ミーティングの後、大ボスが僕の所属する部署に乗り込んでくることに
なった。
B施設は、複合的な施設で、幾重もの階層に分かれていた。全国の福祉
組織を束ねる人でさえ、この大ボスには一目置いていた。
その大ボスが僕の所属する部署に常駐することになった。組織にとって、
細胞のような下部の小さな部署だったが、ただのバイトの立場で働いて
いる者が司令塔になりかけているということは、組織にとって、由々しき
一大事なのだったのだろう。
あの男はいったい何者なのだ?
すべてが洗い直しをされた。施設の中は、蜂の巣を突いたような騒ぎに
なった。緊張してなかったのは、僕だけだったか。この機会に、大ボス
に介護の何たるかを教えてやろうとさえ思っていた。
大ボスの常駐は、3ヶ月ほど続いた。出てきた結論は、何だったのだろうか・・・
副主任の立場にいた人(Mさんと呼ぶことにする)に転任の辞令が下った。
僕としては、栄転と考えてあげたかった。しかし、職場を去る際、僕に対する
憎悪を剥き出しにしていたところを見ると、左遷だったのだろう。
僕とMさんとの関わりは、勤務初めの頃だった。
利用者の一人が包丁を振り回して、暴れだしたので、協力を求められた。
Mさんと一緒に利用者から包丁を取り上げた。その後、
「大概の介護士は、こういう騒ぎがあると辞めていく。君は大丈夫か?」
と質問された。
「僕は修羅場慣れしている人間です。仮に、命を狙われるようなことが
あっても、動揺するなど考えられないです」と答えたのを覚えている。
Mさんは、きっとした顔をして僕をにらんだ。この頃からライバル関係
が成立したのかもしれない。
このMさんが僕を監視させた張本人ではない、と今も確信している。
ライバルであったればこそ、僕を自由に泳がせたかったにちがいない。
そんなものだ。相手に実力を発揮させてはじめて、雌雄が決せるからだ
(女性差別的な用語だが、堪忍して欲しい。男心を表現するに他に適当
な言葉が見つからなかった)。
この施設に入って、僕に仲間らしい人がいなかったわけではない。
A施設の裏手に身障者の施設があった。そこで働いていた人が、僕より
一足早く雇われていた。僕のことはよく知っているようだった。
A施設と身障者の施設が壁一枚隔てられていただけだったので、
僕の声が丸聞こえだったらしい。聞くところによると、僕が何か言う度、
大爆笑だったらしい。
(身障者の支援より、知的障害者を相手にしたほうが面白そうだ!)
と、思ったかどうかは知らない。しかし、たぶんに僕からの刺激を受け、
この施設に入ったようだった。この人、Oさんとでも呼んでおこうか。
話が前記事に戻るが、Y君の言語能力を証明した後、監視役のN君は、
「おい、おっさん! お前、アホやろ。アホはアホらしくおとなしゅうしとれ」
と、Y君を罵り出していた。
言葉が通じるものには言葉の暴力をと考えたのかもしれない。こういう
処遇をされるようになるとは僕は夢にも考えていなかった。うんざりし
つつ、その辺りの事情をOさんに打ち明けた。Oさんは、大変、正義感
の強い人だったから、何とかしなければ、と思ってくれたようだ。
「忠太さんの実力な、あんたらの想像を遥かに超えてるよ。嘴、差し挟
まないであげてくれる?」
他のスタッフらに注文をつけてくれた。僕より早く入ったこの人、
施設の主力職員に成長していた。他のスタッフの態度は変わった。
しかし、女性だったためだろう、N君の受け入れるところとはならなか
った。
そうこうしてるとき、Oさんは、利用者の対応に失敗し、あばら骨を
3本ほど折られて入院するという災難に見舞われた。
僕がN君の監視下に置かれているため、実力の百分の一も出していな
いということに心を痛め、入院前まで動き回ってくれていた。
その動きに敏感に反応してくれたのが、副主任のMさんだった。監視
の監視役をしてくれたという風に見えた。すべては僕の錯覚だったの
だろうか。
さて、まったく別の人の話になるが、Mさんは、あるとき、スタッフ
の一人、H君のことに触れ、次のように心情を吐露したことがある。
「自分の後継者にどうにかこうにか育ってくれ、ほっとしている」
その言葉が耳にこびりついてはなれない。
後継者であるはずのH君は、Mさんが転任になり、施設から姿が消え
るや、こう、うそぶいた、
「独裁者がいなくなって、せいせいした!」と。
なった。
B施設は、複合的な施設で、幾重もの階層に分かれていた。全国の福祉
組織を束ねる人でさえ、この大ボスには一目置いていた。
その大ボスが僕の所属する部署に常駐することになった。組織にとって、
細胞のような下部の小さな部署だったが、ただのバイトの立場で働いて
いる者が司令塔になりかけているということは、組織にとって、由々しき
一大事なのだったのだろう。
あの男はいったい何者なのだ?
すべてが洗い直しをされた。施設の中は、蜂の巣を突いたような騒ぎに
なった。緊張してなかったのは、僕だけだったか。この機会に、大ボス
に介護の何たるかを教えてやろうとさえ思っていた。
大ボスの常駐は、3ヶ月ほど続いた。出てきた結論は、何だったのだろうか・・・
副主任の立場にいた人(Mさんと呼ぶことにする)に転任の辞令が下った。
僕としては、栄転と考えてあげたかった。しかし、職場を去る際、僕に対する
憎悪を剥き出しにしていたところを見ると、左遷だったのだろう。
僕とMさんとの関わりは、勤務初めの頃だった。
利用者の一人が包丁を振り回して、暴れだしたので、協力を求められた。
Mさんと一緒に利用者から包丁を取り上げた。その後、
「大概の介護士は、こういう騒ぎがあると辞めていく。君は大丈夫か?」
と質問された。
「僕は修羅場慣れしている人間です。仮に、命を狙われるようなことが
あっても、動揺するなど考えられないです」と答えたのを覚えている。
Mさんは、きっとした顔をして僕をにらんだ。この頃からライバル関係
が成立したのかもしれない。
このMさんが僕を監視させた張本人ではない、と今も確信している。
ライバルであったればこそ、僕を自由に泳がせたかったにちがいない。
そんなものだ。相手に実力を発揮させてはじめて、雌雄が決せるからだ
(女性差別的な用語だが、堪忍して欲しい。男心を表現するに他に適当
な言葉が見つからなかった)。
この施設に入って、僕に仲間らしい人がいなかったわけではない。
A施設の裏手に身障者の施設があった。そこで働いていた人が、僕より
一足早く雇われていた。僕のことはよく知っているようだった。
A施設と身障者の施設が壁一枚隔てられていただけだったので、
僕の声が丸聞こえだったらしい。聞くところによると、僕が何か言う度、
大爆笑だったらしい。
(身障者の支援より、知的障害者を相手にしたほうが面白そうだ!)
と、思ったかどうかは知らない。しかし、たぶんに僕からの刺激を受け、
この施設に入ったようだった。この人、Oさんとでも呼んでおこうか。
話が前記事に戻るが、Y君の言語能力を証明した後、監視役のN君は、
「おい、おっさん! お前、アホやろ。アホはアホらしくおとなしゅうしとれ」
と、Y君を罵り出していた。
言葉が通じるものには言葉の暴力をと考えたのかもしれない。こういう
処遇をされるようになるとは僕は夢にも考えていなかった。うんざりし
つつ、その辺りの事情をOさんに打ち明けた。Oさんは、大変、正義感
の強い人だったから、何とかしなければ、と思ってくれたようだ。
「忠太さんの実力な、あんたらの想像を遥かに超えてるよ。嘴、差し挟
まないであげてくれる?」
他のスタッフらに注文をつけてくれた。僕より早く入ったこの人、
施設の主力職員に成長していた。他のスタッフの態度は変わった。
しかし、女性だったためだろう、N君の受け入れるところとはならなか
った。
そうこうしてるとき、Oさんは、利用者の対応に失敗し、あばら骨を
3本ほど折られて入院するという災難に見舞われた。
僕がN君の監視下に置かれているため、実力の百分の一も出していな
いということに心を痛め、入院前まで動き回ってくれていた。
その動きに敏感に反応してくれたのが、副主任のMさんだった。監視
の監視役をしてくれたという風に見えた。すべては僕の錯覚だったの
だろうか。
さて、まったく別の人の話になるが、Mさんは、あるとき、スタッフ
の一人、H君のことに触れ、次のように心情を吐露したことがある。
「自分の後継者にどうにかこうにか育ってくれ、ほっとしている」
その言葉が耳にこびりついてはなれない。
後継者であるはずのH君は、Mさんが転任になり、施設から姿が消え
るや、こう、うそぶいた、
「独裁者がいなくなって、せいせいした!」と。
長文のコメント書いたら消えちゃいました。注意して短めに書き直します。
職業の適性って、まま本人の評価と異なるものです。介護に向くか否か、こればっかりはやってみないと分からないです。
なお、誤解あるといけないので、コメントしておきますけど、介護職の報酬って、思いっきり安いですよ
☆青い鳥さん
人は、育てることで育てられます。
障害者の親御さんがよく口のする言葉に「この子が生まれたとき、一緒に死のうかと思った。しかし、育てて見て、幸せの意味を知った」というのがあります。
「福子」という古来からある知的障害者をさす言葉は、そういう親心をかたって余りあります。
「育てる」ことが同時に「育てられる」ことを意味するという観点からすれば、あえて「人を育てる」ことと「自分を育てる」ことを区別する必要はありません。違いますか?
では自分というものを、人間らしく育てていますか?
この私という自分というものを、人間らしく育てていくものは、正直並大抵ではありません。そういう自分自身が、他の人を育てるというのも、これまた難しいのは、当たり前でしょうね。
まず初めに、自分自身を、人間らしく育てていくことが大事なのではなでしょうか。
経済的希望でなく精神的希望を重視して、選んでもらいたいものです。
”人を観る目”を養うのは難しいですね。