のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

八百長って、そんなに悪いことか

2011年02月07日 23時34分40秒 | Weblog
「国技の伝統を伝える」という点に相撲の公益性があったはずです。

だとしたら、八百長OK!です。

だってほら、

貴族の身辺警護に当たらせる目的で

諸国の力持ちに技を競わせたのが相撲の起源なわけでしょう。

もし、勝てば、故郷に帰れなくなる、

そんな風になるんなら、負けていいから故郷に帰りたい・・・――

というのが人情です。

こんな相撲の成り立ちの初めに遡って考えると、

八百長は、古代から密かに行われていたと考えるのが

自然だからです。

また、八百長があったら、公平性を害するから公益性がない

という見解も独善的なような気がします。

スポーツは、本来、不公平です。

違いますかね。

身体的能力を厳密に考え、

何もかも公平にやったら勝負がつかなくなります。

八百長やるのも技能の内、

ぐらい大らかに考えたいものです。

僕個人としては、黙って、騙され続けてやりたかったです。

何より可笑しいと感じるのは、

07年、時津風部屋力士暴行事件があったときに見せた相撲協会の

当時の対応との間にある、余りに大きな落差です。

あのときは、人が一人、死んでいるにもかかわらず、

外部からの介入の是非を論じる程度でした。

それが今回はどうでしょう。

がくっと落ち込んだ感じです。

八百長は、事件としては金絡みです。

しかし、それに尽きるのです。

八百長したからって、一体だれがどんな被害を被るのでしょう・・・?

ファンを欺く取り組みをするようになった力士は、

いずれ角界から淘汰されるでしょう。

それを待てばいい、

この事件自体には、そんなに大騒ぎするほどの価値があると思えません。

もう風化しかけですが、

力士の暴行死事件のこと思い出してみましょう。

兄弟子たちから虐待を受けたとき、

親方が口にした言葉は、

恐らく「根性を見せてみろ」ということだったでしょう。

今“あるまじきこと”とされる八百長の取り組みは、

日本相撲協会の放駒理事長によって、

「故意による無気力相撲」

なんて呼ばれています。

これって、「根性を見せない相撲」と言い替えたら、

事件の本質が見えてきます。

要するに、今回の八百長疑惑メール発覚の事件は、

力士の虐待死事件とコインの裏表の関係にあるように感じ取れます。

本当にあるまじきは、事実の露見ではなく、根性の強要です。

今回の、この事件がそこに思いが至るきっかけになればと願います。


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