原爆に関する
NHKのドキュメンタリーです。
これまで、
原爆投下に関して
日本軍は
“想定外”だった。
打つ手はなく、
無防備なままだったことが
不問に付されてきました。
しかし、
66年経って、
実は、
そうではなかったことが
明らかになりつつあります。
第一に、アメリカで原爆が
開発されていることを知っていました。
第二に、日本では作れそうになかったが、
アメリカでの
初めての核実験が成功裏に終わったことが
日本に伝わっていました。
米の成功を認めたくなかったのか、
それが「原爆」であるとは発表していません。
開発に携わった学者によると、
それが「原爆であると、気づかぬはずはない」と述べています。
第三に、広島に原爆投下から約1時間前、7:20頃、
特殊情報部は豊後水道に侵入してくるB-29をとらえました。
暗号化されていないコールサイン「V-600番台」を使うそのB-29は、
豊後水道で電波を出した後、
広島上空でも短い電波を出しました。
「気象偵察機」であると気づいた特殊情報部は、
「これはただごとではない!」として、
すぐに軍参謀本部にそのことを連絡したそうです。
しかし、警戒を強めていた広島の軍司令部に
参謀本部から何の連絡もいかず、
広島の司令部は警戒体制を解除してしまいます。
そして安々と、
無防備となっていた
広島市民の上に原子爆弾が投下され、多くの尊い命が奪われました。
翌8月7日、
参謀本部は内部では投下された爆弾が
原子爆弾であると認めていたにもかかわらず、
対外的には
原爆とは認めていませんでした。
そのことによって、
自分達の
開発能力なさを隠蔽しました。
翌8月8日、参謀本部は
「原爆機のコールサインをつきとめた」
として特殊情報部を表彰する式を行ったそうです。
その式場で、
幹部は
「今度、同じようなコールサインが出れば、それを全部追跡して撃滅する。お前さんらみんな、ごくろうさんだった。」
などというねぎらいの言葉を情報部員にかけたと言います。
陸軍参謀本部として
顔を立てることで情報の漏れ出るのを
防いだのでしょう。
第四に、長崎原爆のときも、
「投下5時間前に、通信上事前に察知していた」
(「防衛研究所戦史部」に記録が残っていた)とありました。
大村基地所属の部隊で、
最高度まで上昇し
B-29を攻撃できる戦闘機「紫電改」のパイロットであった本田 稔さんらは
出撃命令を待ち、基地で待機していました。
本田さんは、
8月6日、偶然兵庫から大村へ帰る途中、
広島上空で原爆が炸裂した瞬間を目撃しています。
原爆とはわからずとも、
新型爆弾が街を一瞬にして焦土に変えたのに衝撃を受け、
今度B-29が爆弾を投下しに来たならば、
体当たりをしてでも落とそうと心に誓っていたと言います。
本田さんらに出撃命令は出されませんでした。
そのとき、
軍の上層部では
最高戦争指導者会議を開いていました。
戦犯として
後に裁かれることになる
これらの人の
関心事は、
「降伏した場合、戦争犯罪人として自分達は裁かれるのではないか」
という責任逃れの方法であったようです。
「長崎で原爆投下されようと、
俺たちに関係ねえよ」
と言わんばかりに
二度目の原爆投下はないと、
根拠なく、
陸軍大将・梅津美治郎は
断言して、
原爆投下から国民を守るため
何をすべきなど
話し合われる気配はまったくなかったようです。
完全に、
思考停止してしまっています。
そして11:02。
またしても
空襲警報すら出されないまま、
長崎市民の上に原子爆弾が炸裂しました。
動画を見ると、
その経過が
よく理解できるとともに、
直接的には
当時、政権政党であった民主党、
しかし、広くは、
この政党が引き継いだ、
今の日本政府を支えている自民党との
驚くほどの類似点に驚きます。
どんな深刻な
問題を前にしても、
自分の延命にしか興味を示さないのですな。
安倍自民党が
多くの国民が抱えるであろう、
放射能への不安――毒物が拡散する危機に
何の対処もせず、
成り行き任せです。
日本人全体が
命の危険にさらされている
今この、
原発の事故収束の問題に、
なぜ、触れないか。
もっと言えば、
知らぬ振りを決め込んでいる、
ヘラヘラ笑いの謎が解かれるようです。
思うに、自分達の面子を保ちたいのは、
権益にためでしょう。
そんな人間にとって恐るべきは、
事故収束に目星がつかない
無能さを
暴かれることしかないんでしょう。
白日の下に
己の本体、本心が晒されるのを
最も恐れる魑魅魍魎のような人たちです。
旧陸軍参謀本部は、
現在の民主党、自民党と
少しも変わりません。
そっくり同じ。
関心事は、
自分達の身の安全です。
戦後、特殊情報部という存在すら
「無かった(!)」
ことにさせられました。
僕は、このときの証拠隠滅について、
米国から
日本陸軍の軍事機密を
守るためだと、
子どもっぽく信じていました。
しかし、本当のところは、
日本に住む
庶民の目を恐れた結果なのでしょうね。
残念ながら、
3・11のときの
議事録が残っていないのと、
気味が悪いほど、
事態がそっくりそのままです。
☆ 動画サイトURL:http://www.dailymotion.com/video/xkev97_原爆投下-活-い-かされなかった極秘情報_shortfilms?start=2474
NHKのドキュメンタリーです。
これまで、
原爆投下に関して
日本軍は
“想定外”だった。
打つ手はなく、
無防備なままだったことが
不問に付されてきました。
しかし、
66年経って、
実は、
そうではなかったことが
明らかになりつつあります。
第一に、アメリカで原爆が
開発されていることを知っていました。
第二に、日本では作れそうになかったが、
アメリカでの
初めての核実験が成功裏に終わったことが
日本に伝わっていました。
米の成功を認めたくなかったのか、
それが「原爆」であるとは発表していません。
開発に携わった学者によると、
それが「原爆であると、気づかぬはずはない」と述べています。
第三に、広島に原爆投下から約1時間前、7:20頃、
特殊情報部は豊後水道に侵入してくるB-29をとらえました。
暗号化されていないコールサイン「V-600番台」を使うそのB-29は、
豊後水道で電波を出した後、
広島上空でも短い電波を出しました。
「気象偵察機」であると気づいた特殊情報部は、
「これはただごとではない!」として、
すぐに軍参謀本部にそのことを連絡したそうです。
しかし、警戒を強めていた広島の軍司令部に
参謀本部から何の連絡もいかず、
広島の司令部は警戒体制を解除してしまいます。
そして安々と、
無防備となっていた
広島市民の上に原子爆弾が投下され、多くの尊い命が奪われました。
翌8月7日、
参謀本部は内部では投下された爆弾が
原子爆弾であると認めていたにもかかわらず、
対外的には
原爆とは認めていませんでした。
そのことによって、
自分達の
開発能力なさを隠蔽しました。
翌8月8日、参謀本部は
「原爆機のコールサインをつきとめた」
として特殊情報部を表彰する式を行ったそうです。
その式場で、
幹部は
「今度、同じようなコールサインが出れば、それを全部追跡して撃滅する。お前さんらみんな、ごくろうさんだった。」
などというねぎらいの言葉を情報部員にかけたと言います。
陸軍参謀本部として
顔を立てることで情報の漏れ出るのを
防いだのでしょう。
第四に、長崎原爆のときも、
「投下5時間前に、通信上事前に察知していた」
(「防衛研究所戦史部」に記録が残っていた)とありました。
大村基地所属の部隊で、
最高度まで上昇し
B-29を攻撃できる戦闘機「紫電改」のパイロットであった本田 稔さんらは
出撃命令を待ち、基地で待機していました。
本田さんは、
8月6日、偶然兵庫から大村へ帰る途中、
広島上空で原爆が炸裂した瞬間を目撃しています。
原爆とはわからずとも、
新型爆弾が街を一瞬にして焦土に変えたのに衝撃を受け、
今度B-29が爆弾を投下しに来たならば、
体当たりをしてでも落とそうと心に誓っていたと言います。
本田さんらに出撃命令は出されませんでした。
そのとき、
軍の上層部では
最高戦争指導者会議を開いていました。
戦犯として
後に裁かれることになる
これらの人の
関心事は、
「降伏した場合、戦争犯罪人として自分達は裁かれるのではないか」
という責任逃れの方法であったようです。
「長崎で原爆投下されようと、
俺たちに関係ねえよ」
と言わんばかりに
二度目の原爆投下はないと、
根拠なく、
陸軍大将・梅津美治郎は
断言して、
原爆投下から国民を守るため
何をすべきなど
話し合われる気配はまったくなかったようです。
完全に、
思考停止してしまっています。
そして11:02。
またしても
空襲警報すら出されないまま、
長崎市民の上に原子爆弾が炸裂しました。
動画を見ると、
その経過が
よく理解できるとともに、
直接的には
当時、政権政党であった民主党、
しかし、広くは、
この政党が引き継いだ、
今の日本政府を支えている自民党との
驚くほどの類似点に驚きます。
どんな深刻な
問題を前にしても、
自分の延命にしか興味を示さないのですな。
安倍自民党が
多くの国民が抱えるであろう、
放射能への不安――毒物が拡散する危機に
何の対処もせず、
成り行き任せです。
日本人全体が
命の危険にさらされている
今この、
原発の事故収束の問題に、
なぜ、触れないか。
もっと言えば、
知らぬ振りを決め込んでいる、
ヘラヘラ笑いの謎が解かれるようです。
思うに、自分達の面子を保ちたいのは、
権益にためでしょう。
そんな人間にとって恐るべきは、
事故収束に目星がつかない
無能さを
暴かれることしかないんでしょう。
白日の下に
己の本体、本心が晒されるのを
最も恐れる魑魅魍魎のような人たちです。
旧陸軍参謀本部は、
現在の民主党、自民党と
少しも変わりません。
そっくり同じ。
関心事は、
自分達の身の安全です。
戦後、特殊情報部という存在すら
「無かった(!)」
ことにさせられました。
僕は、このときの証拠隠滅について、
米国から
日本陸軍の軍事機密を
守るためだと、
子どもっぽく信じていました。
しかし、本当のところは、
日本に住む
庶民の目を恐れた結果なのでしょうね。
残念ながら、
3・11のときの
議事録が残っていないのと、
気味が悪いほど、
事態がそっくりそのままです。
☆ 動画サイトURL:http://www.dailymotion.com/video/xkev97_原爆投下-活-い-かされなかった極秘情報_shortfilms?start=2474
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