2016年6月20日 〕――
聞けば、
分かると思うけど、
AKB48の
「翼はいらない」という曲、
恐ろしく政治的だよ(正確には、だったよ)!
拙稿「AKB48 が歌う『翼はいらない』という曲、平成の軍歌ではないか 」
を読んで欲しい。
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/24ff748341af7ae0657ebdb8cd5c733a
実は、僕がアップした当時の動画は削除されてしまっているし、
改めて選んだ動画では
歌詞が違ってしまっているけれど、
元々の歌詞は、
僕が上掲ブログ記事に記した通りだ。
見かけは、
フォークながら、
その実、ファシストが喜ぶような大衆を
作り出すのが目的ではないか、と思うような曲だった。
音楽の政治利用ということで
やり玉に上げるのならこういう曲を狙わなきゃ、
という感じだったな。
音楽と言うのは、
権威、権力に対して抵抗するもの、暴力と相容れないものであってこそ、
本来の美しさを発揮するのではなかろうか。
<追記>
「NAVERまとめ」に
「『反体制なフジロックには行かない!』ネット原住民、拒絶あらわに」
という記事があった。
☆ 記事URL:http://matome.naver.jp/odai/2146628054776330801
この記事は、
――この世の殆んどの音楽ジャンルが「反体制」だった!? フジロック問題で喚くネット原住民が知らない現実(NAVAR)http://bit.ly/1Y2q4L7 日常生活と「政治」が切り離し可能だと思い込んでいる時点で、思考が子どものままだと思う。自由は親や政府に与えてもらうのか?〔13:47 - 2016年6月20日 〕――
――子どもは、遊び/趣味などの日常生活だけ考えて生活することが許される。しかし大人は違う。政治が日常生活の土台にあり、政治の変化が日常生活を脅かしうることを理解した上で、自分や子どもの日常生活を守るために、逃げずに政治に関わる責任を負う。政治の話題に触れるなというのは逃げでしかない。〔13:49 - 2016年6月20日 〕――
――近現代史に詳しいはずなのに、日本でエスカレートする過去の歴史修正や現在の歴史改竄(議事録捏造や書き換え)に何の反応も示さず、自分は政治的な発言はしない、と傍観者的態度をとる人もいる。政治的な発言をしなければ、政治から隔離された無菌室にいられるかのような認識は、子どもの思考だろう。〔13:50 - 2016年6月20日 〕――
という山崎 雅弘@mas__yamazaki さんの
ツイートで知った。
「ぼくちゃん、いやだ」
の諸君が
訴求力を持たせるために
“ネット原住民”
などという造語までして、
自称しているのが何とも微笑ましい。
端的に
ネトウヨと名乗りなさい!!
造語などしなくてよろしい。
思うに、こういう駄々っ子たちに対しては、
いい加減に接触しておれば十分だ。
ただし、
彼らのために被る迷惑度は、
半端ではない。
自分を守るためには
どんな連中か
ちょっとは知っておくのは有益かも、
ですな。
彼らに一体、どんな音楽観、人生観があるのか。
せいぜい、
カラオケに行って、
演歌をがなるコストを必要経費として
会社から引き落とす屁理屈が欲しいだけだろう。
そこをよく踏まえた上で
対処すべきだ。
なお、最後に
ツイッターTL上にあった
鋭い問いを紹介。
――音楽に政治を持ち込むなってこれのこと?〔15:41 - 2016年6月19日 〕――


mipoko:NoWarNukesFur @mipoko611 さんの発信です。
<追記ー2>
「スポーツに政治を持ち込むな」
という同じ意味合いで、
上掲主張していた人が「NAVERまとめ」に
紹介されてあった。
それとの関連で言えば、
下記〔資料〕、日刊スポーツにある指摘、
――学生団体「SEALDs」の奥田愛基氏やジャーナリストの津田大介氏らが出演することに対し、ネット上では一部から「フジロックに政治を持ち込むな」「音楽の政治利用」などと批判の声があがっている。――
というのは、
実に滑稽な現象だ。
だって、スポーツの場合、
そういう主張を許さないために、
「政治を持ち込むな」
と言っているわけだ。
奥田氏や津田氏の参加を拒む態度がまさに
政治を持ち込むんだ結果だと言える。
僕は、
本文で「ネット原住民」と言わず、
正直に「ネトウヨ」だと、
正体を明かせと書いた。
ひょっとすると、
書き過ぎかと思わないわけではなかった。
しかし、
主張内容を知れば知るほど、
間違ってない
という確信を得た。
まさに彼ら、
白を黒、黒を白という
転倒した話法になってしまっているからだ。
〔資料〕
「「フジロックの政治利用」批判にアジカン後藤が反論」
日刊スポーツ(6月20日(月)14時27分配信)
☆ 記事URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160620-00000078-nksports-ent
今夏開催される野外フェス「フジロック・フェスティバル’16」に学生団体「SEALDs」の奥田愛基氏やジャーナリストの津田大介氏らが出演することに対し、ネット上では一部から「フジロックに政治を持ち込むな」「音楽の政治利用」などと批判の声があがっている。
こうした批判の声に、ロックバンド「アジアン・カンフー・ジェネレーション」のボーカル、後藤正文(39)が「フジロックのこと知らない人が言ってるよね」と反論した。
後藤は20日にツイッターで、「これまでいくつものNGOやアーティストがさまざまな主張をステージで繰り返してきたわけだし」と、フジロックと政治の関係性について述べ、今回の批判について「『読経に宗教性を持ち込まないでください』みたいな言説だよね」と的外れであることを指摘した。
後藤は、「フジロックに」ではなく「音楽に政治性を持ち込むな」という意見であれば、「リスナーは自由に言っていいと思う。そういう意見に忖度するかどうかも、作り手の自由」とした上で、自身は「音楽に持ち込んでいるのは社会性だと思ってるんだけれどね。政治性じゃない。社会と関わろうっていう、あるいは社会と関わらずにはいられない、ってことなんだけど」との考えを示した。
@matsuikei さんのツイート。
――音楽に政治を持ち込むな論は実に面白いね。日本において、ロックが対抗文化として受容されてきた歴史がある以上、それらは出自からして既に政治性を帯びている。その受容期には、ロックやフォークは政治性を帯びていてこそ評価され、そうでないものは商業的過ぎるとして批判の対象だったものだ。〔7:54 - 2016年6月20日 〕――
聞けば、
分かると思うけど、
AKB48の
「翼はいらない」という曲、
恐ろしく政治的だよ(正確には、だったよ)!
拙稿「AKB48 が歌う『翼はいらない』という曲、平成の軍歌ではないか 」
を読んで欲しい。
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/24ff748341af7ae0657ebdb8cd5c733a
実は、僕がアップした当時の動画は削除されてしまっているし、
改めて選んだ動画では
歌詞が違ってしまっているけれど、
元々の歌詞は、
僕が上掲ブログ記事に記した通りだ。
見かけは、
フォークながら、
その実、ファシストが喜ぶような大衆を
作り出すのが目的ではないか、と思うような曲だった。
音楽の政治利用ということで
やり玉に上げるのならこういう曲を狙わなきゃ、
という感じだったな。
音楽と言うのは、
権威、権力に対して抵抗するもの、暴力と相容れないものであってこそ、
本来の美しさを発揮するのではなかろうか。
<追記>
「NAVERまとめ」に
「『反体制なフジロックには行かない!』ネット原住民、拒絶あらわに」
という記事があった。
☆ 記事URL:http://matome.naver.jp/odai/2146628054776330801
この記事は、
――この世の殆んどの音楽ジャンルが「反体制」だった!? フジロック問題で喚くネット原住民が知らない現実(NAVAR)http://bit.ly/1Y2q4L7 日常生活と「政治」が切り離し可能だと思い込んでいる時点で、思考が子どものままだと思う。自由は親や政府に与えてもらうのか?〔13:47 - 2016年6月20日 〕――
――子どもは、遊び/趣味などの日常生活だけ考えて生活することが許される。しかし大人は違う。政治が日常生活の土台にあり、政治の変化が日常生活を脅かしうることを理解した上で、自分や子どもの日常生活を守るために、逃げずに政治に関わる責任を負う。政治の話題に触れるなというのは逃げでしかない。〔13:49 - 2016年6月20日 〕――
――近現代史に詳しいはずなのに、日本でエスカレートする過去の歴史修正や現在の歴史改竄(議事録捏造や書き換え)に何の反応も示さず、自分は政治的な発言はしない、と傍観者的態度をとる人もいる。政治的な発言をしなければ、政治から隔離された無菌室にいられるかのような認識は、子どもの思考だろう。〔13:50 - 2016年6月20日 〕――
という山崎 雅弘@mas__yamazaki さんの
ツイートで知った。
「ぼくちゃん、いやだ」
の諸君が
訴求力を持たせるために
“ネット原住民”
などという造語までして、
自称しているのが何とも微笑ましい。
端的に
ネトウヨと名乗りなさい!!
造語などしなくてよろしい。
思うに、こういう駄々っ子たちに対しては、
いい加減に接触しておれば十分だ。
ただし、
彼らのために被る迷惑度は、
半端ではない。
自分を守るためには
どんな連中か
ちょっとは知っておくのは有益かも、
ですな。
彼らに一体、どんな音楽観、人生観があるのか。
せいぜい、
カラオケに行って、
演歌をがなるコストを必要経費として
会社から引き落とす屁理屈が欲しいだけだろう。
そこをよく踏まえた上で
対処すべきだ。
なお、最後に
ツイッターTL上にあった
鋭い問いを紹介。
――音楽に政治を持ち込むなってこれのこと?〔15:41 - 2016年6月19日 〕――


mipoko:NoWarNukesFur @mipoko611 さんの発信です。
2016年6月20日昼 記
<追記ー2>
「スポーツに政治を持ち込むな」
という同じ意味合いで、
上掲主張していた人が「NAVERまとめ」に
紹介されてあった。
それとの関連で言えば、
下記〔資料〕、日刊スポーツにある指摘、
――学生団体「SEALDs」の奥田愛基氏やジャーナリストの津田大介氏らが出演することに対し、ネット上では一部から「フジロックに政治を持ち込むな」「音楽の政治利用」などと批判の声があがっている。――
というのは、
実に滑稽な現象だ。
だって、スポーツの場合、
そういう主張を許さないために、
「政治を持ち込むな」
と言っているわけだ。
奥田氏や津田氏の参加を拒む態度がまさに
政治を持ち込むんだ結果だと言える。
僕は、
本文で「ネット原住民」と言わず、
正直に「ネトウヨ」だと、
正体を明かせと書いた。
ひょっとすると、
書き過ぎかと思わないわけではなかった。
しかし、
主張内容を知れば知るほど、
間違ってない
という確信を得た。
まさに彼ら、
白を黒、黒を白という
転倒した話法になってしまっているからだ。
2016年6月21日未明 記
〔資料〕
「「フジロックの政治利用」批判にアジカン後藤が反論」
日刊スポーツ(6月20日(月)14時27分配信)
☆ 記事URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160620-00000078-nksports-ent
今夏開催される野外フェス「フジロック・フェスティバル’16」に学生団体「SEALDs」の奥田愛基氏やジャーナリストの津田大介氏らが出演することに対し、ネット上では一部から「フジロックに政治を持ち込むな」「音楽の政治利用」などと批判の声があがっている。
こうした批判の声に、ロックバンド「アジアン・カンフー・ジェネレーション」のボーカル、後藤正文(39)が「フジロックのこと知らない人が言ってるよね」と反論した。
後藤は20日にツイッターで、「これまでいくつものNGOやアーティストがさまざまな主張をステージで繰り返してきたわけだし」と、フジロックと政治の関係性について述べ、今回の批判について「『読経に宗教性を持ち込まないでください』みたいな言説だよね」と的外れであることを指摘した。
後藤は、「フジロックに」ではなく「音楽に政治性を持ち込むな」という意見であれば、「リスナーは自由に言っていいと思う。そういう意見に忖度するかどうかも、作り手の自由」とした上で、自身は「音楽に持ち込んでいるのは社会性だと思ってるんだけれどね。政治性じゃない。社会と関わろうっていう、あるいは社会と関わらずにはいられない、ってことなんだけど」との考えを示した。
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