ゼロ戦は、
曲芸飛行に秀でたものがあったが
戦闘には不向きだった。
敗戦濃厚となったとき、
さすがの海軍も考え方を改め、
米国の兵器製造の理念の下、ゼロ戦に代わる戦闘機を作った。
それが紫電改だ。
米国の兵器製造の理念とは、
兵士の命の尊重だ。
そのために、
戦闘機の機体を頑丈にして
武装を重視した。
しかし、時、既に遅しだった。
紫電改が
優秀な戦闘機であった分、
過大な期待が
寄せられたようだ。
終戦直後、
紫電改のため組織された
343航空隊が
「戦史資料」
と題して、
87名の搭乗員の戦死を
報告している
(ビデオタイム、37:52以降参照)。
一方、軍部の問題点として、
次の3点を指摘している。
(1)航空戦略の認識と準備の欠如。
(2)日米の工業力の差に対する理解の欠如。
(3)軍司令部の机上計画が作戦の混乱を招き、徒に兵員の犠牲、消耗を増やした。
感情を抑えた表現の中に
犬死を強いられた
当時の兵隊の無念が伝わってくるようだ。
今、日本の国に
「兵隊の命を粗末にした」
(ゼロ戦がその理念の象徴だ!)
という、
太平洋当時の軍部に対する厳しい反省を
我がものとした
司令官がいるだろうか。
敗色濃厚となるや、
自分が戦争責任を追わないで済むように
奔走していた
戦犯共が跋扈しているだけではないか。
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