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東京新聞 / 「首都圏から南相馬移住 『よそもの』寄り添う」

2014年03月27日 07時27分57秒 | 福島事情
〔資料〕

「首都圏から南相馬移住 『よそもの』寄り添う」

   東京新聞(2014年3月26日 夕刊)

☆ 記事URL:http://archive.is/MupP6#selection-651.0-651.13


 東日本大震災で多くの津波被害を出した福島県南相馬市に、首都圏などからボランティアに来た人たちが数多く住み着いている。津波に加えて原発事故にも苦しんできた、今では「第二の故郷」となった南相馬のため、個性派ぞろいの「よそもの軍団」が奮闘している。 (谷悠己)
 「移住者たちのゆるゆるいくよ~」。南相馬市の臨時災害ラジオ局にこんな名前の人気番組がある。東京都東村山市から来た武藤与志則(よしのり)さん(51)と琴美さん(53)夫妻が二週間に一度、司会を務め、市内の移住者を招いてあれこれ語り合う。
 劇団俳優の武藤さんが南相馬入りしたのは震災の一カ月後。津波で県内最多の死者を出しながら、福島第一原発に近いため物資やボランティアが滞った状況を「兵糧攻め」と訴えた桜井勝延市長のインターネット投稿動画を見たのがきっかけだった。
 避難所の子どもへの読み聞かせなどで活動していた武藤さんに、「通うのが大変なら住んじゃえば?」と提案したのは琴美さん。武藤さんは仮設ホテルの夜間職員として住み込みで働くことに。ラジオ出演の他、ご当地ヒーローのDVDで内部被ばく予防を呼びかける「ひげの博士」役も務め、街中で声を掛けられる人気者となった。
 「ゆるゆるいくよ~」に出演する常連が、埼玉県春日部市出身で元トラック運転手の戸田光司さん(42)。ボランティアと市民をつなぐ活動拠点「みんな未来センター」を開設し、イベント立案に奔走している。
 「震災前の自分はくすぶっていたけど、自分がやったことで多くの人が喜んでくれる感覚に目覚めた」。昨年脳梗塞で倒れたが、「南相馬へ戻る」と半年余りで復帰。埼玉県の入院先へは、五十人近い南相馬市民が見舞いに来てくれた。
 移住者たちは、パンダの着ぐるみで子どもと触れ合うジャズピアニスト、除染作業員になった元音楽プロデューサーら、経歴も活動も多彩だ。
 その中で、ヨガ講座や放射能で汚染された農地に花を植える活動を続け、「ヨガじい」の名で親しまれた島根県出身の山城賢治さん(65)は二月の大雪で、住んでいたビニールハウスの中で雪に押しつぶされて死亡した。ボランティア仲間が主催したお別れ会では、地元市民も受け付けなどを手伝ってくれた。
 「よそもの軍団」が移住を決めた理由で共通するのが、南相馬市民の温かさ。交流会で使用した公園の掃除を近隣住民が買って出てくれたり、ボランティアの会議に夜食を差し入れてくれたり。武藤さんは「放射能と向き合いながら暮らす彼らにできるだけ長く寄り添っていきたい」と話す。



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