のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

強要される人権もどき(各論-ロ) / 「混じり合わない公共性と個人」

2012年11月30日 02時13分55秒 | Weblog
天賦の人権でない

我が国の文化を担った“人権”が

どのようなものであるか

見てみましょう。

それは、

暴力によっていかようにも

料理される

性質を持ちます。

この点を理解するには

現行憲法と

自民党憲法改正案を

比較すれば、

明らかになります。

次の如し。

第○○条とか書いてあるのが

現行憲法です。

それに対し、(案)→という記号の後に

記されてあるのが

自民党の憲法改正案です。

変更された点で

注意すべきかな、と思える個所は、

赤字にしました。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

(案)→この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

(案)→ 全て国民は、として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
② 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

(案)→ 財産権は、保障する
2 財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。この場合において、知的財産権については、国民の知的創造力の向上に資するように配慮しなければならない。

〔コメント〕

<第十二条について>

現行憲法では、「公共の福祉」に対し、

「利用する責任」を説きます。

改正案では、

「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」という

言葉に置き換えます。

そしてこの概念は、

個人に対し対立的なものと捉えます。

対立的なものだから、

利用はあり得ないと考えます。

個人の側からすれば、

自由及び権利には

責任及び義務が伴うことを自覚し、

常に公益及び公の秩序に反しないようにせよ

というわけです。

<第十三条について>

現行憲法には、

人権としての尊重のあり方について

記されてあります。

その規定が13条です。

いわく「個人として尊重せよ」云々。

これが自民党案になると

どうなるか――。

「個」が抜けます。

なんだ一文字の変更か?

と思われるかもしれません。

しかし、この「個」という語が抜けることで、

幸福追求権の根拠とされた

この規定は、

何のことはない、

「『物』ではなく、『人』として扱われたら、それでよい」

という内容になってしまいます。

最高規範として

憲法が要求しているのは、

「犬や猫、牛のようには扱うな」

ということです。

<第二十九条>

現行憲法は、

財産権につき、

「侵してはならない」

という非常に強い表現で保障を

宣言しました。

大日本帝国憲法では、

この言い方で、

保護されたのは天皇です。

現憲法で、

その位置にいるのは

「財産権」なのだ

ということが感得されます。

自民党案で、

「財産権」が卑しめられたのは

賠償の問題が

あるからでしょう。

たとえば、

福島原発事故で

撒き散らされた放射性物質は、

東電の財産権が

及ぶものですので、

不可侵なものとして

お返ししなければなりません。

除染しても同じです。

集めたものを

東電に財産として返却する必要があります。

事務管理として、

現在は、税金を使って

除染してますが、

その最終的な負担権者は、東電です。

「不可侵」というのは、

そのような歪めることができない原理原則を

宣明したことになります。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿