のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

利権の誘惑に屈した人と見かけにこだわらなかった人

2013年12月25日 13時30分59秒 | Weblog
G.D.Greenberg‏@G_D_Greenbergさんのツイート〔2013年12月25日 - 13:26 〕です。

「厳密に言うと、今回の(原発)事故でも、原発ができる以前からあの土地に住んでいた人はほんとうにお気の毒であった。しかし原発ができた後であの土地に移り住んだ人は、原発を承認して住んだのだから、補償の額も違って当然だろう」

曽野綾子の言葉の引用です。

この人、

補償額に関して、

ツイートにあるような発言しておられたのですね。

“分断”

という嫌な言葉が

あります。

曽野綾子って、

この分断の天才じゃないか

という気がします。

企業の社会的責任から目を逸らせるため

こんな屁理屈が

すらすら

思いつく人なのですね。

原発が建設されるまえから住む人も

建設された後に

移り住んで来る人も

「原子力安全神話」

で洗脳されりゃ利害は一緒!

なぜ、そう思えないのでしょう。

それにまた、

どうせ分けて考えるなら、

原発が

建設される前、

既にそこに住んでいた人こそ

札束で

頬を

ぶん殴られ、

魂を売り渡してしまった

堕天使なのに対し、

そこに足を踏み入れた人は、

贋作された

天国模様をよしとしたお人好しに過ぎない

という側面があります。

この問題は、

沖縄にも当てはまりますね。

分断をこの者は、

ここでも分断に走るのでしょう。

戦前から住んでいる人と、

戦後、

米軍基地があるのを

承知して

移り住んできた人との間には

保護の程度に区別を

設けるべき、と。

しかし、

オスプレイは

平等に

沖縄県民の頭上に落下します。

また、米兵は、

手頃な女性がいれば、

見境なしにレイプ目的で、

襲うことでしょう。

被害に遇う、

その恐怖に違いはないのに、

沖縄県民は、

怒りを共有できない、

と言うのはあんまりではないか――

と思います。

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