ナウちゃん(弱い自分を恥じないこと、弱い誰かを笑わないこと)@nauchan0626
――杉田議員、LGBTへの差別発言で炎上しています。当然ですが、私はむしろ、在日コリアンの方に対する数限りない差別発言が「炎上」してこなかった方が不思議なのです
「LGBTは生産性がない」杉田水脈議員の寄稿文に当事者団体が抗議「国会議員としての資質疑う」 https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/lgbt-sugita-mio?utm_term=.hlZPx0WeQp … @ciaoliviaから〔19:49 - 2018年7月23日〕――
なぜ、杉田が攻めやすいか。
第一には、人の目を引くほど珍妙な言葉遣いだ
ということがまず、ある。
例えば、子どもを作らないことを「生産性がない」という表現がそれだ。
第二には、思想の骨子が
「差別的」「暴力的」「排他的」など、
ファシズムにおける
「選良主義」そのままの思想だということ。
特殊な歴史的な知識がなくても自分の立場をしゃべれる。
さて、そんな風にして盛り上がった
炎上につき、
この度、憲法学者として
意見を言われていたので〔資料〕として
取り上げた。
「子供をつくる、つくらないの選択は、
全ての成人に等しく保障されている自己決定権(人権)である」
ということから、
論を起こされている。
議論は、
ここから始まってここに回帰する。
すなわち、小林氏が
「自分とは異質な者を内心では見下しておきながら、それを単なる「区別」だと言い張り、
その上で「優先順位が低い」という見下し発言をして恥じない者が権力側にいては、いけないのである 」
と締めくくられる最後の言葉に氏の人権観がよく出ている。
人権、人権と言って
難しく考える必要はないんだろう。
氏の言葉を借りれば、
誰しも理不尽に「見下されない」で済む正当性を有する。
僕の理解では、
それが人権と呼ばれるものの中身だ。
<追記>
ナウちゃん(弱い自分を恥じないこと、弱い誰かを笑わないこと)@nauchan0626さんのツイート。
――「差別」がどうして駄目かと言うと、「差別は人を殺す」からなのです。差別を容認する社会は、多くの人を死に追いやる社会なのです。そこを忘れては、絶対にいけないのです。〔18:40 - 2018年7月23日 〕――
杉田議員は、
同性愛者の自殺率が高いことを笑っていたそうだ
(遠藤まめた@新刊でるよ@mameta227さんのツイート〔11:41 - 2018年7月23日 〕参照)。
そこまで承知しながら、なぜ、杉田は、被害者ぶるかな。
奇々怪々な人だな。
自殺は、
見方を変えれば、弱者、少数者をそこまで追い込む
杉田のような人間の殺人だと思う。
〔資料〕
「人権の意味をわからず 『LGBT支援は必要ない』という暴論」
日刊ゲンダイ/小林節さん・文「ここがおかしい 小林節が斬る! 」(2018年7月22日)
☆ 記事URL:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233834/1
自民党の若手議員が、地方自治体はLGBT(性的少数者)を支援する必要はない……と発言して論争になっていると聞いて、調べてみた。
その言わんとするところは、大要、次のようである。
①LGBTの人々は子供をつくらない、つまり「生産性」がないから、そこに税金を投入することには疑問である。
②LGBTという分類は「区別」(単なる違いの認識)であり、「差別」(「見下す」ことでいじめの類い)ではない。
③公的支援は、それなしでは普通の生活ができない人(病人、障害者ら)に必要で、LGBTには必要ない。
④自治体には対応すべき課題が山積しており、その中でLGBTは重要な課題ではない。
これらの認識は、全て間違っている。
①子供をつくる、つくらないの選択は、全ての成人に等しく保障されている自己決定権(人権)で、それ故にLGBTが公的支援を受けられなければ、それこそ「差別」で人権侵害である。それに、LGBTでない人でも子供をつくらない者が増えているし、逆に、LGBTで養子をとる者も増えている。
②LGBTの人々が社会的に「差別」を受けてきたことは歴然たる事実で、それを無視する者の知性を私は疑う。
③公的支援はそれなしでは普通の生活ができない人を優先すべきは当然であるが、これまで白眼視により普通の生活を邪魔されてきたLGBTの人々にこそ、その資格がある。
④だから、全ての個人にそれぞれの個性が尊重された「人間らしい生活」を保障すべき行政の最前線にある地方自治体がLGBTを支援しないで、いったいどこが支援するのだろうか。
前述の議員のような見解は、最近、威勢よくネットの世界で広がっているように見える。
それらに共通する特色は、「人権」論の本質が分かっていない点である。つまり、人間は皆、先天的に「それぞれ」に個性的な存在であるが、それをお互いに許容し合う温かい心こそが人権論の土台である。
だから、自分とは異質な者を内心では見下しておきながら、それを単なる「区別」だと言い張り、その上で「優先順位が低い」という見下し発言をして恥じない者が権力側にいては、いけないのである。
――杉田議員、LGBTへの差別発言で炎上しています。当然ですが、私はむしろ、在日コリアンの方に対する数限りない差別発言が「炎上」してこなかった方が不思議なのです
「LGBTは生産性がない」杉田水脈議員の寄稿文に当事者団体が抗議「国会議員としての資質疑う」 https://www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/lgbt-sugita-mio?utm_term=.hlZPx0WeQp … @ciaoliviaから〔19:49 - 2018年7月23日〕――
なぜ、杉田が攻めやすいか。
第一には、人の目を引くほど珍妙な言葉遣いだ
ということがまず、ある。
例えば、子どもを作らないことを「生産性がない」という表現がそれだ。
第二には、思想の骨子が
「差別的」「暴力的」「排他的」など、
ファシズムにおける
「選良主義」そのままの思想だということ。
特殊な歴史的な知識がなくても自分の立場をしゃべれる。
さて、そんな風にして盛り上がった
炎上につき、
この度、憲法学者として
意見を言われていたので〔資料〕として
取り上げた。
「子供をつくる、つくらないの選択は、
全ての成人に等しく保障されている自己決定権(人権)である」
ということから、
論を起こされている。
議論は、
ここから始まってここに回帰する。
すなわち、小林氏が
「自分とは異質な者を内心では見下しておきながら、それを単なる「区別」だと言い張り、
その上で「優先順位が低い」という見下し発言をして恥じない者が権力側にいては、いけないのである 」
と締めくくられる最後の言葉に氏の人権観がよく出ている。
人権、人権と言って
難しく考える必要はないんだろう。
氏の言葉を借りれば、
誰しも理不尽に「見下されない」で済む正当性を有する。
僕の理解では、
それが人権と呼ばれるものの中身だ。
<追記>
ナウちゃん(弱い自分を恥じないこと、弱い誰かを笑わないこと)@nauchan0626さんのツイート。
――「差別」がどうして駄目かと言うと、「差別は人を殺す」からなのです。差別を容認する社会は、多くの人を死に追いやる社会なのです。そこを忘れては、絶対にいけないのです。〔18:40 - 2018年7月23日 〕――
杉田議員は、
同性愛者の自殺率が高いことを笑っていたそうだ
(遠藤まめた@新刊でるよ@mameta227さんのツイート〔11:41 - 2018年7月23日 〕参照)。
そこまで承知しながら、なぜ、杉田は、被害者ぶるかな。
奇々怪々な人だな。
自殺は、
見方を変えれば、弱者、少数者をそこまで追い込む
杉田のような人間の殺人だと思う。
2018年7月24日昼 記
〔資料〕
「人権の意味をわからず 『LGBT支援は必要ない』という暴論」
日刊ゲンダイ/小林節さん・文「ここがおかしい 小林節が斬る! 」(2018年7月22日)
☆ 記事URL:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/233834/1
自民党の若手議員が、地方自治体はLGBT(性的少数者)を支援する必要はない……と発言して論争になっていると聞いて、調べてみた。
その言わんとするところは、大要、次のようである。
①LGBTの人々は子供をつくらない、つまり「生産性」がないから、そこに税金を投入することには疑問である。
②LGBTという分類は「区別」(単なる違いの認識)であり、「差別」(「見下す」ことでいじめの類い)ではない。
③公的支援は、それなしでは普通の生活ができない人(病人、障害者ら)に必要で、LGBTには必要ない。
④自治体には対応すべき課題が山積しており、その中でLGBTは重要な課題ではない。
これらの認識は、全て間違っている。
①子供をつくる、つくらないの選択は、全ての成人に等しく保障されている自己決定権(人権)で、それ故にLGBTが公的支援を受けられなければ、それこそ「差別」で人権侵害である。それに、LGBTでない人でも子供をつくらない者が増えているし、逆に、LGBTで養子をとる者も増えている。
②LGBTの人々が社会的に「差別」を受けてきたことは歴然たる事実で、それを無視する者の知性を私は疑う。
③公的支援はそれなしでは普通の生活ができない人を優先すべきは当然であるが、これまで白眼視により普通の生活を邪魔されてきたLGBTの人々にこそ、その資格がある。
④だから、全ての個人にそれぞれの個性が尊重された「人間らしい生活」を保障すべき行政の最前線にある地方自治体がLGBTを支援しないで、いったいどこが支援するのだろうか。
前述の議員のような見解は、最近、威勢よくネットの世界で広がっているように見える。
それらに共通する特色は、「人権」論の本質が分かっていない点である。つまり、人間は皆、先天的に「それぞれ」に個性的な存在であるが、それをお互いに許容し合う温かい心こそが人権論の土台である。
だから、自分とは異質な者を内心では見下しておきながら、それを単なる「区別」だと言い張り、その上で「優先順位が低い」という見下し発言をして恥じない者が権力側にいては、いけないのである。
国民が自由な言論等、人権持ったらアベ政治は成り立たないのだ。
国民は国家の財源の手段。アベの家畜のようなモノだと考えている狂った連中なのだ。