自民党が
強く「天皇の政治利用」を
非難しています。
非常識と非難しながら、
不問に付せば
お墨付きを与えたことになる
と大変な剣幕です。
これには、
次のような
下心が
あるからでしょう。
すなわち、
政治利用のパワーを独占したい、という。
ところで、
山本議員の件が
面白いのは、
“軍国主義化”
のためにしか利用できない
と思われていたことが、
実は、ただの思い込みだと気付かせたことです。
安倍某らは、
“天皇の政治利用”を
アプリオリに自分達の特権のごとく見做していた分、
強く不安感に揺さぶられているはずです。
全力投球で
山本議員に懲罰を付そうとするでしょう。
天皇主権を認める一方で、
国民主権が
産み出されたんじゃ
彼等の軍国主義化は失敗です。
米国に追随して、
戦争で飯を食おうとする
輩が
その身にまとっている
他人の目をごまかすマントは、
「愛国」です。
その同じ「愛国」の精神が
棄民政策を
攻撃する最大の武器になります。
その論理・必然は、
田中正造翁の
「亡國に至るを知らざれば之れ即ち亡國の儀に付」
という抗議文にある
「民を殺すは國家を殺すなり」
という命題に
よく集約されていると思います。
現政権の
共通認識は、
「国家(政府)の危機を語って
民を殺す」
ことが大切というイデオロギーでしょう。
一方が
「民を殺すな」と言い、
他方は、
「民を殺す」ことを
忌避しません。
その違いが
他方をとことん追い詰めようとするでしょう。
「民を殺すな」と主張する側が
「国家」を本気で守ろうとするのに対し、
「民を殺す」選択をする方は、
便宜的に
「国家」を語るにすぎない
売国の徒です。
ここで負けるわけのはいかないな、
と久しぶりに熱くなりました。
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